百鬼夜行というものがある。
一般的には「妖怪の群れが行進するアレ」として知られている。夜行という言葉から行進が連想されるのだろうが、本来は「ひゃっきやこう」ではなく「ひゃっきやぎょう」と読むらしい。古くは摂津の国・龍泉寺に伝わる、旅の修行僧が真夜中に踊り狂う鬼の群れに遭遇する伝承が、一連の伝説のルーツとされている。
小田さんが、同僚に「百鬼夜行って知ってる?」と訊いたところ、こんな回答があった。
「あー、うんうん。似たのなら知ってるよ。親戚のおねーちゃんが沖縄のホテルで寝てたら、膝下が見えなくて片腕のない兵隊さん達が、大層元気そうに行進してったって言ってたよ」
……それはちょっと違うんじゃないかと。
山口さんの話である。
元々勘が鋭く、見えなくていいものが見える体質の人というのがいる。本書にも度々そういう体質の人の話が登場しているが、彼女も「見える」人だった。
その日、彼女は明日までに提出しなければならないレポートと格闘していた。
夜半過ぎ、軽く空腹を覚えた山口さんは「そろそろ夜食でも……」と、しがみ付いていた机から身を起こし、軽く背を伸ばしつつ天井を見上げた。
視界に足があった。
子供の足、大人の足。
侍の足、人ならぬ異形の足もある。
「空中で行列している人を、真下から見上げたようなものよ」
どうやら、彼女の部屋の真上が霊の通り道となっていたようで、何かの順番待ちでもしているのか、大量の〈何か〉が行進していたというわけだ。
見えてしまう人にとって、その程度のことは日常茶飯事であるらしい。ただ、どうしても認め難いものが混じっていた。
「信じてくれるかなぁ、何かこれ話すと却って嘘くさくなるからなぁ」
口ごもる彼女を促すと、「絶対に信じてよ」と念を押しながらこう言った。
「行列の中にオバQがいたんだよねぇ」
白くて丸い大きな足、頭からかぶった白い布。彼女の記憶に照らし合わせるなら、それはオバQ以外には思い当たらなかったそうだ。
「頭の毛は何本だったの?」と訊いてみた。
「うーん、下から見上げてたからねぇ。ちょっと見えなかったかな」
こちらは僕の地元で商売を営むミネさんから聞いた話。
「北江古田公園の裏手に国立病院ってあったでしょ。あそこって戦前は結核のサナトリウムだったんだよね。知ってた?」
北江古田公園のある丘はちょっとした高台になっていて、戦時中は高射砲台地で、被災者の死体を集めておく場所でもあった。公園の造成中は弥生時代の遺跡も出土したことがあり、土地の古さでは折り紙付きである。地元でも有名な心霊スポットで、この場所で起きた話は枚挙に暇いとまがない。
「今年も怖い話書いてるんでしょ?実はさあ……」
ミネさんが配達を終えたのは、とうに陽が暮れた頃だった。
その年の夏はやたら暑い日が続いていて、地面の煮え具合から見ても今夜も熱帯夜となることは間違いなさそうだった。こんな日はとっとと帰って、クーラーの効いた部屋で冷たいビールでもキュッとやりたいところだ。
ひと通り馴染みの店を巡り、後は店に帰るだけとなった。
合同住宅の間にある迷路のような路地を抜け、病院の正面玄関の前から二百メートルほどの下り坂を通る。これがいつもの帰り道だった。
軽トラが玄関前から下り坂にさしかかったところで、坂道を小学生の集団が上ってきた。
遠足の帰りなのか、集団下校か、それともマラソン大会でもあったのかというほどの人数だった。
「道いっぱいに広がって歩いてくるからさ、邪魔だなーって」
配達は終わっていることだし、急ぐ道行きでもない。小学生が通り過ぎるのを待とうと、軽トラを道路の脇に寄せた。
公園の街灯を背後から浴びているため顔ははっきりと見えないが、小学生達は皆一様に俯いていた。一言も口を利かず、次から次へと坂道を滑るように上ってくる。
人の群が途絶えるまで軽く一服、とシガーライターでタバコに火を点け、顔を上げると、坂道には誰一人いなかった。
「車の前も後ろも、小学生でいっぱいだったんだよ。でも、ぜーんぜんいないの。どっこにもいないの」
タバコを銜くわえ、俯いてライターで火を点け、顔を上げるまでの間の所要時間は数秒程度。
この病院は既に取り壊され、病院前の坂道も再舗装の最中だが、もう一つ怖い話を聞いた。
「あの病院の跡地、特別養護老人ホームになるんだって。怖いよね。知ってた?」
全くだ。
このエピソードが最初に書かれたのは二〇〇〇年頃になるのだが、あれから九年が過ぎた今、北江古田公園は江古田の森公園と名前を変え、件の病院跡地には大層立派な介護老人福祉施設が建っている。