坂の夢(兵庫県) | コワイハナシ47

坂の夢(兵庫県)

看護師の礼奈さんは小学三年生の頃、奇妙な夢を毎日のように見ていた。

雪の降り続く二月初旬、礼奈さんの父親が交通事故に遭い、入院を余儀なくされた。母親が病院に通うようになり、礼奈さんは学校から帰った後、家で一人きりで残されてしまうこともあった。夕方に母が居ない時には、叔母が夕食を作りに来てくれるようになったが、父親がいつ家に帰ってきてくれるのだろうか、父親の言うことを聞かなかったから罰が当たってしまったのかな、私のせいなのかな、などと、不安で胸が押しつぶされそうになっていた。

坂の夢を見るようになったのはそんな時だ。

礼奈さんは一人きりで、大きな樹々に挟まれた坂の下に立っている。坂の傾斜は急で、四十五度以上あるのではないかと思えた。仄暗い坂の上には青空が見える。木々の枝が左右から張り出していて、車では容易に上がれそうにないな、と感じる。

坂の上を見てみたい、と礼奈さんは強く思う。樹々を吹き抜ける青いにおいの風を感じながら、礼奈さんは急な坂をゆっくりと上っていく。

「行ってはいけません。引き返しなさい」

女性の声が頭の中で響く。おばあちゃんくらいの年の女性の声だ。だが周りを見渡しても、誰もいない。直接頭の中に話しかけられている感じで、声の主は坂の上に居るように思えた。礼奈さんは好奇心に突き動かされて、歩みを進める。立ち止まってはいけない気がしてくる。だが、頭の中で繰り返される「行ってはいけません」の声は大きくなり、頭がずきずきと痛くなってくる。右足がやけに重くなり、やがて立ち止まってしまう。すると、ぱっと目が覚める。そして、ああ、また同じ夢を見たなあ、と思う。

数ヶ月後、礼奈さんの父親は退院した。それから礼奈さんはその夢を見なくなった。

「それから二十年くらい経って、私、その坂を見つけたんですよ」

礼奈さんは三十歳になっていた。兵庫県内で海の家を経営する友人の佐々木さんに誘われ、一緒に海辺で潮干狩りなどをしながら遊んでいた。

海に落ちていく夕日がきれいで、礼奈さんが感心していると、もっときれいな場所があるよ、と佐々木さんが言って、小高い丘に車で連れて行ってくれた。

礼奈さんは車から降りた。樹々を吹き抜けてきた風に頬を撫でられ、ふと東の方を見た。

視線の先に、坂がある。高い樹々に挟まれた、薄暗い、急斜面の坂だった。

夢で何度も見たあの坂だ、と礼奈さんは思った。吸い寄せられるように坂に歩み寄っていく。

「どうしたの、ねえ」

不安そうな佐々木さんの声を聞いて、礼奈さんは我に返った。

「あの坂の先、上ったことある?」

礼奈さんが坂の方を指差すと、友人の佐々木さんは苦い顔をした。

「それ、知ってて言ってる?」

「知ってて?何かあったの?」

「うちら地元民は、知らない人はいない事件だよ。二十年前くらいの事件だけど」

佐々木さんが小学校に上がったばかりの頃、礼奈さんが指差した坂の上で、バラバラ殺人事件があったという。あの坂には近づいてはいけない、と親が子供に伝えるような場所だった。佐々木さんは夏休み中のある日の夕方、近所の悪ガキに連れられて、その坂に行ってみた。両側の松林からの枝が狭い坂に張り出していて、周りに比べてひどく暗く見えた。突如、ガキ大将だった小学三年生が「何か」を見て慌てて逃げ出し、つられるように悪ガキたちも逃げ出したのだった。ガキ大将は血まみれの女の人を見た、という。

