傷痍軍人霊と防空壕(熊本市西区) | コワイハナシ47

傷痍軍人霊と防空壕(熊本市西区)

金峰山近くには有名なお寺があり、人が集まる参道がある。

戦後になると、傷痍軍人達がここでお恵みをするようになった。

白い上下の服を着て、腕が片方なかったり、両足ないままゴザに座り続けている人……アコーディオンを弾く人。昭和35年近くまでお恵みは続いていた。

田中君はその近くに住んでいた。まだ小学校入ったばかりの頃、その白い傷痍軍人を見るのがとても怖かった。

そして、まだ戦争中の防空壕がたくさん残っていた。戦争中は自宅の庭に防空壕を作ったが、それだけでなく急な空襲に備え、山のふもとなどに横穴式の防空壕を作ってあった。

戦争から戻ってきた兵隊さんが、家族も空襲で亡くなり住む場所がないからと、この横穴で暮らしていたこともあった。

ある時、いたずら仲間でその防空壕跡にこっそり入ろうということになった。

田中君は嫌々だったが、いたずらっ子の野田君がさっさと入っていく。

中には飯ごうのようなブリキの入れ物と火を焚いた後があり、白っぽい服や軍帽がおいてあった。まずい、これはあの本妙寺にいた傷痍軍人の住み家じゃないか……。

「誰かおる!」

野田君が叫んだ。仲間は一斉に逃げた。田中君は石につまづいてしりもちをついて動けなかった。野田君が戻って来て、田中君を起こしにきた。横穴の奥のほうにぼーっと白いものがユラユラ見える。だが、近寄ってはこない。

「あの軍人さんじゃなか?」

野田君もそう言った。あの軍人がはいつくばっているようにも見える。

だが、体の前についているはずの顔が真っ黒だった。まるで人間蜘蛛のようにこっちへ寄ってくる。

「行くばい! 殺さるる!」

田中君も我に返って一緒に逃げた。

その後、この話を親にはできなかった。本妙寺に行くと、例の足のない傷痍軍人が物陰に隠れるように座っている。

あれは見間違いか……やっぱりこの人は生きていて、あの防空壕で暮らしていたんだな、と。野田君ともそう話していた。

数か月経ち、その防空壕を見に行った。埋め立ての工事が入っているようで立ち入れなかった。

やっと母親にこの防空壕の話をした。あっさりと母親はこう言った。

「あの防空壕で誰か亡くなったって言いよったよ。中で死んだ人がおったみたいで、警察やら入って調べたら復員の兵隊さんの死体あったって」

「兵隊さん、死んだと?」

「うん、白骨化しとったみたいで、戦争で足が吹き飛んだ人らしかよ。かわいそうにねえ」

あの洞窟で見た傷痍軍人は、生きている人じゃなかった、と田中君は直感した。

その後、お寺の前を通っても、ゴザに座ったあの傷痍軍人はもう見当たらなかった。

今は防空壕の跡はコンクリートなどで埋められている。当時をしのぶものが少しずつ消えている。

だが田中さんは、防空壕跡を見る度に、あの白い服の傷痍軍人を思い出し、白い服を着た人自体が怖いのだそうだ。

このお寺には古くから傷病者が集まる由縁がある。

加藤清正が奇病で亡くなったと前述したが、今でいう難病を発症して亡くなったというのが熊本での通説であり、そのため清正公の由縁のお寺に患者たちが集まるようになったという。

歴史は長く、ラフカディオ・ハーンが第五高等学校(現熊本大学)で教えていた時、難病患者の大人から子供までが座り込み、寺前でお恵みをする姿に驚いたと記されている。

後にはリデル女史とライト女史が患者を集め病院を作り、貧しい子供達の児童施設を作った。

現在のリデルライトは熊本大学の近くにあり、介護施設になっている。海外の人から見た明治期の熊本はまだ人権の黎明期であり、医療も貧富も処方箋が少ない時代でもあった。

その回復の手助けをしたのが、外国の方々でもあったことも忘れてはならないだろう。

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