連れ帰る子(滋賀県彦根市) | コワイハナシ47

連れ帰る子(滋賀県彦根市)

赤ん坊や幼い子供が誰もいないところを見つめて微笑んだり、天井辺りを不思議そうな顔で見上げていたという話を耳にすることがある。

しかもそれらの多くは怪異としてではなく、親同士の世間話の中で、あたかも「子育てあるある」のごとく語られるのが面白い。

そうした行動も、たいていは幼稚園に通いだし小学校にあがるころにはなくなっていくものらしい。

実際にそのようなことがあったとしても、当然当人は憶えていないし、日々の子育てに追われるうちに親もいつしか忘れてしまう。

後年親子のあいだで話題に上ることがなければ、子供はともかく親ですら、そういえばそんなことがあったかな、という程度に納まるのが自然なのであろう。

-連れ帰る子-

彦根市に住む五十代の主婦久美子さんが幼かったころの話である。

久美子さんはお祖母ちゃんっ子ならぬお曾祖母ちゃんっ子だった。

曾祖母のことを「おおばあちゃん」と呼んでいた。

久美子さんは両親の都合でごく幼い頃から母親の実家に預けられることが多かった。そこでもっとも時間的に余裕のある、つまりもっとも暇な曾祖母の多美さんが久美子さんの御守りをしてくれたのである。

久美子さんが自身の幼いころにあった出来事を鮮明に語ることができるのは、久美子さんが小学校の三年生のときに亡くなった多美さんから、生前なんども話して聞かせてもらったからだという。

多美さんはたいそう信心深い人であり、それ故に霊的なものにも肯定的であった。しかし、いま思えばそれだけではなく、実際に霊感あるいは霊能力のようなものも少なからずあったのだろう。

「あんたは、よくいろんなものを連れて帰って来るねぇ」

と、いつも多美さんは久美子さんに呆れていたという。

もちろん、幼い久美子さんにはそんな自覚は微塵もないのだが。

久美子さんが最初に連れて帰ったのは、神様であった。

大人に手を引かれればなんとか石段を上れるようになった久美子さんは、ある日、多美さんと近くにある小山に祀られた神社にお詣りに行った。

石段の途中には小さな祠がいくつかあり、久美子さんたちはそのひとつずつに手を合わせた。

お詣りを終えて家に戻ると、久美子さんの様子がおかしい。

きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回していたかと思うと、突然仏間の真ん中でごろんと寝転ぶ。

「寝転ぶのはいいけど、ちょっと行儀が悪いよ」

多美さんは久美子さんにそう言った。

身体を横にし四肢を前に投げ出して寝る久美子さんを見た多美さんは

「あらまあ」と久美子さんを抱き起しその場に正座させた。

祖母と祖父も仏間に呼んだという。

「〇〇山のお稲荷様ではありませんか?」

さっき久美子さんと行った山の名をあげて多美さんが訊く。

すると、正座した久美子さんが頷いた。

「こんなボロ屋にお越しいただいても、なんのお持てなしもできませぬゆえ、どうぞお山にお帰り下さいませ」

多美さんがそう言うと、久美子さんは正座したまま二、三度、ピョンピョンと上に跳ねたという。

「この子があまりに愛(う)いから、ちょっとついて来ただけじゃ」

久美子さんはそう言うと、もう一度大きく跳ね、そのまま勢いよくばたりと横倒しに倒れた。

その場にいた祖父母にも、開け放たれた縁側から小さな気配の塊が走り出るのがわかったという-。

幼稚園になった時にはこんなこともあった。

夏休みのある日、両親とともに水泳場に行った。

両親は木陰に敷いたシートでくつろぎ、久美子さんはひとり波打ち際で砂山を作って遊んでいだ。

山の周囲を掘ってはその砂を山に積み重ねていく。やがて周囲の溝には水が溜まってお濠のようになる。

幼稚園の砂場とは違い、スペースも砂も好きなだけ使うことができるのが嬉しかった。

山ができあがったらトンネルを掘る。

山の側面に半円の線を描き、その内側の砂をかきだしていくのである。

幼稚園で作るものよりもずっと大きな山である。トンネルが半分を過ぎた辺りで山の反対側に移動して、逆方向からも同じように掘り進むことにした。

トンネルが深くなるにつれて腹這いになって腕を肩まで突っ込んだ。

やがて砂の感触がすっと軽くなり、ついにトンネルが貫通した。

「やったぁ」

早く貫通したトンネルが見たくて、急いで腕を抜いた。

腹這いの身体を起こしかけたとき、久美子さんの腕を追いかけるようにして、トンネルの口から大人の女性と思われる白い手首が、ぬっと出てきた。

驚いた久美子さんは、悲鳴を上げて両親のところに逃げ帰った。

久美子さん家族が水泳場から多美さんの家に戻ったとあと、誰のものとも知れぬ足跡がぐっしょりと濡れた染みとなって玄関から仏間までずっと続いていたという。

「久美ちゃん、また連れて帰って来たね」

多美さんはそう言うと、いつものように仏壇に向かってお経を唱え始めるのだった。

久美子さんは、それ以外にもいろいろなものを連れ帰ったが、怖い思いをすることも、不幸な出来事にみまわれることもなかったのは、多美さんの適切な対応のお蔭だったと信じている。

「わたしが参らせてもらう(死ぬ)時には、あんたの難儀な性分を全部持って行ってあげるからね」

多美さんは生前、いつも久美子さんにそう言っていた。

久美子さんが小学校の三年生以降、何も連れて帰らなくなったのは、大好きなおおばあちゃんとの約束のお蔭だという。

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