その坂は夜中に近所の不良が肝試しに来たりする場所になり、傷害事件がたびたび起きるなど、物騒な所として知られていた。

礼奈さんはバラバラ殺人事件の詳細を知りたいと思った。二十年くらい前と言えば、ちょうど自分も夢の中でこの坂の夢を見ていた頃だ。だが佐々木さんは事件の詳細を知らなかった。気になって仕方がなくなり、礼奈さんはその坂の近くの商工会議所に勤める知り合いTに電話をかけた。Tは地元の凶悪事件の記録を収集する変わり者だった。

「ああ、その事件ね。最後の恋に破れた中年女の凶行だよ」

Tはすぐに該当する事件を調べ上げ、礼奈さんに知らせてくれた。

その坂の上には、親から譲り受けた土地と大きな家と財産で暮らしている独身の中年女性が住んでいた。ある時、近くのバーで若い男と知り合い、やがて恋仲になった。だが恋だと思っていたのは女性の方だけで、若い男はお小遣いと、身寄りのない中年女性の財産が目当てだった。あろうことか、自分と同年代の恋人を女性に内緒でその家に連れ込むようになった。若い男の裏切りを目の当たりにした女性は、台所にあった包丁で若い男とその恋人を滅多めった刺しにして殺してしまった。そして、二人の死体を風呂で解体し、庭に埋めた。犯行は二月に行われたが、六月の大雨で埋め固めた土が崩れたせいか、死体の腐敗臭が坂道にまで漂うようになり、近隣住民の通報によって警察が中年女性を取り調べることになった。だが警察が踏み込んでみると、中年女性は風呂場で自分の足の大腿動脈を切断し、出血多量で死亡していた。庭からは腐敗の進んだ二人分の切断死体が発見された。

その家の周りでは、足を引きずる血まみれの女の目撃談が相次いでいる。近所の人の話では、目撃されるのは決まって憤怒に満ちた真っ赤な目をした女性で、おそらく加害者の中年女の幽霊らしい。

礼奈さんはその場所に行ってみたいと思った。友人の佐々木さんとTと予定を合わせて、ある夏の夜、行ってみることにした。

「ここ、やっぱりやばくない?」

坂を上り出してすぐに、佐々木さんが言い出した。彼女は霊が視えるわけではないが、時々金縛りに遭い、異形のものを視る人だった。

「なんにも感じないけどなあ。お化けなんてないさ」

Tが呑気な声で言った。

礼奈さんは次第に、右足の付け根あたりに痛みを感じるようになった。最初は気のせいかとも思ったが、痛みはだんだんひどくなり、額から脂汗が吹き出てきた。加害女性が自ら切ったという大腿動脈は、右足の方に違いない、と思った。

「行ってはいけません」

礼奈さんが急に大声で叫んだので、二人は驚いた。礼奈さんも自分の声の低さに驚いた。まるで老女が自分の口を借りて言ったような奇妙な感覚を覚えた。

その声は、あの夢の中で繰り返し聞いたものと同じだった。礼奈さんは右足の激痛に耐えきれずに倒れ込んでしまい、二人に肩を借りながら坂を下ることになった。

帰宅後、右足の痛みはひいたものの、礼奈さんは激しい頭痛と吐き気に苦しんだ。

佐々木さんは、帰宅後に眠りにつこうとした時、突然現れた三人の男女から顔を覗き込まれていたという。

お化けなんてないさ、と言っていたTは、夕暮れ時、自宅の門柱の陰に血まみれの中年女を見るようになってしまった。

Tによれば、そのバラバラ殺人事件のあった場所は更地になっていて、ここ二十年、買い手がついてもすぐに離れてしまうらしい。

礼奈さんは、自分とその坂の上の家にどんな因縁があるのか、まだ把握していないという。当時事故に遭って入院していた父親も含めて、自分の家族と三人の事件関係者とのつながりは見いだせていない。

ただ、事件の加害者の名前が、自分と同じ「礼奈」であることだけはわかった。

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