魚の目玉(滋賀県) | コワイハナシ47

魚の目玉(滋賀県)

スーパー・ボールが駄菓子屋に並ぶようになったのは小学校の二、三年生のころだと記憶しているから、今から四十四、五年前のことになる。

それまでは子どもが遊ぶボールと言えば、くにゃくにゃの庭球かプラスチックの野球のボール、あるいはピンポン玉くらいしかなく、スーパー・ボールが登場したときにはその跳ね具合に驚愕したものだ。

みんなで同時に校舎の廊下や階段に力まかせに投げつけては、映画に見る防犯用のレーザー・ビームのような軌跡を描いて跳ねるスーパー・ボールから逃げ回って遊んだものである。

そのうちスーパー・ボールを顔に受けて怪我をする子が続出し、学校では禁止になってしまったが。

値段は当時でも一個十円程したし、大きなサイズのものは五十円した。

いまのように、露店で金魚の代わりに掬われてあとは放っておかれるということはなく、それぞれマジックで名前を書いて大切に遊んだものだ。

-魚の目玉-

「昭和四十年代なかばのことやから、ずいぶん昔のことになるなあ。そのときに八十歳くらいの爺さんやったということは、えーっと……」

橋本さんは、しばらく視線を宙に結ぶと、

「明治の二十二、三年か……」

と言った。保険の外交員をしている橋本さんは、何や知らんけどそういう計算だけは得意なんやと言い、爺さんの生まれ年はこの話にはあんまり関係ないんやけどな、と笑った。

当時小学生の低学年だった橋本さんが住んでいた家の近所に、毎朝、琵琶湖で獲ってきたばかりの魚をさばいている老人がいた。それを生業にしているというわけではなく、投網を使い、自分の家で食べる分だけを趣味と実益を兼ねて獲っているという感じだった。

老人は家の裏手にある開け放った小屋の中で、ポンプ式の井戸からくみ上げた水を金属製の洗面器に受け、そこに魚のわたを指でこそげ出していた。

大抵は十センチ・メートル程の鮎のような魚だったが、ときにはその何倍もある魚もいた。

いま思えばラジオ体操からの帰り道だったのだろう。橋本さんは立ち止まってはその様子を見ていた。

朝の挨拶くらいは交わしたと思うが、何を話したのか、あるいは会話らしい会話は交わさなかったのか。そのあたりの記憶は曖昧である。

ただその老人が魚のわたを出した後、自身の入れ歯を外して、同じ洗面器でばしゃばしゃと濯いでいた光景が忘れられないという。

手入れを終えた投網は、小屋の扉に掛けて干されていた。

網にかかった木屑や水草などのゴミは板壁の下の一角にまとめられていたが、ごみの中には洗剤のボトルやセルロイドのせっけん箱のような物もあった。

ある日の夕方のこと。

網にかかったゴミをまとめてある中に、半透明のボールのようなものを見つけた。ピンポン玉をひとまわり大きくしたような大きさのそれは、なんとも言えない不思議な光沢を放っていたという。

「魚の目ん玉か?」

橋本さんは、そう独り言ちると同時にぞっとした。

マグロならともかく……、ということは大人になってからの感覚だが、当時の橋本さんも琵琶湖にそこまで大きな魚はいないような気がしていた。老人がそんなに大きな魚をさばいているのを見たことがなかったからである。

怖々近づいてみると、その球体はまさに真ん丸な眼球のように見えた。

黒目にあたる位置だけ、色が丸く濃い。

が、指で突くと見掛けのイメージと異なりかなり硬い。

「スーパー・ボールなんやろか?」

たとえそうでも爺さんにとってはゴミなのだろう。

橋本さんはそれを拾い上げた。

軽く振ってみると、なかに液体が詰まっているような揺り返しがあった。

橋本さんは、どうせ捨ててあったゴミだという意識もあって、それを少し離れたところから板壁に向けて投げた。

地面で一度バウンドして板壁に当った。

壁を使ってひとりでキャッチボールをするときのように、バウンドは大きくなって戻って来た。

トンッ(一回)……トンッ(二回)……トンッ(三回)……。

球体は真っ直ぐに橋本さんに向かってきた。

一度バウンドするたびに……どんどん大きくなりながら。

「うわーっ」

球体が橋本さんの目の前に迫ったときには、両手で一抱えもあるような大きさになっていた。

中に薄緑色の水がつまっているのが透けて見えたような気がした。

橋本さんが間一髪横に逃れると、球体は勢いを無くし、地面に転がりながら元の大きさに戻ったという。

ちょうどそのとき、たまたま森田君が通りかかった。森田君は同じ町内に住む橋本さんの一学年下の友達である。

橋本さんは、自分の見たことが信じられなかったから、というよりも、自分だけが怖い目に遭うのが嫌だったからというまさに子供じみた理不尽な理由で森田君を巻き込んだ。

「森ちゃん、このボール、壁に向かって投げてみ」

何も知らない森田くんは「何この変な目ん玉みたいなボール」と言いながら壁に向かって投げた。

やはりそれは、バウンドするごとに大きく変化しながら、真っ直ぐに森田君に向かって跳ね返って来た。

「うわーっ」

同時にふたりの叫び声が響いた。

「あの球体にぶつかった森田君はどうなってしまうんやろう、と思たら、見てられなくて、背中向けてしゃがみこんでしもたんや」

しかし、橋本さんは、たいへんなことをしてしまったと思い、すぐに振り返って森田君の様子を確認しようとした。

ところが、森田君がいない。

辺りを見て回ったが、森田君の姿も球体も忽然と消えてしまっていたという。

心配になった橋本さんは、すぐに森田君の家に行ってみた。

すると、森田君は何ごともなかったように玄関先に現れた。

橋本さんが、恐る恐る「さっきの……大丈夫なんか?」と訊くと、森田君は不思議そうな顔をして、

「さっきのって何?今日僕、橋本君と会うのいまが初めてやん」

と答えたという。

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