二〇一五年の秋、同じ大学に通う千穂さんと敦子さんが仙台市内を旅していた時のことだった。
夜行バスで新宿から仙台に向かった千穂さん達。車内ではよく眠れたこともあり、早朝から松島方面を観光して回った。遊覧船に乗ったり、瑞巌寺を参拝したり、千穂さん達は松島の魅力を堪能した。
夕方になり、千穂さん達は宿泊予定のホテルがある仙台駅前に戻った。だが、まだ時間はあるので、欲張ってもう少し観光しようということになった。
千穂さんが「バスでどこかへ行ってみようよ」と言い出し、バスの案内所を訪ねた。すると、係員から仙台城跡をはじめ、市内の主な観光ポイントを循環する「るーぷる仙台」というバスがあることを教えてもらった。復古調な外観のバスで、観光客には人気があるらしい。乗り場も案内所のすぐ目の前にあり、そろそろ出発する時間だという。千穂さん達は急いで「るーぷる仙台」に飛び乗った。
観光シーズンでもなかったためか、バスにはほとんど乗客はいなかった。
千穂さん達はバスの最後尾に腰掛けた。そして、「ずっとバスに乗ったまま、夕暮れ時の仙台市内を観ているだけでも楽しいよね」「うん、明日の観光の下見にもなるし」などと話し合った。
四十分くらい経った頃、初老の男性が乗車してきた。男性はバスの出入り口側に腰かけた。膝の上には宮城県のガイドブックを四、五冊も乗せている。
人懐っこい千穂さんは、その男性に声を掛けた。
「観光ですか? どこかおすすめはありますか?」
すると初老の男性は、窓の外を指差して言った。
「次で降りなさい。面白いものがありますよ」
千穂さんが外を見ると、木が茂る隙間から何やら塔のようなものが建っているのが見えた。
(あれは、いったい、何だろう?)と千穂さんが考えていると、男性が勝手に降車ボタンを押してしまった。
バスが停留所に停まった。そして、男性が「降りなさい」と急き立てるように千穂さんに向かって手を振ってきた。
千穂さんは男性の強引さに驚きながらも、降りなくてはいけない雰囲気を感じて、敦子さんの手を引いてバスを降りた。
敦子さんは驚いた顔で「どこへ行くの?」と聞いてきた。
千穂さんは「塔のようなものを観るように勧められたの」と答えながら、バスで通った道を戻り始めた。
男性が指差した場所へ着くと、そこは公園だった。そして、木々の隙間から見えた塔の正体が分かった。
それは巨大なこけしだった。案内板によると、こけしの高さは七・四メートルで、台座を含めると十メートル近くもあるという。
しかし、こけしは巨大ではあるが、下がった眉に小さな目、そしておちょぼ口の愛らしい顔をしていた。
千穂さん達はこけしを見上げながら、「すごいよね、このこけし」「来て良かったね」などとはしゃいだ。
千穂さんはバッグからデジカメを取り出し、こけしに向けてシャッターを切った。そして、すぐに画像を確認した。ところが、なぜか画像は真っ黒で何も写っていなかった。
暗かったせいかもしれないと思った。しかし、夕方とはいえ、全く写らないほどの暗さではないはずだ。
千穂さんはもう一度、撮影して、画像を確認した。今度はちゃんと写っていた。しかし、こけしの顔がなかった。
千穂さんは驚いて、再び画像をよく見てみた。すると、こけしの顔がなくなっているわけではないことが分かった。雲のようなものがこけしの顔の辺りを覆い隠していただけだったのだ。
しかし、そんな不思議な雲があるだろうか。千穂さんは顔を上げてこけしを見たが、どこにも雲は存在しなかった。
千穂さんは「これじゃ、意味ないよね」と言って、画像を削除した。そして、再度、デジカメを構えた。
すると、突然、激しく雪が降り始めた。千穂さん達は驚いて空を見上げた。しかし、雪はすぐに止んでしまった。
千穂さんは「もしかして、このこけし、写真を撮られたくないのかな」と呟いた。敦子さんは「そんなはずないじゃない」と否定する。
確かにその通りだと思った千穂さんは、もう一度デジカメを構えた。そして、撮影後、敦子さんと一緒にデジカメの画像を確認した。
「あ!」
二人は同時に悲鳴を上げた。
そこには、眉を吊り上げて、口を尖らせたこけしの顔が写っていたのだ。二人は恐ろしさのあまり震えて次の言葉が出なかった。
千穂さんは泣きそうになりながら、気味の悪い画像を削除した。そして「暗くなってきたし、駅まで戻ってホテルへチェックインしよう」と声を絞り出すように言った。
千穂さん達は無言で歩いた。
停留所に着くと千穂さんは、次に来るバスの時間をチェックしようと、時刻表を見た。すると敦子さんが「ラッキー! るーぷるが来たよ」と声をかけてきた。
バスのドアが開き、敦子さんがステップに片足をかけて、千穂さんに「早く乗ろう」と呼びかけてきた。
だが、千穂さんは「乗っちゃダメ!」と敦子さんを止めた。そして、敦子さんが乗らないように手招きをした。
敦子さんは乗るのを諦めて千穂さんのそばへ来ると、「早く駅まで帰りたいのにどうして?」と尋ねてきた。
千穂さんは、停留所の時刻表を見ながら説明した。
「るーぷるの最終は、もうないんだよ」
すると、バスは扉を閉めてゆっくりと走り出した。
バスを見ると、車内はとても暗かった。運行しているバスではなく、回送中なのだろうかと千穂さんは思った。
そして、ゆっくりと前に進んでいくバスを目で追った。すると、最後尾の席に行きで会った初老の男性がいるのに気が付いた。男性は千穂さん達の方を見て、にんまりと笑いかけたように見えた。
千穂さんと敦子さんは短い悲鳴を上げて、顔を見合わせた。
「なんなの? いったい……」
二人は再び、不思議なバスの方に視線を向けた。ところが、バスは跡形もなく姿を消していた。