田原坂と同様に西南戦争の激戦地と言われる吉次峠。ここでは雨のように銃撃の弾が降ったと言われる。この戦争では両軍合わせて数十万の銃弾が飛んだ。弾同士がぶつかり行違い弾(かちあいだん)と呼ばれるものも残っている。
田原坂と別ルートで熊本城に繋がる道だったため、薩摩軍と官軍がぶつかることになった場所。戦場は死体の山で、地獄峠とも呼ばれた。
霊感が強いY先生は、学校の社会科見学でここに来ていた。
峠なのでそれなりにキツイ坂道を上る。開けた場所は山の中の農村部といった感じ。のどかな風景にハイキング気分で歩いていた。
その日は風がなく穏やかだったのに、急に風が吹き始めた。同時に複数の視線を感じ、悪寒が走った。真上からの視線を感じて見上げると、誰もいない。霊感のあるY先生独特な感で、絶対に何かいる! とは感じていた。
見渡すと左の方にある木の茂みから、何やら黒い塊があった。黒い塊の方を見ると、右腕のない薩摩軍の兵士が左手に刀を振り上げて、何かを叫んでいた。
その後ろに目がない、いや目の部分が真っ黒の兵士と数人の頭が見えた。政府軍の銃撃が当たったのか苦しそうにしていた。
もう1人、目の前の坂に薩摩兵らしき格好の霊が半身で立ってこっちを見ている。マントを着ている。腰に刀、手に銃を持って。もちろん腰から下がない霊だ。近くを歩いていた地元の男性に聞く。
「あの辺りで誰か亡くなりましたか?」
指さされたその方向を見て男性は答えた。
「ああ、あの辺り。薩摩の名将、篠原国幹が官軍の総攻撃で亡くなったとですよ」
男性はちらりとY君を見た。
「何か見えなさるとでしょ?」
「……はい。兵士たちが苦しそうにしてて、そのマントの人は丘の上からじーっと僕を見るとです」
「私も見えます。まだ埋めただけの人もおんなさる(おられる)と思いますけん」
「そうですか……まだ、薩摩兵達は戦い続けよるんでしょうね」
「そがん思います。私もここに来ると胸が苦しくなる。特に風が吹く時は」
その男性は歴史研究家で、この峠にまだ埋まっている遺骨や遺品などを探している人だった。未だに掘れば、骨が出て来るという。
Y君は静かに手を合わせた。無念の魂がまだ彷徨う場所なのだ。
そして、吉次峠に風が吹く時は、霊たちが現れるときなのかもしれない。
赤いマントの篠原国幹。
官軍の雨のような銃撃の中、「ここがこの戦いの要だ」と止める他の薩摩兵を振り切り、鼓舞させるためか、真正面から挑み銃撃に倒れた。
「篠原どんに遅れるな!」
鼓舞した薩摩隼人たちは砲弾の中を戦った。
彼好みの赤いマントを見ていたため、銃撃隊が狙い撃ちし、名将は息絶えた。
彼のような人が薩摩隼人の典型だ。
最後のサムライ達はここで散っていった。