隣の部屋の黒手袋女(東京都) | コワイハナシ47

隣の部屋の黒手袋女(東京都)

東京へ行くと、彼のアパートによく泊めてもらった。

夜中になっても平気で騒いだり、ステレオをガンガン鳴らしている。

「隣から苦情は来ないのか?」

今まで一度もそういうクレームは来たことがないという。

彼の部屋は文化住宅の二階の一番端にあって、下の住人はほとんど帰って来ることがないようだし、隣の人もおとなしいのか、気にしていないのか、まったくなにも言ってこない。

最初のうちは遠慮していたのだが、いつのまにやらこうなったのだという。

「だから俺にとってこんなに理想的な空間はない」

と、彼はいつも遊びに来た友人たちに言っていた。

隣の住人とは、あまり顔を合わせることはないのだが、それでもたまに会うと会釈をする程度である。

母と娘のふたり住まいのようだ。

母親の方は、無口な普通のおばさんなのであるが、二度ほど見かけた娘が変わっているという。

夏も近いというのに、その時その娘はこんないでたちであったらしい。黒い帽子、黒いマスクと顔を被ったマフラー、サングラス、黒いツーピース、足は黒く厚いタイツのようなものを履き、黒いブーツ。そして手には黒い手袋。年齢不詳。しかしそのいでたちがかろうじて若い娘なのだろうと推測させる。

まったく肌というものを見せない黒衣の女。素顔までも完璧に被い隠した黒い女。

それを最初に見た時、身の毛がよだったという。

「しかし、きっとこれは病気かなにかのためにああいう格好をしているのだろう」

と彼は思っていた。

しかし、それからしばらくして、彼はそこを引き払ってしまった。

なにがあったのかを聞くと、隣が怖くなったのだという。

ある日の夕方、ちょっと表に出ようと玄関のドアを開けた瞬間、ちょうどそこを通りかかった黒衣の娘にぶつかった。その拍子に、娘が持っていた紙袋から果物や缶詰などが飛び出して、狭い廊下にこぼれ落ちた。

「あっ、すみません」

彼は慌てて、そのこぼれたものを拾って娘に手渡そうとするが、娘はそれをまったく無視するように隣の、娘にとっては自宅の玄関のドアに手をかけて中に入ろうとする。彼はそのまま中へ入っていく彼女の紙袋の中に、拾ったものを押し込んだ。

娘は無言でドアを閉めて、姿を消した。

その時、彼は妙なものを見た。

その娘がドアを閉める時、のばした彼女の手首の部分が、わずかに黒い上着の袖そでがちらりとめくれて、娘の素肌が見えたのだ。

素肌ではなかった。

そこには一枚の薄い金属の板があった。そして黒い手袋の中の手の部分に向かって、何十本かの小さなビスがいっぱい打たれていた。

最初それは義手かと思ったそうだ。

その夜、遊びに来た友人にそのことを話した。

「バカ、そんな変な義手なんてあるものか」

そう言われて、はっと思ったという。

ドアのノブをひねって開閉したその手は、義手のそれではない。しかも、薄い金属板の義手など考えられないではないか。だとすると、あの娘の身体というものは、いったいなんなのか?なにをあの黒衣で隠しているのか?

その時同時に、いつもひっそりとしている隣を思い出した。

いくら騒いでもなにひとつ言ってこないばかりか、今まで隣から物音ひとつしたことがなかったのだ。音が、生活の音が、まったくしなかった。こんなに薄い壁だというのに。

あの娘は、母と娘のふたりは、この薄い壁をへだてた隣で、いったいどんな生活をいとなんでいるのだろう。

まったく音のない生活。あの娘の正体……。

もし、今、この薄い壁がどうと倒れて、隣で展開されている世界を知ってしまったら……。

それを考えると同時に、もうそこにはいられなくなった。

だから、彼はそこを引き払ったそうである。

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