工場(こうば)長(滋賀県) | コワイハナシ47

工場(こうば)長(滋賀県)

初めてのアルバイトといえば多くの方がなんらかの思い出をお持ちであろう。

働くことの充実感や達成感、金銭を得る喜びを知る反面、思いがけない社会の洗礼を受け、あまり良い思い出ではなかったという方もおられるかもしれない。

けれども、この話をしてくださった女性ほど後味の悪い経験はそう多くないのではないだろうか。

-工場(こうば)長-

湖東地方のK市出身の愛美さんが二十年ほど前に体験された話である。

愛美さんは大学生になって初めての夏休みにアルバイトを探した。さしあたりなにか目的があったわけではないが、大学のある町の学生アパートでひとり暮らしをしている身だからお金はいくらあっても困ることはない。いくらかでも蓄えになればいいと思ってのことだった。

ただ、愛美さんは当時、人付き合いがあまり得意ではなく、不特定な人間に接する接客業やサービス業には自信がなかった。レジ打ちやコンビニでのアルバイトも気後れしてしまうほどだった。

誰とも話さず黙々と作業するようなアルバイトを探すものの、大学の近くではそう都合よく見つからない。実家の両親に話をしたところ、社長と面識があるという父親から、実家の近くの工場(こうば)で夏のあいだ人を探しているとの報せが入った。夏休みになり、愛美さんは実家からそこへアルバイトに通うことにした。

工場とは、とある精密機器の部品をつくる小さな会社だった。

普段社長は工場には居らず、Aという六十がらみの男性従業員が現場を取り仕切っていた。いわゆる「工場長」(こうばちょう)である。とはいえ正式な役職ではなくパートの皆がからかい半分にそう呼んでいたといった方が正しい。

独身だというAは一見痩せた弱々しい印象だったが、のちに内弁慶、井の中の蛙を地でいくタイプだということを思い知ることになったという。

社長以外の正社員はAだけであり、あとの従業員は近所の主婦のパートが六、七人といったところだった。

父親から前もって聞いていた、その工場では黙々と作業をすればいいという話はある意味本当だったが、予想外の現実も待っていた。

古い平屋建ての工場は仕切りのない大きなひとつの作業場になっていた。

そこで各自が作業台を使い、椅子に座って作業をする。棚や台もあり、作業中はそれぞれの姿は見えにくかった。

予想外の現実とは、Aが就業時間のあいだずっと下ネタや猥談をし続けるということであった。Aは近くで作業をするパートさんを相手に話している風を装いながらも、あからさまに工場の皆を意識しているようだった。

Aと愛美さんの作業台の位置は離れていたが、声は十分届く。したがって否応なく一日中それを聞きながら仕事をすることになった。

やがてAは若い愛美さんを狙って聞こえよがしに卑猥な話や冗談をあびせるようになった。

現在ならば大問題であろう。

くわえてAは、目下の者を馬鹿にしたりからかったりすることをコミュニケーションだとはき違えている典型的なタイプでもあった。

周囲のパート従業員も長い年月を掛けて感化されたのか、あるいは諦めているのか、まれに愛美さんに同情を含んだ苦笑いを向けてくる人もいたが、多くは笑っているだけだった。言うまでもなくAに意見する者はいなかった。Aは作業、運営において社長の信頼を得ていることをカサに着て、工場内では暴君のごとく好きなようにやっているのである。

工場のトイレは一か所、工場の中程にあった。一般家屋のそれと同じ男女共用で、和式便器が一段高く設えてある昔ながらの造りだった。ドアのノブに鍵が付いていて内側から鍵を掛けると、表示窓が青から赤に変わる。

ある日Nさんが表示が青だということを確認してトイレに入ろうとした。

ドアを開けると、目の前にAの背中があった。

きゃっ、と声が出たが、あわてて「すみません」とドアを閉めた。

Aは「○○(愛美さんの苗字)が見よった」「○○に見られた」と散々愛美さんをからかった。

あとで思えば、Aがわざと鍵を掛けずに用を足していたのは明白だった。

その後愛美さんは鍵の表示窓をあてにせず、ドアのちょうど後頭部の高さにはめ込まれたスリ硝子を見るようにした。男性が用を足している場合、下敷きをひとまわり小さくしたサイズの小窓に頭の影が映るからである。

Aは愛美さんの背後を通るときには、それほど狭いスペースでもないにもかかわらず必ず愛美さんの背中に自分の外腿を擦りつける。

作業が出来ているかどうかを確認するという風に、背後から抱え込むように愛美さんの手元を見ることもあった。

最初のうちは「はい」と応じていた愛美さんだったが、そのうち無視するようにしたという。背後にAの気配を感じても、いちいち振り返って反応しないようにしたのである。

男女共用のトイレがひとつしかないからという配慮からであろう、トイレは休憩時間でなくても行くことが許されていた。

愛美さんがトイレに行こうとすると、必ずと言っていいほど、表示窓が青にもかかわらず、スリ硝子に頭の影が映っている。

「やっぱり」

一旦戻り、少し時間を置いて行き直すのが常となった。それにしても、よくそれだけタイミングよく嫌がらせが出来るものだと感心さえしたという。

社長にも父親にも申し訳ないけれど……。

愛美さんは一週間も経たずしてアルバイトを辞めようと考えはじめた。

そう考え始めた矢先、こんなことが起き始めたという。

席を立った愛美さんがトイレの前を通ると、ドアのスリ硝子にAの頭の影が映っていた。が、トイレに来たわけではないからドアノブの表示が青でも赤でも関係ない。

ところが、ふと前方を見ると、Aは自分の作業台の前にいる。

えっ?と振り返り、トイレのドアの小窓を見ると影は消えていた。

愛美さんはきっと勘違いだったのだろうと思った。

その同じ日、作業をする愛美さんの後ろに立ちどまり、Aが背後からのぞき込んできた。

まただ。

鼻息が耳にかかるのがわかる。

いい加減にして、と心の中で叫ぶと、ばんっと音を立てて立ち上がった。

が、振り返ると誰もいない。

作業場所を見渡すと、音に驚いた皆の顔とともにAの姿もそこにあった。

もしかしたら、いままで後ろに立っていたのは、全部が全部Aではなかったのかもしれない。そう思った瞬間ぞっとしたという。

今すぐにでも家に帰りたい。

何気なく見上げると、天井近くに設置された換気扇のファンが不自然な回り方をしていた。

ファンの影が円でなく、歪に上下左右している。

やがて、それはファンのせいではなく、換気扇のファンの向こう側、つまり工場の外、高さにすれば三メートル近い空中に、人間の顔が浮かんでいるのだということがわかった。

愛美さんは思わず悲鳴を上げた。

首から上だけの顔は、回るファンをすり抜けて工場に入ってこようとしては、弾かれるように後ろに戻る、ということを延々と繰り返している。

どう考えても説明はつかないが、その首はAの顔だったという。

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