懐旧 越後駒ヶ岳で出会った先生(新潟県魚沼市・南魚沼市) | コワイハナシ47

懐旧 越後駒ヶ岳で出会った先生(新潟県魚沼市・南魚沼市)

修さんは何年ぶりかに故郷の新潟県へ帰省した。東京での会社勤めは忙しかったが、大きなプロジェクトを終えて、久々にまとまった休暇をもらうことができたのだ。

たまにはぼんやりしたいと思っていた修さんだったが、実家でのんびりするのも二日間が限度。そこで、越後駒ヶ岳に登ることにした。

魚沼市と南魚沼市にまたがる越後駒ヶ岳は、八海山、中ノ岳とともに「越後三山」と呼ばれている。修さんにとって、越後駒ヶ岳は高校の山岳部時代に何度か登っている馴染みのある山だ。日帰りも可能だが、一泊二日の、ゆっくりとした登山を楽しむことにした。

修さんは石抱橋を出発点にして、一泊する予定の駒の小屋を目指した。四時間半ほど登って、展望が開けたなだらかな稜線に出ると、そこで年配の男性登山者に出会った。

いつものように「こんにちは」と声を掛けてすれ違うつもりだったが、修さんから出た言葉は「先生?」だった。

すると、すぐに男性からも「修か?」という問いが返って来た。出会った男性は修さんの高校時代の恩師だったのだ。

男性は国語の教師で、修さんの在学当時は山岳部の顧問だった。修さんは登山だけでなく、多くのことを先生から教わった。

高校を卒業して早二十年。仕事に就いてからは、同窓会にも参加していなかった修さんは、先生がすぐに自分の名前を呼んでくれたことがうれしかった。

下山してきた先生に、駒の小屋で一泊したのかどうかと尋ねると、日帰りで降りてきたという。相変わらずの健脚ぶりに、修さんは感心した。

しばらく昔話に花が咲いた。そのうち、修さんは二十年ぶりに出会った先生の顔にすぐ気付いた理由が分かった。先生はもうすぐ七十歳になるはずなのだが、五十代くらいにしか見えない若々しい容姿だったからだ。

今度一緒に飲もうと言って歩き出した先生が、すぐに振り返って修さんを見た。修さんは、何か言い忘れたことがあったのかと思って、問いかけるように先生の眼を見た。しかし、先生は片手を上げて、何でもないという風なそぶりを見せた後、登山道を下って行った。

ただ、昔話をしている時は元気だった先生が、別れ際には何となく顔色が優れなかったのが気になった。

その晩は、予定通り駒の小屋に泊まった。そして翌朝、修さんは山頂へ向けて再び登り始めた。

山頂の手前でお花畑に寄り道して、山頂ではゆっくりと眺めを堪能して写真を撮った。修さんは十分に満足した後、下山することにした。

来た道を戻る行程で、半分ほど下山した辺りだった。見通しがきく道を登ってくる一人の女性登山者がいた。修さんはすぐに知った顔であることが分かった。それは、東京の大学生時代に付き合っていた留美さんだった。

修さんは、会いたくないととっさに思った。かつて修さんは、留美さんが他の男と交際していると誤解し、それが元で大喧嘩。結果、留美さんにフラれていたからだ。十六、七年前のこととはいえ、修さんには何もなかったように昔話をする勇気はなかった。

しかし、山の習慣で「こんにちは」と挨拶するのが常なのに、黙って通り過ぎるのも変だ。そんなことを考えているうちに、留美さんとの距離は縮まった。修さんがうつむき加減でいると、留美さんの方から「修さん?」と声をかけてきた。

続けて留美さんに「久しぶり」と懐かしそうに話しかけられた修さん。気さくに昔話を始めた留美さんに引き込まれ、修さんもわだかまりなく留美さんの近況を尋ねることにした。

それによると、留美さんもまだ独身で、故郷の静岡へは戻らずに東京で働いているとのこと。少し前から登山を始めたのだという。修さんが、越後駒ヶ岳はアップダウンの繰り返しで難易度は高めだと言うと、留美さんは大丈夫だと笑った。

同じ東京にいるなら、また一緒に食事でもしようと話して別れることにした。歩き始めた留美さんは、すぐに振り返って修さんを見た。見送っていた修さんは、何か言いたいことでもあるのかと、立ち止まって留美さんの言葉を待った。しかし留美さんは、何でもないというふうに軽く頭を左右に振ると、かすかに微笑んで登って行った。

懐かしい人達と立て続けに出会い、昔のことを思い出した修さんは、実家に戻るとすぐに高校時代の友達と連絡をとった。仕事に夢中で、帰省も同窓会も年賀状さえご無沙汰していたが、これを機会に一緒に酒でも飲んで、付き合いを再開したいと思ったのだ。電話に出た友達も、修さんを懐かしがって今夜さっそく飲もうと、話はまとまった。

ついでに修さんが、山岳部の顧問だった先生と越後駒ヶ岳で出会った話をすると、友達は一瞬絶句した。そして修さんは思いがけないことを聞かされることになった。先生は十年以上も前に亡くなっているというのだ。

修さんの背筋を冷たいものが走り抜けた。電話を切った後も、身動き一つできずにしばらく固まっていた。出会ったのは先生の霊だったと、考えるしかなかったからだ。

修さんは東京へ戻った。また激務の日々が待っていた。週末には疲れて家に籠ることが多くなり、留美さんに連絡をしないまま二ヵ月が過ぎてしまった。

しかし、知人や友達とご無沙汰を続けていたため、先生の死を自分だけが知らずにいたので、これではいけないと思った。

修さんは、留美さんへメールを送った。でも、返信がない。メールを繰り返し送って、何度か電話もかけてみたが、連絡はとれなかった。

修さんは留美さんが心配になった。嫌な予感めいたものがあって、大学時代の共通の友達に電話をして、留美さんのことを尋ねた。すると友達は、留美さんが三ヵ月も前から行方不明だと言い出した。

それを聞いた修さんは、二ヵ月前に越後駒ヶ岳で偶然出会ったことを友達に話した。だが、話しながら修さんは、なぜか留美さんがもう亡くなっているような気がしていた。

そして、友達に別れを告げ、電話を切ろうとした瞬間、留美さんが亡くなっていると思った理由に気付いて、思わず「あっ!」と声を上げた。

先生も留美さんも、別れ際にもう一言何か言いたそうにしていた様子が、そっくりだったからだ。二人の様子を見て、修さんは後ろ髪を引かれる思いだった。

修さんは数秒間黙り込んでいた。すると、電話の向こうにいる友達から、何か言いたいことでもあるのかと問う声が聞こえてきた。

修さんは自分の気のせいであることを祈って「何でもない……」と言って、電話を切った。

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