2004年8月7日、千葉県船橋市きららホールにて、船橋よみうり新聞社主催のイベント「不思議ファンタジー」が開催された。
このイベントは、同紙で「京葉不思議伝説」を連載していた私のプロデュースイベントであった。この連載も、イベント開催も、青梅での実績を評価してくれたうえでの出来事であった。
妖怪のイベントらしく、賑やかな連中を呼びたいと思っていた私は、何人か妖怪に纏わるアーティストを集めた。妖怪バンドの妖怪プロジェクトさん、彼らはその後avexからメジャーデビューするのだが、このときからクオリティは一級であった。
さらに怪談の語り部として、某氏、あーりんさん、ちびっこQさんの3人に出てもらった。
特にちびっこQさんはその後、結婚して出産したのだが、朝日新聞出版の雑誌、HONKOWAで漫画化された「オカルト博士の妖怪ファイル」に出てくる妖怪うぶめとの遭遇談は、彼女の体験である。
そして、妖怪フォークミュージシャンのHくんであった。
「待ち合わせ場所は、僕の自宅です。当日は、夕方までに来てください。その後、イベント会場までいきましょう」
メールでそう言ったはずだった。だが、Hくんは昼間突然姿を現した。坊主頭にテンガロンハット、鋭い視線は妖怪人間べムを彷彿とさせた。
「ちわっす」
肩にギターを提げたHくんは、ずかずかと私の自宅に上がりこむと、腹をさすりながらこんなことを言った。
「お腹が空きました。このあたりに飯を食う場所はありますか」
このあたりは住宅街で食堂などはない。うちのかみさんは一瞬困った顔をしたが、軽い食事を用意した。
「すいません。あり合わせのものしかないのですが」
そう言ってソーメンを出したところ、Hくんは美味そうに平らげ、こう言った。
「ありがとう。君の好意は嬉しいよ」
だが、そもそもこの行為がいけなかった。Hくんの止めようのない妄想に火をつけることになったからである。
その日のライブは無事終了した。
遠くから来てもらったHくんとあーりんさんは、私の家に泊まってもらうことにしたのだが、夜中でもやたらにギターを弾きたがった。
「僕のギターの音色は、霊を浄化するのです」
と言いながら、真夜中の住宅街で窓を開けて演奏したがるのだ。
「やめてください」
私やかみさん、あーりんさんが力づくで止めたが、本人は自分が何故止められているのか理解していない様子であった。
「ひぃぃ、みんな厳しいなぁ、入れ歯でも出してくつろぐかな」
そう言うと、口から入れ歯を〝がばっ〟と出して、ぬれぬれの入れ歯をテーブルの上に〝ねちゃっ〟と置き、にやにやしていたのを記憶している。だが、事件はまだ序の口である。
次の朝、とんでもない事件が起きるのだ。かみさんが2階の寝室で寝ていると、太ももに違和感を感じた。(なんなの、いったい……)眠い目をこすり時計を見ると朝の6時であった。と同時に太ももを触っている男に気がついた。
1階で寝ていたはずのHくんがいつの間に2階の夫婦の寝室にまで入ってきていたのだ。
「へへへっ、やっと目覚めましたか、お勧めしたいサイトがありまして」
「ひぃぃぃ」
かみさんは恐怖で息が止まりそうになったが、隣で疲れて寝込んでいる私を起こすまいと必死にこらえたらしい。
「なんなんですか」
かみさんは、他人の寝室に入り込み、自分の太ももをまさぐった変質者を詰問した。
「君に見てもらいたいサイトがあるんですよ」
この時、Hくんが勧めたサイトとは、当時まだメジャーではなかったmixiであった。かみさんから報告を受けた私は、あーりんさんとHくんを駅に送っていきながら、こんなことを考えた。
(この男はもうイベントには呼ぶべきでないな)
だが、この狂気の男ともう少し付き合うことになる。
2006年10月21日に滋賀県東近江市にある太子ホールという場所で、妖怪研究家のTさんが企画した「第2回 妖怪in東近江市」が開催された。
この時は、私や怪談作家の雲谷斉さんなど数名の人間が参加し、怪談を語ったのだが、妖怪プロジェクトさんや数組のバンド、そしてHくんも参加していた。
「やばいですよ。あの男」
「そんな人だったんですか、『僕も絶対に出させてください』って言うから思わず『良いですよ』って言ってしまったんです」
企画者のTさんは、そう言いながら私の前で頭をかいた。イベント会場に着いたとき、Hくんの姿を見つけた私はTさんに確認したのだ。Hくんは、「山口敏太郎の友人です」と言って強引に参加を承諾させたらしい。
「やはり、こいつは狂ってるな」
私は思わず口から本音が漏れてしまった。
