今から4、5年程前、下総中山の事務所が手狭になった私は、経理と総務を統括する管理部を旧事務所に残し、制作部隊が中軸となる編集部が駐留する一戸建て物件を借りた。
この話は、この編集部での不思議な出来事である。
当時1階を事務所として編集部が使い、2階は社員や契約していたタレント、漫画家が使う男子寮であった。
2階の男子寮は、芸人の南部イチヒコくん、漫画家の遠藤桟くん、社員のSくんが住んでいた。
入居当初から、1階にある台所では、誰もいないのに夜中に湯が大量に出ていたり、遠藤くんが食器を洗っていると、何者かが台所の窓と隣家との境界にある塀の間を歩いているなど、不可解なことが多かった。
「コツン、コツンツン、コツン」
ハイヒールを履いた人物が不安定な状態で歩いていくような音だった。足音を聞いた遠藤くんが台所の窓を開けて確認するが、誰もいない。こんな不思議なことが何度も続いたのだ。
「本当に誰かが歩いてるんですよ」
遠藤くんは必死に訴えた。
「気のせいじゃない?」
私が冷めた口調で突っ込むと、遠藤くんは困惑した表情を浮かべ続けた。
「確かに、コツン、コツン、コツってハイヒールで歩く音がするんですよ」
その後、遠藤くんの証言に従って、〝謎の人物〟が歩いている場所をつぶさに調査してみたが、結局何も見つからなかった。しかも、塀の向こうに位置する隣家も無人の廃墟であった。
(どうも、妙な話だ)
私は何とも言えない違和感を覚えた。だが、事態はそれだけに留まらなかった。
──今度は、生首が浮遊するようになったのだ。
ある日、当時事務所に所属していた某怪談師の男性が1階で怪談を語った時のこと。
遠藤くんが深夜、生首を見たのだ。1階から2階に階段を駆け上がったとき、目の前に何かが浮いていることに気がついた。
(……んっ、なんだぁ)
遠藤くんが目を凝らすと、目前の虚空に生首が浮いていた。しかも、口元はヘラヘラと笑い、目は白濁している。
「ぐわっ、ぐうわわわっ」
驚愕した遠藤くんは這い蹲つくばりながら、自室に逃げ込んだ。
翌日、遠藤くんは私に密かに相談した。
「なんだって……、でも、しばらく様子を見てみよう」
私は、他の社員やバイト、契約タレント、契約作家たちが怖がってはいけないと思い、私と遠藤くんだけの秘密にした。
だが、それから数週間後、今度はうちのかみさんが奇妙なモノを目撃する。──かみさんも、浮遊する生首を見たのだ。
その日、かみさんは掃除のため2階につながる階段を上がった。そして、背後に妙な感覚を覚えた。何やらまとわりつくような視線を感じたのだ。
(見てる、誰かが見てる)
そーっと振り向いたかみさんの目の前に──生首が浮遊していた。
筆者と遠藤くんは、生首事件については誰にも言ってなかった。勿論、怖がりのかみさんにも黙っていた。にもかかわらず、かみさんが生首を目撃した場所は遠藤くんが生首を目撃した場所と同じであった。
それから、数ヵ月して霊感風水師のあーりんさんが編集部にやってきた。あーりんさんは室内をキョロキョロと見て廻るとこんなことを言った。
「うん、おばあちゃんならおるで、元々商売やってたから、若い人が沢山集まってくることはええんやけど、若い人がやっている家事が心配なんやわ」
「それが一連の不思議事件の原因だったんですね」
「まだ続くようだったら、おばあちゃん縁の物を出した方がええよ」
実はこの屋敷には、もの凄く古いタンスが2竿残されており、その場所は生首を見た場所の近くであった。
「あのタンスが怪しいなぁ」
古ぼけたタンスは着物を何枚も保管できる優れものであったが、2階の一室を占拠していた。大家さんが、この中古物件を購入する前から残されていたらしく、許可を得て、うちのかみさんがバラバラに解体した。
その後、怪異はなくなったのだが、2010年の秋、1階編集部が客間として使っている和室で弊社の女流怪談師・牛抱せん夏が怪談の練習をやっていると、突如声をあげた。
「ぁぁぁぁあああああああ」
悲鳴に驚いた私が駆けつけた。
「牛抱さん、どうしたの!?」
牛抱は戸惑いながら、和室の窓から覗く庭の虚空を指指した。
「山口さん、あそこに! あそこに」
「ええっ、なに?」
「生首が浮いてました」