壇ノ浦の戦いの後、平清盛の孫、平清経は入水自殺に見せかけ、逃げのび、豊後竹田の緒方氏に身を寄せ、緒方姓を名乗るようになった。その後この五家荘の山の中に住むようになったという。
五家荘とは、椎原村、久連子村、葉木村、樅木村、仁田尾村という5つの集落の総称である。平家落人伝説は多いが、ここは住居等も残っており、熊本県に緒方姓が多いのも信憑性がある。
言い伝えの1つにこういうことがあった。
下流の村で、ある時上流からお箸が流れてきた。
それを見て百姓たちが騒ぎ出した。
「上流の山奥に誰か住んでないか?」
箸が流れて来るということは、上の方で生活をしている者がいるということの証。
こうして、この山の中に平家の落人が住んでいることが発覚したという。
その後見つかった平家の落人がどうなったかははっきりとは伝わっていない。そこから里に流れた者もいれば、落ち武者狩りに遭った者もいたであろう。
ただ、緒方家の子孫の300年近く前の茅葺きの家が残っている。百姓としてこの地域に根付いた人々も多かったことだろう。
久連子古代踊りはここ八代の伝統の踊りだが、平家の伝承といわれる。
五家荘から1時間ほど行った球磨の方ではこんな怖い話があった。小学校の教師をしていた横井さんの話だ。
元々市内に住んでいた横井さんは、球磨の神秘的な雰囲気が好きだった。熊本市内とは違う、旧相良藩の領地は少し文化も違う。球磨、人吉は球磨川のヒスイのような碧色の流れも美しく、のどかな風景が広がる。旅行者のように、あちこちを見て回った。
引っ越したばかりのアパートで、横井さんはその日から3日続けて金縛りに遭った。明らかに部屋に何かが居たのを感じた。
次の日の夕方、部屋でテレビを見ていたらその後ろの大きな窓に何か浮いていた。
よく見ると、首を切られた武士の顔。目をつぶり、青白い顔で髷は切られて髪がバサバサになっている。明らかに武士か落人か、生首が浮いていたのだ。
1分ぐらいそれは浮かび、消えた。
横井さんはそれを見て身の毛がよだったが、見間違いかもしれないと、窓のカギをしっかりしめた。
次の日もまた出た。
今度はでテレビと窓の間に浮かんでいた。
「うわっ」
さすがに声が出た。生首は窓の内側に入っていた。
その次の日、夜10時くらいに起き、トイレに行き、また部屋に戻ってくると凄まじい寒気がした。
(やっぱり、また出るのかな……)
恐る恐る部屋に入り、ソファーに座ると、テレビの上に例の生首が浮かんでいた!
完全に部屋に入り込み、横井さんに近付いているのだ。
怖さに呆然としていると、その武士の目が開き、
「ニカー」
と笑い、口から血が流れだした。
それから横井さんは気を失ってしまったという。
その後は部屋のお払いをしてもらい、やっと生首は出なくなった。その昔、この辺りは処刑場があり、首をさらしていた所で霊の通り道でもあったようだ。