ある交差点の花束(北海道札幌市) | コワイハナシ47

ある交差点の花束(北海道札幌市)

厚別中央通りを真栄方面に進むと、左手に某学校が近い交差点がある。

心霊スポットと呼ばれるような場所ではないのだが、興味深い話を聞けたので、ここに記させてもらう。

石原さんは勤務先が変わり、通勤でこのルートを通るようになった。

ある交差点で信号待ちで停まっていると、花束が置かれていることに気付いた。

(ああ、横はどうやら学校っぽいもんなぁ。誰か轢かれたのかぁ)

その日はそれで終わった。

翌日、また同じ交差点で停まる。

無意識にまた花束に目をやる。

半ば枯れかけていることから、事故があったのは少し前の話なのだろう。

信号が変わり、その場を走り去った。

また翌日、同じ交差点で停まる。

花束は新しくなっていた。

遺族、または関係者に思いを馳せ、少しやるせない気持ちになる。

(他人事じゃない。安全運転、安全運転)

気を引き締め、会社へ向かった。

それから毎日、必ず同じ交差点で停まり、花束を見るようになった。

枯れかけては新しい花束に変わり、偶にジュースの缶も置かれていた。

勝手な推測だが、轢かれた子は小学生なのだろう。

横断歩道の信号が変わり走り出した瞬間、左折の車に巻き込まれるように轢かれたのだろうか、と思うようになった。

ある日の朝。

その日は強い雨が降っていた。

ワイパーを動かしても、視界が危うい。

石原さんはいつもより抑え気味のスピードで走行していた。

またいつもの交差点で停まる。

花束のほうを見やると、何も置かれていない。

区切りが付いたのか、と考えていると、歩道に小学生が立っていることに気付いた。

横断歩道を渡り始めた小学生。

すると石原さんの左側から走行してきた車が左折する。

(危ない!)

そう思った瞬間、小学生はゴム毬のように軽く飛んだ。

(バカ、やっちまった)

すぐさまシートベルトを外し、車の外に出る。

表に出た石原さんの前方には車の姿がない。

逃げやがった、と思いつつ、小学生の保護を考える。

『パァー、パパァー』

後方からクラクションを鳴らされ振り返ると、苛ついた表情の若い男がハンドルを握っていた。

事故の説明をしようと駆け寄る石原さんだったが、若い男はハンドルを切り車線を変えると、猛スピードで走り去っていってしまった。

(バカ!子供がいるんだって!)

しかし、その後周辺を幾ら探しても、子供の姿は見つからなかった。

走り去った車が引き摺っていった可能性も考えたが、路面に僅かな血痕や遺留物も見つからない。

幾ら雨が強かろうと、つい先程の出来事だ。

何の痕跡も残らない、ということはないだろう。

ずぶ濡れになった身体で石原さんは呆然とするしかなかった。

その翌日、花束はまた置かれていた。

昨日は念の為と事故のニュースを調べてみたが、この場所でそれらしい事故は起きなかったらしい。

夢でも見ていたのだろうか……。

そう思いながら交差点を後にする。

前回の雨の日から、ほぼ一カ月後のこと。

その日も強い雨が降っていた。

また交差点で停まる。花束は見えない。

その代わりに小学生が立っている。

走ってきた車が左折して小学生を撥ねた。まるで再現フィルムを見ているようだ。

宙に撥ね飛ばされた小学生は、地面に落下した瞬間その姿を消した。

轢いた車の姿も一瞬で見えなくなった。

唖然とした石原さんだったが、歩道の人影に気付く。

傘を差す二人の男女。

花束をそっとその場に置くと、傘が揺れた。

『パパァーーー!!』

後方からのクラクションで我に返ると、信号は青に変わっていた。

いつの間にか、歩道の二人の姿も見えなくなっていた。

石原さんは狐に抓まれたような気分で車を走らせる。

その日は釈然としないままで過ごした。

それからも通勤のときには、花束が置かれ続けていた。

そして、石原さんの中である考えが浮かぶ。

この日は休日であった。

しかし、石原さんはいつもの交差点に来た。

いつもある花束は今日は見つからない。

路肩に車を停め、買ってきた花束を供える。

「どうぞ安らかに眠ってください。もう、痛い思いはしなくていいんだからね」

手を合わせ、心からの祈りを捧げる。

車に戻り、何げなくバックミラーを覗いて花束を探す。

そこには小さく頭を下げた小学生がいて、置いた花束はなくなっていた。

涙が零れそうになるのを堪えながら、石原さんはその場から離れる。

それ以降、この交差点で花束を見ることも、雨の日に小学生と遭遇することもなくなった。

交差点で停まる度にあの子のことを思い出すのだが、結果的にこれで良かったのだと自分に言い聞かせているのだという。

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