みぃさん(滋賀県長浜市) | コワイハナシ47

みぃさん(滋賀県長浜市)

畑で野菜などを栽培している人が、どうしても特定の野菜だけが上手く育てられないことを指して「手を嫌う」(その野菜に自身の手が嫌われている)という表現をすることがある。

たとえば「わたしは茄子に手を嫌われているから……」と、他の野菜は上手くできるのに、茄子だけはいくら苦労しても上手く生(な)らすことができない場合に、あきらめめいた口調で使われるのである。

もしかしたら滋賀県近辺だけの言い回しなのかもしれないが(検索を掛けてみたところ、梅や糠はあったが野菜のそれにはヒットしなかった)私も祖母や母からそのような言葉を聞いたことがある。

子ども心に、育てる方も育てられる方も生き物なのだからきっと相性のようなものがあるのだろう、と思った記憶がある。

この話も「作物が手を嫌う」話だが、少し毛色が違うようだ。

-みぃさん-

長浜市にお住いの恵津子さんは今年七十六歳。二歳年上のご主人と二人暮らしをしておられる。

恵津子さんは嫁いできたときから趣味と実益を兼ねて、自宅の裏の畑で野菜をつくっている。山間にある自宅の裏を耕した畑は、農家のスケールには及ばないものの家族ふたりが食べるには十分な量の野菜がとれる。

食べきれない分はH市に住む娘の家に持って行ってあげたり、大阪にいる孫娘に送ったりするという。たいていはそれでも余るから近所の人や知人におすそ分けする。

恵津子さんは幼いころから両親の畑づくりを見て育ったこともあり、時季に合わせてさまざまな野菜をつくることができた。恵津子さんのつくる大きくて味の良い野菜は皆から喜ばれる。知人の誰もが、季節ごとの野菜のおすそ分けを楽しみにしている。

本当はもっと作りたい種類があるのだけれど……、と恵津子さんは思う。

娘さんがまだ高校生だったころのことだから、かれこれ四十年近く昔の出来事になるという。

ある日、蟻の行列が家屋に沿って続いているのを見つけた。

山間のことだから、蟻の行列自体は珍しいことではなかったが、一年に何度か家の中まで入り込むことがあった。お菓子の欠片を落としておくわけでもないのに、気がつくと蟻がぞろぞろと家の中を歩いているのである。

蟻の行列は、縁側の脚を伝い、ガラス戸の隙間から家の中に入り込んでいた。さらに仏間のへりを伝って廊下に出、さらに居間の方まで続いている。

家の中を横断した行列は台所の土間に下り、再び外に向かっていた。その行列にどんな意味があるのかは蟻に訊かなければわからないが、困ったことである。

恵津子さんは、一度本気で元を叩かなければ駄目だと思った。

殺虫剤のスプレー缶を手に行列の先頭を探した。

蟻の行列は家をひと回りする形で畑まで続いていた。

畑の端には、恵津子さんが収穫した野菜を置いたり腰かけて休んだりする大きな石がふたつ並んである。

行列の先端はそのふたつの石の隙間から地中に入っていた。

-ここが巣の入り口か。

恵津子さんは、石の隙間、地中へと続く隙間にノズルを差し入れると、一気にスプレーを発射した。

シューッという音とともに、勢い余った白い噴霧が外まであふれ出た。

と当時に、数匹の虫が地面まで這い出て来て苦しそうにもがいた。

見ると十センチほどの黒い紐のようなものが虫と同じようにくねくねと苦しんでいる。

「あっ、みぃさん」

恵津子さんは思わず声を出した。

ミミズではない。

蛇の子どもだった。

-可哀想なことをしてしまった。それに……。

畑の奥には神社があり、その一角に白蛇を祀った祠があった。

神さまのお使いに大変なことをしてしまった、と恵津子さんは青くなった。

どうしたものかと狼狽えているうちに、蛇は跳ねるようにもがきながら再び石の間に消えた。

殺虫剤を浴びたあの蛇はおそらく死んでしまうだろう。

ミミズに男の子がオシッコをかけたら大切なところが腫れると言われる。(たとえ実際は汚い手で触らない様にという戒めだとしても)実際に腫れてしまったときには、別のミミズでもいいから水で綺麗に洗って謝罪し畑に戻せば腫れは引くと聞く。

ならばと別の蛇を、といっても簡単に捕まえることはできないし、大きな蛇ならばなおさら水で洗うなんてことは怖くてできない。そもそもオシッコをかけたどころの話ではないのである。そんなことで神さまのお使いを殺めてしまったことが許されるだろうか。

恵津子さんは、心の中で「こらえてな。かんにんしてな」と何度も謝った。

もとより信心深い人であった恵津子さんは、以来、さらに神社のお世話を進んで買って出た。そして白蛇を祀った祠に出向くたびに深々と頭をさげて謝ったという。

「人間がひとり生まれて死ぬということは、こうして、悪気はなくても大小いろいろな罪を犯しながらそれを背負うていくことなんやと思います」

何か悪いことがあるとその度に「もしかして、あのことが障って……」と考えてしまうこともあるという。

けれどその反面、山間で暮らす限り避けられない事でもある。

村の一斉草刈りでは毎回何匹かのカエルや蛇が草刈り機に巻き込まれて死ぬのも事実であり、それをいつまでも気に病む人などいないのも現実なのだと恵津子さんは言う。

「このことが私の人生にどう関わっているかはわかりません。ただ、それを機に変わったことがひとつだけありました」

その翌年から、白い根菜の類だけはH子さんの「手を嫌って」上手く生(な)らなくなったのだという。

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