同級 来なくなったあいつ(東京都) | コワイハナシ47

同級 来なくなったあいつ(東京都)

都内に暮らすTさんの故郷は、東北地方の町である。

「……って聞くと、都会の人って豊かな自然とか美味しい米や果物を想像するじゃない。ウチはそんな世界と無縁な、内陸の古い商人町でね。主たる産業もないし若者も年々減るいっぽうだし。帰省するたび、どんどん寂さびれてく駅前に〝町ってのも人間と一緒で、コロリとは逝かないんだな、じわじわ死ぬんだな〟と驚いちゃうんだよね」

そんな〈ただ生きてるだけの町〉に見切りをつけ、彼は十八歳の春に上京した。

決断をしそこねた同級生の多くは、いまもおなじ町に暮らしている。

もっとも、青春時代の仲間とあって彼らとの交流は途絶えていない。一年に一度、暮れに帰省した際は数名で集まるのが慣わしになっていた。

集合場所は駅の裏手にある、薄いビールと乾いた焼き鳥で有名な古い居酒屋チェーン。高校生のときに教師の目を盗み酒盛りをして以来の常連だった。

「毎年、焼き鳥を食っては〝やっぱり不味いわ〟とか笑いあってさ。あれは、思い出に金を払っているんだな。背伸びして、あのころの自分たちを懐かしんでいるんだな」

そんな〈ささやかな同窓会〉に異変が起きたのは、三十二歳のときだった。

「おい」

四杯目のビールを飲み干した直後、同級生のひとりが店の入り口へ視線を送った。

「開いたよな」

言わんとしていることを、全員が気づいていた。

先ほどから何度となく入り口のドアベルが鳴っているが、店に入ってくる者はいない。入り口は彼らが毎年陣取るテーブルから丸見えで来客を見逃そうはずもない。そもそも忘年会シーズンを過ぎた店内には、自分たち以外に客はひと組しかいなかった。

「あいつでねえか」

別の同級生が、ある男の名を告げた。

小中高とつるんでいた仲間のひとりだった。未成年のときにこの居酒屋へともに入った、悪友だった。彼は高校を卒業してまもなく病に倒れ、成人を待たずに旅立っていた。

ちょうどいま時分、寒い季節のことだった。

応えるようにベルがまた、ちりん、と響く。

「……すいません」

Tさんは、入り口の異変に首をかしげている店員を呼び止め、生ビールを注文した。

「あいつも、飲みたいんだべや」

笑う者はいなかった。

運ばれてきたジョッキをテーブルへ置くと、彼は空席に向かって語りはじめる。部活の鬼顧問のこと、隣町の女子校を偵察に行った日のこと、裏山でスクーターを乗りまわし、危うく補導されそうになったこと……まるで、そこに「あいつ」がいるかのように、彼は話し続けた。

仲間の「おい」という声が、回顧録を中断させた。

「これ……」

同級生が、震える指でジョッキを示す。短い悲鳴がその場にあがった。

注がれたビールが減っている。

泡が消えたわけではない。琥珀色の液体は、あきらかに半分以上目減りしていた。

「……いるんだな」

「ああ」

誰かが笑う。つられて全員が笑う。

「俺も友だち連中も幽霊とか信じるタイプじゃないんだけど、そんときは素直にあいつがいるって思えたんだよ。なんだか墓参りしてるみたいな……そう、墓参りに行ったときとおなじ感覚。〝むこうから見守っててくれ、俺らもそのうち逝くからよろしくな〟って。そんな気持ちだったね」

それから、〈あいつのビール〉は毎年の恒例となった。

「十年以上続いたのかな。青春と地続きになっているようで楽しかったよ。まあ、最後はあっけなかったけどね」

数年前の暮れ。

Tさんは例年どおり、旧友数名と居酒屋に集まっていた。

「……いま思えば、みんな例年よりも疲れた顔をしていた気がするな。ま、四十も半ばを過ぎればみんなオヤジになるよな、なんて思っていたんだけど」

いつものように生ジョッキを人数よりひとつ多く注文し、テーブルに置く。

妙に会話がもたつく夜だった。曖昧な相槌と沈黙のくりかえし。並んだ料理はなかなか減らない。淀んだ空気のまま、一時間あまりが過ぎた。

流れていた歌謡曲が終わって、店内が静かになった。それを待っていたかのように、すっかり顔を赤らめたひとりがジョッキを睨みつけて呟いた。

「お前は良いよなあ……もう死んじまってよお」

目が据わっていた。

「俺な、いまお袋の世話してるんだ。もうすっかりボケちまってなあ、こないだは玄関でクソしてたんだぜ。結婚もせず、家と仕事場のパチンコ屋を往復しながら、糞尿まみれで暴れる母親のパンツ脱がせて洗い続ける人生なんて、死んだお前には想像できねえべや。お前、早く死んで本当に良かったなあ……」

搾りだすように最後のひと言を吐いて、彼はテーブルを拳で叩いた。誰も反応しない。長い沈黙を破ったのは、隣に座っている同級生だった。

「俺は……胃がんでよお」

Tさんの口から「え」と驚きの声が漏れる。そのときはじめて今日の彼が烏龍茶しか飲んでいないのに気がつく。

「ステージ2、ってヤツでよお。ちゃんと治療するには休職しなきゃいけねえんだけど、それ聞いた女房のヤツ、離婚だとよ。俺と一緒になったのは失敗だったんだとよ。もっと自分を大切にしたいんだとよ、ははは。なんのために生きてきたんだよ、俺」

乾いた笑いが合図だった。

堰を切ったように、その場にいた皆が次々とジョッキに向かって喋りだす。

「うちのガキ……不登校なんだ。毎日、あいつの部屋の前に小便の入ったペットボトルが置いてあるんだわ。カミさんが中身を捨てて、洗って戻しておくんだわ……なんだよ、この暮らし。なんなんだよ、おい」

「うちの店、春には潰れそうなんだわ。頑張ったけど、俺の代でおしまいだ。真面目に生きてきたのによお。しんどいよ、なんもかんもしんどいよ」

「二年前、ジリツシンケーってのが壊れちまって退職したよ。いまは深夜のコンビニと工事現場の警備を掛け持ちしてんだよ。今月の家賃は払ってねえ。でも、もう良いんだ、生きるのが面倒くさいんだ」

Tさんを除いて告白が一周する。それでも、訴えは終わらなかった。

「お前は良いよなあ、勝ち逃げだもんな」

「先に逝きやがって、良い思い出ばっかでズルいべや」

「俺と代われ。代わってくれ。なあ、なあってばよお」

「ひとりで楽になってんじゃねえ。謝れよ、俺らに謝れよ」

全員の口ぶりが、懇願めいたものから憤怒をはらんだ調子に変わっていく。

ごとん。

諌めるように、詫びるように、ジョッキがちいさく跳ねた。

それきりだった。

「どれだけ待っても、もうビールは減らなかった……翌年も、いつもの仲間が三人だけ、惰性で集まったけど……まるで会話が弾まなくてね。それで、最後」

現在も、Tさんは年末に帰省している。だが、同級生とはもう連絡を取っていない。

「あの居酒屋にはひとりで行ってるよ。ビールをふたつ頼み、黙って飲むんだ。いつか、またあいつが来てくれるんじゃないかなと思って……」

いまのところ、ジョッキは動かぬままだという。

「生きている、ってことと、死んでないだけ、ってのは……違うものなんだな」

自分を諭すような口調で、彼は寂しそうに言った。

シェアする

フォローする