ホイド穴は、道南の函館に通じる国道の脇にひっそりと現存する遺跡である。
かつて松前藩と旧幕府軍が交戦した際、老人や婦女子がここに隠れやり過ごしたという謂われが残っている。
ちなみに『ホイド』とは、通常は意地汚いという意味で使われる。
古舘さんはここの前を何度も通っていた。
遺跡が存在しているのは知っていたが、わざわざ車を停め確認するほどのものではないと思っていた。
ある夏の日、突然気になって仕方がなくなった。
結構な洞窟のように思えて、探検することにしたのだ。
道路脇に車を駐め、少しの傾斜を下る。
目の前にはホイド穴があった。
脇に備えられた立て看板では、謂われなども記されていた。
さて、問題のホイド穴は──と覗き込むと、奥行きが全くない。
謂われにあるような人が隠れるようなスペースが全然足りないのである。
肩透かしを食らった古舘さんは酷くがっかりした。
そのまま帰るのも癪しゃくなので、穴に入り込み自撮りを試みる。
──ゴォーーッ!
突然背後から強風が吹いてきた。
振り返ると、行き止まりになっていたはずの壁が消え、真っ暗な闇が広がっている。
思わずスマホの明かりを点け、ふらふらと奥へと這い進んだ。
かれこれ十メートルも進んだだろうか。
振り返り入り口を確認すると、酷く小さな明かりが見える位になっていた。
想像よりも遥かに奥へ入り込んでいたようだ。
流石にスマホの明かりだけでは心許ない。
一度立て直そうと入り口へ進路を変更する。
『ぅうう……ぉおおおおぉ……おぉぉぉ』
複数人の呻き声のようなものが聞こえた。
微かにだが、女子供の啜すすり泣きの声も交じっているように感じる。
思わず唾を飲み込み、喉が鳴った。
何も聞こえていない体ていで、静かに入り口を目指す。
『ぅおおおおおあああああぁぁあああぁぁぁ!!』
すると、古舘さんを呼び止めるように、声のボリュームは上がった。
息も絶え絶えに外に出ると、先程まで聞こえていた声はピタリと止んだ。
ホイド穴も訪れたときのように、奥行きが見える小さな穴に変わっていた。
(何だったんだよ、一体)
酷く動揺し、その場を動けない。
だが、何事もなかったかのように在るHイド穴を見ている内に、自分が幻聴や錯覚を見たような気がしてきた。
「バーカ、バーカ!!」
ホイド穴に向かって、子供のような悪態を吐いたその瞬間──。
『あああぁあぁあああああああ!!』
古舘さんの背後から、鼓膜が破れるかと思える程の声が聞こえた。
そしてそのまま気を失った。
どれほどの時間が過ぎたのか分からないが、意識を取り戻した古舘さんは逃げるようにその場を後にした。
そんなこともあったので、あまり近付きたい場所ではない。
しかし普通に生活をしていれば、どうしてもこの国道を通過せざるを得ないことが多々あった。
気にしないように努めるが、視界の隅に遺跡は入り込む。
「俺は何も見えてない。遺跡なんか見えてない」
古舘さんは自分にそう言い聞かせ、日々事なきを得ている。