昭和30年くらいの話だ。神社の神主さんが土地の地鎮祭に呼ばれた。
とある地鎮祭。
そこには大きな松の木があり、民家の建築に使おうと切ろうとするが、どうしてもそれを切ると刃物が折れたり、妊婦が体調を崩したりと良いことが起きないそうだ。どうやら土地に因縁があるようだとして呼ばれた。
その松の前に立ってみると、どうも閉塞するような空気感がある。
息が苦しくなるというか、その場にいると辛くなるような場所だった。
特に松の木の根元の辺り。
「この松の辺りは何か由縁があるようですね。近くに何か埋まっていませんか」
するとその周りにいた長寿の方々の顔色が変わった。
「この松は……西南の役の薩摩兵が埋められたとか伝説が残っております」
「この松に鉄砲の弾が大量に食い込んでまして……」
そういったいわくのある土地は、誰が行っても気持ち悪いと感じるような場所なのだという。
戦争松と言われたのは別の場所だったが、西南戦争で薩摩軍が逃げる時にこの地域に立ち寄り、亡くなった兵をたくさん埋めたという。
馬見原のある寺には薩摩軍の負傷兵が来て病院として貸し、3日後いなくなった。その向かいの土地に亡くなった兵を仮埋葬し、後でほじくり返しに来たという。
また農家一軒を買い、そこで自害し火を付けたという逸話も残る。