お狸さま(徳島市城南町) | コワイハナシ47

お狸さま(徳島市城南町)

高校時代は、多くの友人に恵まれたが、中でも印象的だったのは、I君であった。I君は人柄もよく、明るい性格だったので高校でも人気者であった。また無類のプロレス好きだったのだが、小柄であったため、いつも技の実験台にされていた。I君は高校時代のプロレス仲間の1人であった。

ある日の昼休み。私は学食で食事を済ますと、廊下を歩いていた。手には横溝正史の小説がある。

「うがああぁぁ」

「どうだ、これがコブラツイストだ!!」

廊下ではいつものようにプロレスごっこが始まっている。当時、新日本プロレスを筆頭に空前のプロレスブームが巻き起こっており、アントニオ猪木や藤波辰巳、長州力が人気絶頂であった。

「いたたた、やめてくれよ」

「どうだぁ、今度は卍固めだ」

T君がI君を締め上げている。双方とも演技に熱が入り、気分はすっかり一流プロレスラーのようだ。なお、このT君は、小学生時代に運動場において一緒にUFOを見たことがある古い友人である。

「これでぇ、どうだぁ!」

T君がI君の頭部にフックしていた足に力を入れた。I君の頭がやや斜め下に傾いていく。

「わぁぁぁ! もっと耐えろ」

周囲では無責任な声援が起きている。見物に飽きた私は小説を読んでいたのだが、うるさくて集中できない。

「ギブ! ギブ! ギブアップ!」

I君が泣きそうな声で叫んでいる。

(これは、私がレフェリーをやって止めに入った方がよいだろう)

そう思いながら、近づいていった。すると、突如I君の目玉の色が変わった。今、思い出しても変わったとしか言い様がない。人間らしい目玉から、獣のような目つきに変貌したのだ。

「うぎゃ、がががががぁぁぁっあああああ!!!!」

まるで犬が虚空に向かって吠えるように口を突き出し、I君が絶叫した。周囲は静まり返り、じわじわと後ずさりした。

「うぎゃあああああああ!!」

さらに大きな声で叫ぶと、I君は卍固めをかけられた状態で大きく上に跳ね上がった。

そのまま、I君はぴょんぴょんと跳ね始めた。

(ごっついなぁ、完璧に卍固めをかけられながら、飛び上がるなんて、凄い身体能力やなぁ)

変な基準で私が感心してみていると、I君は飛び上がりながら空中で強引に卍固めをはずした。

(こいつ、おもしろいな)

そう思っていると、周囲の男子たちがI君に飛びかかった。

「おい、またI君が憑かれたぞ!」

「おいおい、みんなで取り押さえろ!」

5、6人の男子が飛びかかった。だが、I君は物凄いパワーで投げ倒していく。

(おいおい、こいつチビやのに、こんな力持ちだったんか)

I君の片腕に2、3人が取りすがってもぶんぶんと振り回してほどいてしまう。5、6人の男子が投げ飛ばされ、廊下に転がった。

「ええっ、これはどういうことかいな」

私は呆然とした表情でこの有様を見つめた。横たわる同級生たちを満足げに見たI君は猛ダッシュで学校の正門を飛び出していき、眉山という山に向かって行った。

(これって、ほんまのことかいな)

この事態に吃驚した私は、山に向かって全力疾走で走っていくI君の背中を廊下の窓から見ながら、不可解な気持ちになった。日頃、温厚なI君が5、6人の男子を投げ捨てて暴れ回るなど、まるで漫画のようである。

「おい、今のはなんだ」

立ち上がってズボンの埃を叩いているT君に向かって尋ねた。

「あぁ、はざまは違うクラスやから、知らんかったんか」

「知らんも何も、あれは異常だろ」

私は食い下がった。

「あぁ、あれなI君に〝おたぬきさん〟が降りたんだよ」

「おたぬきさん……。なんじゃそれは」

「憑き物らしいで、犬神みたいなもんちゃう? 降りてくると数人がかりでも抑えられないわけよ」

「憑き物が現存しとるんかいな」

当時、既に妖怪マニアであった私は、この非日常の風景にいたく感動した。民俗学の範疇であった憑き物という現象を、目の当たりにしたからである。

以来、I君に興味を持った私は何度か〝おたぬきさん〟に関してインタビューを行った。

「あぁ、ええよ」

殊の外I君は気軽にいろいろ教えてくれた。どうやら、彼の家では代々〝おたぬきさま〟をお祀りしており、父親が〝おたぬき教団〟の教祖だというのだ。数十世帯がこの〝おたぬきさま〟を崇拝しており、数々の願望を叶えてくれる存在だというのだ。そのためだろうか、度々彼は憑霊状態となり、山に登りたくて仕方がなくなり、高校の授業中であったとしても眉山に向かって走り出してしまうのだそうだ。

「眉山は、駆け上るの?」

「いや、ロープウエイで上るんだ」

この発言に私は疑問を持った。

「おたぬきさんに憑かれているのに、ロープウエイの切符は買えるんやな」

「……んっ、そうやな」

私の指摘にI君は押し黙ってしまったのだが、彼はその後も度々暴走していた。

学校を卒業してから、22、23年経った後、犬神の取材でカメラマンと一緒に徳島を訪れたことがあった。I君がいた〝おたぬきさんを信仰する人たちの集落〟を訪問したが、もはや当時の住民は誰もいなかった。噂では大阪に出たという。

──憑き物は都会の闇に溶け込んでしまったのだ。

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