休日明けの朝だった。聖子さんは、いつものように自宅を出て、自動車で勤め先へ向かった。だが、途中で自動車を停めると、体調が悪いので休暇をとりたいと会社に連絡をした。
聖子さんは入社して間もなく、違う部署の先輩を好きになった。だが、ほとんど話もしないまま、その人は先週末に退職してしまった。もう会えないのだと思うと、出勤する気持ちが失せてしまったのだ。
しかし、Uターンして自宅に帰るのも嫌だった。出勤しなかった理由を家族に話すのが億劫だったからだ。
聖子さんは「国営みちのく杜の湖畔公園」へ行くことにした。それは、好きな人がそこのポピーの花畑がとてもきれいだと話していたからだ。聖子さんは、社員食堂で隣のテーブルからその話を聞いていたことを思い出した。
国営みちのく杜の湖畔公園へ着いた。先日まで開催されていた「ポピーまつり」が終わったこともあって、園内は閑散としていた。どんよりとした曇り空の平日だったこともあるのかもしれない。しかしまつりは終わっても、ポピーはまだ美しく咲いていた。
ポピーは、赤だったり、濃い桃色だったり、少しオレンジ色がかかっていたり……。花びらの色と、茎や葉の濃い緑色とのコントラストを、聖子さんはぼんやりと眺めていた。
聖子さんの頭の中に、ふと「この世のものとは思えない美しさ」という言葉が浮かんだ。そして、なんだか悲しくなった。
いつの間にか、花畑の周りにいた見物客は皆、他の場所へ移動したのか、誰もいなくなっていた。一人きりになった聖子さんは、ポピーの花畑を見回して、一層その広さを感じた。
その時、花畑の向こう側に人影を見つけた。誰もいないと思っていたのに、突然その人が現れたようで不思議な気がした。
聖子さんはその人を見つめた。するとその人が、好きだった人に似ていることに気が付いた。
聖子さんは思春期以降、何人かに恋をした。だが、好きになった人へ、自分から思いを伝えたことは一度もなかった。それは、聖子さんが引っ込み思案だったからだけではなく、好きになった人が皆、同性だったからだ。
花畑を挟んで、向こう側に立つ女性は白いコットンのシャツとジーンズが良く似合っていた。そして、長い髪を風になびかせていた。そんな姿も、聖子さんが好きだった人に瓜二つだった。
しかし、その女性の顔は見えない。まるで聖子さんが見つめていることに気が付いているかのように、聖子さんの方へ顔を向けない。
(あの人は、私と話をしたくないので無視しているのかも……)聖子さんは、悲しい気持ちになりながらも、その女性から目が離せなかった。
すると突然、女性が聖子さんを見つめ返し、にっこりと笑いかけたのだ。
それを見た聖子さんは、うれしくなって女性に話しかけたいと思った。ちょっとした世間話でもいい。
聖子さんは、目の前の花畑を迂回する道を探した。随分と遠回りすることになりそうだ。その間に、女性は立ち去ってしまうかもしれない。
今は二人以外に見物客はいない。聖子さんは思い切ってポピーの花畑に分け入って、真っすぐに向こう側まで行ってしまおうと考えた。
聖子さんはポピーの花を両手でかき分け、一歩を踏み出そうとした。そして、目指す向こう側に目をやると、確かにいたはずの女性の姿が消えていた。
聖子さんは焦って辺りを見回した。だが、どこにも女性の姿はない。まさか忽然と消えるはずはない。もしかしたら、花の向こうに身を低くして隠れてしまったのではないかと、聖子さんは思った。それなら、自分には会いたくないのかもしれないと、また悲しい気持ちになった。
それでも聖子さんは、女性がいた場所へ近付きたくて、無理をせずに迂回する道を歩いて向こう側へ行ってみることにした。
そこには女性の姿はなかった。そして、彼女がいた近くのポピーが、そこだけ元気なく萎れていた。
霊的なものが現れると、周りのものは生気を失うという。もしかしたら、女性は人ではない何かだったのかもしれない。