女だけに見えるもの(福岡県) | コワイハナシ47

女だけに見えるもの(福岡県)

「俺な、小さい頃、やたら引っ越ししてた覚えがあるねん」と、彼は言う。

彼は一度そのことを両親にたずねたことがあった。

「お前はまだ小さかったからな」

その時、姉とお母さんからこの話を聞かされたのだという。

彼の家族は父の転勤の関係で、大阪から九州の福岡県に引っ越した。彼はその時まだ幼稚園にも行かぬ幼児であった。

そこは庭のついたかなり大きな一戸建てで、この転勤にあわせて買い求めた家であるが、破格に安かったのだという。そして、荷物の整理もつかぬ引っ越し第一日目の夜だった。

真夜中。一家四人の寝ている部屋のどこからか、女の人の泣き声がする。

しくしく……しくしく……

母と幼い姉が、その声に起こされた。

部屋の電気をつける。

誰もいない。

しくしく……しくしく……

やっぱり聞こえる。

「おかあちゃん、誰やろ?」

「誰やろな。おとうさん、おとうさん」

母が気味悪がって、ぐっすり寝ている父親をゆり起こした。

「なんやいな」

「女の人の泣き声がするねんけど」

「なにねぼけてんねん」

父には、声が聞こえないらしい。しかし、母と姉にははっきりと聞こえてくる。

「おかあちゃん、まだ聞こえる。庭の方からや」

「ほんまやな。おとうさん、おとうさん」

「なんやいな」

「やっぱり、する………」

「なにが」

「女の人の泣き声。気味悪いからおとうさん、ちょっと起きて見てみてぇな」

「そんなもんせぇへん」

「聞こえるねん。ほんまやて」

「気のせいや」

「そんなこと言わんと、この子かて気味悪がってるやんか。見てみてぇな」

「しゃあないなぁ、どっから聞こえるねん」

「どうも、庭からみたいなんやけど」

父が重い腰をあげた。

四人が寝ている部屋の障子を開けると、そこは縁側になっている。その縁側の雨戸をガラガラと開ければ、庭である。家の中からもれる明かりと月明かりに照らされて、庭の様子がよく見える。なんのへんてつもない松の木があるが、誰がいるわけでもない。

母は、そのまままんじりともせずに朝を迎えた。

翌朝、父は出社の身じたくをしていた。

母と姉は夜も眠れず目はうつろで、しきりに父に哀願する。

「おとうさん、ここ引っ越しましょう。ここ、ようないみたいや」

「なにをアホなこと言うとるんや。引っ越したばっかりやないか」

まともに取り合う気もなく、父は洋服ダンスの扉を開け、裏側についている鏡を覗のぞき込んでネクタイをしめた、その時だ。

母が絶叫し、その場にへたりこんでしまう。

声をききつけて、姉が入ってきた。

「どーしたん?きゃー」

父にはなにもわからない。

「なんや。どうしたんや」

と母に近づこうとした途端、彼女たちは逃げていった。

父は不審に思いながらも出社していったらしい。

夕方、父が帰ると誰もいない。

しばらくすると子供ふたりを連れて母が帰って来た。

「おい、荷物の整理もせんとどこ行ってたんや」

「すみません、ちょっとご近所の人に挨あい拶さつを……」

「隣?わしの帰って来る時間くらいわかっとるやろう」

「……」

「それと、おい、ここの洋服ダンスどこへやった?」

「売りました」

「売った?なんでや、まだ買いたてのタンスやないか」

「おとうさん……ほんまに気づいてない?ほんまになにも見てない?」

「なにをや」

母は、朝見たものを語った。

洋服ダンスの鏡。それを覗き込みネクタイをしめている父。その首に鏡の中からもう一組の腕がからみついている。父の首を軽く絞めているのだ。

こちらに近づいてくる父の首に、腕はからみついたまま、歩く距離の分、ずるずるとのびてくる、歩けば歩くほど、その腕はだらりとのびつづける。

鏡から何メートルにもわたってのびる白い腕。その様相はろくろ首ならぬろくろ腕であった。

「そんなあほな、わしは見てないぞ。そんなはなし信じられるか。それより明日あのタンス返してもろてこい」

父は母の説明に耳を貸さなかった。

その夜も庭先からすすり泣きが聞こえはじめた。

母はまた恐怖にたえきれず父を起こす。

「またか。つかれてるんや。寝かせてくれ」

また昨日のように取り合ってくれないのかと思い、母は言った。

「庭の方で音がしたんやけど。泥棒と違うやろか」

「なに!泥棒!」

泥棒ときいて飛び起き、父は雨戸を開けた。

「誰もおらへんぞ。どこで物音がしたんや」

父が振り返った瞬間、母の目に松の木の枝で首をくくった着物姿の女性が映った。

「キャッ!!」

頭から布団をかぶってうずくまる母。

父はなんだ、なにがあったんだと母を問いただしたが、彼女はうずくまったまま一言も口をきかなかった。

三日目の朝、母は訴えた。もしここを引っ越さないなら、離婚するという。

「大阪へ帰りましょう。今の仕事もやめて。私、もう耐えられません。それがダメなら子供たちと一緒に実家に帰らせていただきます」

そして、母は子供を連れ、近所の旅館に移ったのである。

しばらくして父は仕事をやめ、一家は大阪に戻った。

残された福岡の家は、空き家にするにはもったいないということで借家とし、一家の当面の収入源となった。

すぐに借り手が決まったが、一週間ともたなかった。その後、何人かそこに住んだが、いずれも長続きはしない。

とうとう借り手がなくなり、何日かたったある朝。

出勤の身じたくをしている父の首に、鏡から白く細い腕がのびていた。

その時母は、逃げられないと思ったそうだ。

友人という友人に電話をかけ、御お祓いをしてくれる人を探す。霊能者は見つかったが、父が頑として反対した。母娘はなおも泣いて訴えた。

とくに娘の異常なまでの態度が父を動かした。

翌朝、霊能者がやってきた。

「あなた方、えらいものにとり憑つかれはってんねぇ。なにをして、こんなんにとり憑かれはったん?」

家に一歩入るなり、霊能者が言った。

母が今までの事情を話した。

「家を手放しなさい」

と霊能者は言った。

それまでは住んでいた人間に訴えつづけていたものが、住む人がいなくなったので、持ち主を追いかけてきたのだそうだ。

当然父は猛反対したが、「家族の命にかかわりますよ」とまで言われて返す言葉を失った。

家はかなり安い価格で不動産屋に売り払われたという。

あの頃は、おまえは小さすぎて、なにも知らずに寝ていたからなあ……と母と姉は語ったのだという。

女だけに見えた白く細く長い腕の話である。

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