エール がんばれ!(滋賀県多賀町) | コワイハナシ47

エール がんばれ!(滋賀県多賀町)

御縁あって、地元のご年配の方々がお書きになり、地域の文学賞に応募された随筆や小説を読ませていただくことがある。

現在八十歳前後の方ならば、戦中、戦後間もなくに少年・少女時代を過ごし、昭和二十年代の終わりに青春時代をおくられた世代ということになる。さらに年長の方のご参加もあるし、もちろんもう少し若い方も多い。

文芸作品として見た場合の良し悪しはあるにせよ、それぞれが戦争体験を含め昔の思い出を文章にして後世に伝え残してくださることには、大きな意味があると思う。

寄せられる随筆には、過去の思い出話ばかりではなく、ボランティア活動や趣味、お孫さんとの触れ合いなど現在について書かれたものもあるが、おもしろいというか興味深いのは、ご自身が孫や曾孫を見る歳になってもなおご両親のことに触れられた作品が少なくないことである。

ある九十歳ちかい女性がお書きになった、

「先日、危うく道ばたで転んで怪我をするところでしたが、運良くそばに掴まる物があったので、怪我を逃れることができました。きっといつも見守ってくださっているお母さんのお蔭だと思います。お母さんありがとう」

という文章に触れたときには、かすかな衝撃すら覚えたが、やがてそれはまだ私自身が彼女の年齢に至っていないだけなのだ、と深く納得したことを憶えている。

いくつになっても両親を想い慕う心はなんら変ることはないということ、そしてそれは弱さではなく、人間らしい自然なことなのだということを、私は日々をまっすぐに力強く生きておられる先輩方の姿をとおして容されたような心持ちになるのである。

-エール-

琵琶湖の東部にある多賀町に住む信子さんが、何年か前に体験したこととして「怖い話ではないのですが……」と、こんな話をしてくださった。

私がこの場に書かなければ、そのまま無かったことになってしまうようなきわめて些細な怪異ではあるが、何か通ずるものを感じてくださる方もいらっしゃるのではないだろうか。

現在六十代の信子さんのご両親が離婚したのは、信子さんが小学校の低学年のころのことだった。実家との折り合いが良くなかったお母さんは、以来、誰に頼ることもなく女手一つで信子さんを育ててくれたという。

小学校も中学校も友人に恵まれて楽しかったが、当時の社会はまだシングル・マザーとその子どもに対する理解は薄く、ときには不躾な冷たい風に晒されることもあった。

世界中で母子二人だけが孤立しているような辛い思いを一度もしなかった、と言えば嘘になるが、信子さんはそれでもお母さんの娘に生まれてよかった、幸せな人生だったと言う。

信子さんにとってお母さんは、母親であり、父親であり、姉であり、親友であった。

いつでもどんなときでも明るい人で、信子さんが沈んでいると、何か面白いことをして意地でも笑わそうとしたという。

お母さんは、信子さんの前ではいつも笑顔だった。

やがて信子さんは地元で知り合った男性と結婚し、ふたりの息子をもうけた。

ご主人は一人暮らしのお母さんと同居してもいいと言ってくれたが、お母さんは辞退したという。信子さんの家族は、お母さんの住む家と同じ地域に住居を構えた。

信子さんは自分が母親になって子どもを育ててみて、初めてあのころのお母さんが「歯を食いしばって笑っていた」のだということがわかったという。

やがて時は過ぎ、下の息子も就職が決まると兄と同じように家を出た。

信子さんがご主人との二人暮らしにようやく慣れ始めたころ、お母さんに癌が見つかった。

そして闘病のすえ、およそ一年後に亡くなった。

お母さんは最期までお母さんらしく明るく振舞っていたという。

お母さんが亡くなって数年後、こんどは信子さんに腫瘍が見つかった。こればかりは、なぜと誰かに問うてみたところで詮無い事である。

幸い早期の発見であったが、やはり手術をし、その後一定の期間は経過を見守る必要がある。

お母さんの闘病と臨終をほんの何年か前に見てきたばかりの信子さんは、不安と恐怖で震えた。

お母さん助けて、とひとり泣いた夜もあったという。

ある夜のこと。

信子さんは夢の中で懐かしい小学校にいた。

校庭の真ん中にに立った信子さんが校舎の方を見やると、三階の窓になにやら大きな横断幕が掛かっている。

『信ちゃんがんばれ!』

大きな文字で、そう書かれていた。

なにこれ?と驚く間もなく、頭上から紙吹雪が舞い始めた。

紙吹雪はどこかの国のカーニバルかパレードのようだった。

見ると、お母さんが三階の窓からこちらに向かって手を振っている。

若く元気な頃のお母さんだ。

思わず「お母さん」と叫んで手を振り返す。

お母さんは何か大声で言っているようだが、なぜかそこはまったくの無音の世界で、その声は聞こえない。

きっと横断幕に書いてあるように、がんばれがんばれと言ってくれているのだろう。

お母さんは、泣き笑いのような顔のまま、ずっと手を振り続けている。

信子さんはようやくお母さんと再会できた喜びに涙を流しながらも、お母さん今までどこにいたのよ、と少し腹を立てていたという-。

翌朝、信子さんは、いままでの不安が吹っ切れたような清々しい気分で目覚めた。

濡れた枕の端に、紙吹雪の赤い色紙が一枚落ちていたという。

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