蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山は、道内では上位クラスの登山コースとなっている。
雄大な景色を堪能できる反面、過去に亡くなられた方も多く、自然の厳しさを窺わせる。
村田さんはアマチュアの登山家である。
会社員でありながら、休みの都合が付く度に、道内を転々として回る。
夏のある日、村田さんはここY蹄山にいた。
既に三十回以上は登っているのだが、飽きることはないらしい。
その日も無事に登頂を終え、十三時を過ぎた頃に下山を始めた。
「こんにちは」
すれ違う人との挨拶も登山の醍醐味である。
時には励ましたり、具合の悪そうな人を助けるのも登山家としては当たり前のことであった。
下山開始から三十分後、しゃがみこんでいる二人を見つけた。
「大丈夫ですか?」と声を掛ける。
二人の中年男性は顔色も悪く、生気を失っている。
(ああ、こりゃあ……)
村田さんが一緒に下山を促すも、首を縦には振らない。
他に仲間がいるのかを訊ねると、小さく首を振る。
さて、どうしたものかと暫し考え込む。
「分かりました、やっぱり下山しましょう。仲間の方には連絡が付くように手筈を取りますから」
二人を両手で抱え、ゆっくりと歩き出す。
暫くすると、二人の男性は村田さんの手から離れ、自ら歩くようになった。
「あ、リスですよ。可愛いですね」
「ここからの景色が、僕は一番好きですね」
幾ら話し掛けても、男達は返事もしない。
その暗い顔は苦痛の時間を続けているだけのように思える。
「もう半分を過ぎてますよ。ここから早いですよ」
村田さんは些細なことでも話し掛け、励ますのを止めなかった。
「こんにちは」
「こんにちは」
村田さんがすれ違う人と挨拶をしても、男達は一言も声を上げない。
「マナーとしては挨拶をするもんなんですよ。頑張って声を出してみましょうよ」
聞き流しているのか、無視をしているのか、一切の反応を示さない。
それでも村田さんの熱意は続き、とうとう登山口まで帰り着いた。
「お疲れさまでした」
やはり男達は何の反応もなく、虚ろな視線は宙を捉えている。
「じゃあ……もう帰りましょう。きっと家族も待っていますよ……」
突然、男達はその場に崩れ落ち、声を上げて泣き出した。
「大丈夫です。下山したんです。もう家に帰れるんです。ね、だから帰りましょう」
村田さんがそう呼び掛けた瞬間、男達はその場から消えた。
「さーて、僕も帰るとするか!」
村田さんは安全運転で家路を目指した。
村田さんの話によると、数年に一度はこのようなことがあるらしい。
まず、何の反応もない時点で怪しい。
が、このときは、すぐに違和感の正体に気付いた。
秋も深まった頃から冬の初めの装備だったから、簡単に気付けたんです──と村田さんは笑う。
酷く熱い夏の日だったのに、あの装備はないと。
彼らが本当に家に帰り着けているのかは分からない。
ただ、厳しい山から解放されたのなら、それだけでいいと思っているそうだ。