小百合ちゃんの話(滋賀県彦根市) | コワイハナシ47

小百合ちゃんの話(滋賀県彦根市)

都合五回映画化された石坂洋次郎の「青い山脈」その三作目である吉永小百合主演ヴァージョンは一九六三年(昭和三十八年)に公開された。

原作の設定を(半世紀前における)現代風にアレンジし、舞台には城下町彦根が選ばれた。実際に彦根市内でロケが行われ、主な舞台となる学校には私の母校の校舎が使われた。私は撮影の十三年後に入学し、その木造校舎で学んだのだ。

後年、衛星放送で放映されたときに友人が私の分もダビングしてくれた。

若き日の吉永小百合の可憐さもさることながら、いつでも懐かしい風景と再会できるのが嬉しい。

-小百合ちゃんの話-

彦根市に住む八十代のえつ子さんは、毎朝八時からのドラマを観たあと家の裏の畑に向かう。

四季を通してその時期に成る野菜をご主人とふたりで食べる分だけ作る。たくさん穫れたときにはご近所さんにおすそ分けする。

子どもたちが独立しご主人とふたり暮らしになって三十年。そうした穏やかな毎日を過ごしている。

えつ子さんには毎朝畑に行く楽しみがもうひとつある。

畑の数メートル向こうが一段高い道路になっていて、その道がある高校への通学路になっているのだ。

「学生さんはね。電車で来て駅から歩く子も、自転車の子も、朝はだいたい同じ時間に決まった子が通るんよ」

つまり、畑にいることで、見るともなしに三年間の成長を見守ることになるのだという。

女の子であればだんだん髪が伸び、やがて薄くお化粧をするようになる。ちょっと前までは初々しく緊張した顔で歩いていたのにと思っていると、ある春すぱっと見なくなる。

「ああ、卒業したのか」と、そのときになって当たり前のことに気づく。

男の子も同じである。少年がたくましい青年に変っていくのがなんとも頼もしく、自分とは関係がないのに嬉しくもあるという。

またあるときには、入学当初別々に歩いていた男女が、いつの頃からか引っつくようにして並んで歩いて来る……。

そうした姿を毎朝見ているうちに、名前も知らない彼ら彼女らとの細やかな縁を感じるのだという。

「もうずいぶん前のことになるんやけど……。男女の二人乗りの自転車が通るようになってね……。女の子は両膝を揃えた横座りでね」

昔は自転車の二人乗りも現在ほどうるさく注意されず、それほどめずらしい光景ではなかった。しかしそれも繁華街や市街地でのことであって、そうして男女が学校まで二人乗りで来る姿はどうしても目についた。

女生徒は脚を怪我しているのだろうか、あるいはなにか事情があってのことだろうか、と考えたという。その学校は生徒同士の二人乗りが通常化しているようなヤンチャなタイプの高校ではなかったからである。

そのうちえつ子さんは、うしろの女生徒は同じなのに彼女をのせる男子生徒が日によって違うことに気づいた。

男子生徒たちが交代でのせてあげているのだろうか。まさか女生徒が男の子たちを手玉に取ってタクシー代わりにしているのでもあるまい……。

自転車のうしろにのっている女生徒は、小柄で清楚な感じの女の子だった。当時においてもさらに古風な雰囲気を纏っているように見えた。

しかしいつも見ているはずなのに、彼女の顔だけは色白で大人しそうな顔というあやふやな記憶しか残らないという不思議があった。その反面、可愛い顔に違いないという妙な確信だけはある。

えつ子さんはなぜかその女生徒に惹かれた。

そしてえつ子さんは、登校する集団のなかの特定の人物に、その時初めて自分だけの呼び名をつけた。

小百合ちゃん。

えつ子さんの世代が清楚で可愛い女の子をイメージして真っ先に思い浮かべる名前であった。

やがて、もしかしたら小百合ちゃんはこの世の人間ではないのでは、と思い始めた。自転車を漕ぐ男子生徒から、異性をのせて走っているという高揚や緊張がまったく感じられなかったからである。