初めてHくんと遭遇した後、彼が師匠として名前をあげていたフォークミュージシャンに私は相談の電話をしたことがあった。
「毎年、Hくんが貴方のイベントに参加していますが、やはりお弟子さんなのですか?」
すると相手は数秒、押し黙ると、こんなことを口にした。
「……一度もこちらから呼んだことがないのです」
「えええっ!? まじですか!?」
「そうなんです。勝手にやってくるんです。しかも、うちの家に泊まっていくし……」
「……」
私は言葉を継げなかった。
「しかも、うちの娘の部屋に真夜中に入り込んだこともあって、怖いんですよ」
「でっ、でもお弟子さん、なんですよね?」
「……いいや、一度も、弟子にした覚えなんかないですよ」
(危なすぎる、あの男は……)
警戒していた矢先の再会であった。
東近江市でのライブは観客は少なかったものの、それなりに楽しい舞台であった。ライブ後、朝まで続く打ち上げを、Tさんが経営するお店でやるのが恒例であった。
「ようし、僕がギターで除霊をやろう」
夜中にもかかわらず、油断するとHくんは店の外でギターをかきならそうとする。
「全然変わっていない、あいつやばいな」
私は交通事故でデコボコになったHくんの坊主頭をじっと見ていた。
その夜、飲みながらの怪談会になった。おのおのが怪談を語っていく。続々と怖い話が出て物凄く盛り上がったことを記憶している。すると、自分も怪談を語りたくなったHくんが、突然話しだした。
「ぼっ、僕と恋人の話です」
その話はかなり奇妙奇天烈であった。愛し合う2人だが、女性には夫がおり、その夫とは別れて、Hくんと一緒になりたい女性が苦悶する話であった。
(どこが怪談なの?)
20名近い打ち上げメンバーの頭上ではてなマークが飛び交い、あちこちで失笑が漏れていた。
「僕と、○○さんは好きあってるんだよぉぉぉぉ!!」
とHくんが叫び始めた瞬間、かみさんと私は我が耳を疑った。
「ええっ、なんだって」
さっきまで怪談の中で言っていた女性の仮名が、突然かみさんの名前に変わったからである。かみさんの名前を知っている親しい人たちの間に不気味な雰囲気が流れた。
「やばいよ。あの人」
かみさんが独り言のようにつぶやいた。
(やっぱり、おかしい。これは警戒せねばなるまい)
私は今夜は寝てはいけないと思った。打ち上げの参加者のうち女性は奥の仮眠室に移動し、男たちは店で雑魚寝となった。
その日の早朝、うっかり寝込んでしまった私は物音に気がついた。誰かが歩いているのだ。
(あっ、あいつ、またか)
奥の女性の仮眠部屋の方に目をやった。案の定、背を丸めたHくんが忍び足で女性部屋に入ろうとしていたときであった。
「おい、待てよ! Hくん」
私はすぐさまHくんを取り押さえ、Kさんや起きてきた男連中と取り囲んだ。
「おまえ、今、何をしようとしたんだ」
「ぐわわわわっ、僕はトイレと間違えただけじゃああああ」
Hくんは鼻水とよだれを垂れ流し泣き叫んだ。
「ぶわわわっ、僕はぁ、別に悪気が、ああっあって女性部屋に入ったのではありましぇんんん」
あまりの汚い泣き面に誰もがうんざりしたところを見計らって、Hくんは泣きながらテンガロンハットを被って出ていった。
それから数日後、Hくんから謝罪の電話があったので、社会人としてやってはいけないことを注意した。Hくんは神妙な感じで聞いていたが、最後は妙なテンションで電話を切った。
「ご・めえん・なにゃ・さぁ・ぃぃ」
その日の真夜中のこと、かみさんは不気味なモノを目撃している。寝室で寝ていると隣の部屋に人の気配を感じた。
(誰か、いるの?)
眠い目をこすりながら、よくよく見てみると……。──全裸の坊主頭の男が立っていた。片手で自らのペニスを握り、よだれと鼻水をたらしながら、
「ご・めえん・なにゃ・さぁ・ぃぃ」
と繰り返す、半透明の化け物がいたのだ。
「ああっ、Hさん!!」
そうかみさんが指摘すると、
「ご・めえん・なにゃ・さぁ・ぃぃ」
と言いながら、全裸の坊主頭幽霊は、自分のペニスをこすりながら寄ってきた。
「やっ、やめてえ」
かみさんはそのまま気を失った。
「ご・めえん・なにゃ・さぁ・ぃぃ」
結局、その事件はそのまま幕切れとなるのだが、半年ぐらい経って、Hくんから私の自宅にファックスが届いた。
「いまどき、ファックス?」
そう言って見た私は爆笑を禁じえなかった。こんな文面だったからである。
〝山口貧太郎へ、俺の電話番号が変わったので教えてやる by H〟
敏太郎を「貧」太郎にするなんて、狂ってるわりにはセンスが良すぎるではないか。