6・26水害での白川湖畔霊群(熊本市中央区新屋敷) | コワイハナシ47

6・26水害での白川湖畔霊群(熊本市中央区新屋敷)

白川のほとり、新屋敷2丁目は、長く間河川工事を続けていた。

白川に架かる明牛橋の近くにマンションがあった。Fさん親子はこのマンションに住んでいた。市内で家を建てる前の仮住まいだった。河川工事で数年後は立ち退きになると言われていた。

この辺りは閑静すぎる高級住宅街で、大きな通りから中に入ると大きな邸宅が多く、あまり人通りがない。昔の武家屋敷跡なので、代々住む人が多い場所になる。

住み始めて少し経つと、家にいると常にパシッパシッとスリッパで叩くような音がし始めた。しまいにはスリッパで歩き回るような音がする。

Fさんはその夜から金縛りにあうようになってしまった。

そばの白川は河原が公園のようになっていて、明牛橋から大甲橋まで続いていた。そこには榎えのきか楠くすのきのような緑茂る木があり、マンションからも木が見えていた。

ある時、川のゴオオーっと流れる音とは違う、人がザワザワ話すような声が聞こえた。良く聞くとこんな声だった。

「……ケテ ……ケテ」

声がどんどん大きくなっていく。3階だと下の音が反響して大きく聞こえる。開けて? って言ってるのか?

誰か事件でも巻き込まれているのか、気になって窓を開けると、目の前の木にびっしりと人の顔が挟まっていた。

「助けて 助けて」

Fさんはゾッとし、すぐにそのマンションから引っ越した。

昭和28年2月26日に起きた白川の大洪水。

その日は朝からバケツをひっくり返したような豪雨が続いた。街中を通る一級河川の白川は、清正公の治水事業でわざと蛇行させていた。

黒髪、子飼橋周辺にある一夜どもは石積みの堤防でその辺りが特に蛇行する。まっすぐだった川を蛇行させるのは意味があり、川の速度を落とさせるのと用水路を作る意味合いもあった。

だが川の水量が上がれば、蛇行部分に阿蘇から流れてきた材木や泥が一気に川岸を襲う。また足けたの多い橋に洪水ゴミが引っかかり一気に川は周辺家屋に襲い掛かった。2階の屋根に避難する人、流された者と甚大な被害になった。

当時を知る人々は言う。

子飼橋の橋桁に、人間か豚かわからないような膨れ上がった肌色のものがたくさん引っかかっていた。大甲橋の川岸には、水死した遺体がゴロゴロ並べられていた、と。この川の当時の恐ろしさを知る人は語る。

Kさんが住んだマンションの場所は遺体が並べられていた場所にも近かった。

この水害での被害は、死者行方不明者422人、家屋浸水31145戸、橋梁流出85橋。数年前にも白川が氾濫したが、64年経った今でも河川拡張の工事は続いている。

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