まだ男女ともに照れや恥じらいがある年齢である。ならば、男子生徒は小百合ちゃんの存在をまったく意識していない、そう考えるのが自然だった。

「私はそれまで幽霊を見たこともなかったし、信じてもいなかったんやけど。何となくわかったと言うしかないんですよ。ああ、もしかしたらあれがそうなのか……と」

小百合ちゃんはいつも黙ったまま自転車の荷台に横座りして、男子生徒の腰にそっと手を回していた。

そして、えつ子さんの顔を見ながら通り過ぎる。

薄い印象しかないとはいえ、その顔は、幽霊の一般的なイメージにあるような寂し気な顔でもなく、何かを恨んでいる風でも訴える風でもなく、むしろ逆にいつも微笑んでいるように思えた。

もしも幽霊然とした怖ろしい顔をしていたら、怖がって大騒ぎしていたかもしれない。

いつしかえつ子さんは、小百合ちゃんの存在を朝の光景の一部として受け入れるようになった。特別に意識することがなくなった、と言いかえてもいい。

それは、依然頭のどこかに小百合ちゃんは幽霊ではなく、自分の頭が誤作動を起こして作りだした幻覚かもしれないという思いがあったのと同時に、数日に一度、ほんの何秒間か触れ合うことに、奇妙な縁のようなものを感じ始めていたからでもあった。

小百合ちゃんは高校生なのだが、というよりもこの世の人間ではないかもしれないが、そうしたものを超えてなおそこはかとない情を感じたという。

えつ子さんは、小百合ちゃんのことをご主人をはじめ身近な誰にも話さなかった。下手に話して心配した旦那が大騒ぎしても困るし、病院に行けなどと言われてもたまらない。もしも困ったことになれば、そのときに話をすればいいと思っていた。

小百合ちゃんとは、世代も住む世界も違う友人ということでいいではないか。

彼女が何者であっても、朝、一瞬出会うだけの関係。

心の中で「おはよう」と言うだけの関係。

何も困るようなことはない。

えつ子さんはそう考えていた。

ある夜、えつ子さんは畑にいる夢を見た。

いつもと同じような朝。見慣れた生徒の集団が通っていく。

あっ小百合ちゃんだ、と思ったとき、小百合ちゃんが自転車から下りて、畑まで歩いてきた。

はじめて近くで向き合った小百合ちゃんは、思っていた通り吉永小百合に負けないくらい可愛い女の子だった。

えつ子さんは、なぜか涙が溢れて止まらなくなった。

話したいことはたくさんあるのに言葉が出て来ない……。

やはり何か小百合ちゃんと自分は通ずるものがあったのだ、と思うだけでいっそう涙が溢れる。

小百合ちゃんはえつ子さんを見つめたまま黙って微笑んでいた。

そしてそのうち、黙ったまますーっと消えてしまった。

なぜかその夢を機に、朝、小百合ちゃんを見かけることが少なくなった。

一週間に一度が半月に一度になり、ひと月に一度が数か月に一度になりというふうに減っていったという。

やがて小百合ちゃんは、えつ子さんの前に姿を現わさなくなった。

小百合ちゃんが現れなくなってしばらく経ったころ、幾つもの幸運が重なる形で、えつ子さんは自身の躰に潜んだ大きな病を早期発見することができた。日頃はいたって健康で大の病院嫌いだったえつ子さんからすれば、その発見は奇跡ともいえる成行きだった。

そのお蔭で現在の自分があると感謝しているが、それが小百合ちゃんと関係があるのかどうかはいまでもわからないという。

「何の取柄も手柄もない生涯だったから、人生のうちのほんの一時期、自分だけに特別な友だちがいたということも私にとっては大切な思い出のひとつなんよ」

もう一度会いたいねえ。

嫌でももうすぐ向こうで会えるかもねぇ。

えつ子さんはそう言って静かに微笑んだ。

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