通潤橋に見えた2つの魂(熊本県上益城郡山都町) | コワイハナシ47

通潤橋に見えた2つの魂(熊本県上益城郡山都町)

旧矢部町の通潤橋。矢部は現在は山都町になっている。

通潤橋は白糸台地という高台の棚田に水を引くため、川を挟んだ隣の水源から水を送るよう作られた水道橋。アーチ型の石橋だ。

逆サイホン型と呼ばれるのは高いところからやや低い橋を渡し、高台まで水を持ち上げる。勢いがあるので水圧が猛烈で、江戸後期にかけられ、今も健在。人が渡ることもできるが、手すりが無く狭いので用心したほうがいい。

時折、橋中央から放水する。ほとばしる水の勢いは虹を作るほど。圧巻だ。

もう2年ほど前になるか、吉田さんが雑誌の取材にてカメラマンと行ったら、正面から右側に違和感があると言う。たしかにこちらから見ると墓のような石碑が見える。カメラマンのDは霊感が強い。

そこに江戸時代の頃の霊が2人立ってこっちを見ているいるというのだ。石工のような雰囲気があるという。

「石工? こういうの作ったら消されるというし……」

「かもしれない。いや、でも単なる事故だったと思う。あの辺りで何かなかっただろうか」

ふと目を伏せ、もう一度見上げる。確かに右側に黒い影が見える。吉田さんも見切れた状態でなら霊を感じることができる。

Dは続けた。

「でも、悪い霊じゃないよ。土地を守ろうとする意志がみえる」

吉田さんもそれには同意できた。戦場の史跡はともかく、こういう場所で恐ろしい地縛霊など感じたことはなかったからだ。

「しかしなぜ通潤橋は作られたんだろうね。目の前に川があるのに、この水を岸まで引き上げる方が楽じゃないか?」

確かに表側から見ると、轟川は穏やかに流れ、上に水道橋を掛ける意味がわからない。ここから押し上げる方法もあったはずだ。

車を走らせ、Dや吉田さんが霊を感じた場所に行った。

そこには神社があった。

布田神社。この通潤橋を建設した庄屋の布田保之助を祀る神社。

長年の投資と住民や石工の努力で作られた。通潤魂と書かれた碑に古めかしい社。ここに強い魂のイメージがあるとDは言った。水で清め、お参りすると霊たちはすっと消えたそうだ。

「石工たちの魂が見えたのかもしれないな」

Dに言わせると、ここから橋を見守る霊魂がいるという。

この橋の完成の時、最高指揮官である布田保之助は石橋の中央に白装束のいで立ちで正座したという。水を通し崩れるなら、石橋もろとも保之助は落ちるのだから、決死の覚悟だ。また彼は、熊本で最初に福祉をした人物としても有名だ。

この建設工事ではその当時の障がいのある人たちを採用し賃金を払った。昔はそうした方々は外で働けなかった。それを世に出した人でもあった。

彼は私心を捨て、地域の為に生きる主義であり、神格化されることは本人の遺志ではなかったようだ。

だが崇めたくなる人間の力量を持っている。

そしてそこから通潤橋の裏を見た。

なんとあの穏やかに流れていた轟川は橋の下から猛烈な滝になっていたのだ。しかもその横は切り立つ石の絶壁。こちら側から見れば台地と台地の絶望感が見える。

逆サイホン式というのも、本当は台地に並行に架ける予定が、現在の橋の高さでないと物理的に難しく、やや低い位置に架けることになり、それが成功したのだという。

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