ここ豊浜トンネルは、過去に起きた大規模な崩落事故で二十名の命が奪われている。
岩盤除去作業時の二回目の発破後、鬼のような怒りの顔が岩盤に浮かび上がったことでも知られている。
その顔はこの地で非業の死を遂げたアイヌ女性の呪いとも、事故犠牲者の怒りの顔だとも言われている。
野呂さんは地元民である為、このトンネルをよく利用している。
崩落事故の犠牲者には知り合いも含まれており、何ともやるせない気持ちになるそうだ。
事故直後、周辺の住民は大きく迂回路を使用せざるを得なかった。
それでも一年も掛からずに、仮復旧トンネルが開通した。
当時、犠牲者に所縁のある人達は走行時、事故現場付近でクラクションを鳴らしていた。
せめてもの哀悼や鎮魂の思いがあったのだろう。
野呂さんも例外ではなく、通過をする際にはクラクションを忘れなかったという。
ある冬の日、朝からカーデッキの調子が悪かった。
あちこち弄っていたが、ポンという音とともに沈黙し一切動かなくなってしまった。
(仕方ない、後で修理に出そう)
その日は気分転換も兼ねて、少しだけ窓を開けて走行していたという。
冬の北海道である。窓から入り込む風は肌寒い。
それでも無音の車内よりはマシであると考えた結果だった。
用事の為、T浜トンネルを通過する。
事故現場付近で、二度クラクションを鳴らした。
『コォ────ッ』
風切り音とトンネル内の反響音が混じった音に、もう一つの音がする。
『コォーーッ……うぅーー、くぅーーーあぁあああああ』
低い叫び声のような。
或いは、苦悶する声のような音。
瞬時に窓を全開にし、お経を唱えながら心の中で叫ぶ。
(大丈夫、もう苦しまないでいいから、天国で休んで!!)
トンネルを出た後、気付くと大量の涙が頬を伝い落ちていた。
その日から野呂さんに新習慣ができた。
トンネルを通過時はクラクションの他に、窓を開けてお経も唱える。
成仏してほしいと心から願うというものだ。
相変わらず、苦しむような声は聞こえていた。
ただ、トンネル内でも、事故現場付近でしかその声は聞こえなかったという。
それから三日が過ぎた頃。いつものようにお経を唱えながら走っていると、壊れてたままのカーデッキの電源が入った。
──ガガガッ……『あり……がと……う』
一拍置いて、普通にラジオが流れ始めた。
野呂さんはトンネルを抜けると路肩に停車して、ひたすら泣き続けた。
これほどまでに涙が出るのかと自分でも驚く程で、感情の高まりは抑えられようがなかった。
「あの優しい声はKさんです。間違いがありません」
その後は事故現場周辺で苦しむような声を聞くことはなくなった。
現在の豊浜トンネルは、遺族への配慮からか事故現場を通過することはできない。
遺族が慰霊する際には、海から訪れるのだと話に聞く。