神奈川県に住む主婦M子さんの話である。
四年ほど前、M子さんの自宅近くに大型のセレモニーホールができたという。
前を通る度、大書された白い板看板が立っているので、葬儀は連日埋まっているようだった。喪服を着たひとを街なかでよく見かけるようになった。
「喪服を見ると厳かな気持ちになりますよね。でも、なんというか、同時に厭だなと思うことってありませんか。忌み嫌う、というんじゃないですけど。こんなこと、あまりいわないほうがいいのかな」
死は誰にでも等しく訪れるものだ。それを避けて生活することなどできない。
ある日、予兆もなく自分がそうなってしまうかもしれないし、あるいは家族や親戚、友人や知人の誰かが、何の前触れもなくこの世からいなくなってしまうこともあるのだ。
M子さん自身、今までの人生のなかで何度かそういった死に直面してきたし、葬儀にも参列したことがあるという。もちろん喪服を着て、である。
「厭だなと思う気持ちはわかります。自然なことだと思いますよ」
私がそういうと、M子さんは少し安堵したように表情を崩した。
「以前はそれほどには思わなかったんです。でもちょっと変な経験をして──」
二年ほど前のことだという。
その日、M子さんはパート先のスーパーマーケットに自転車で向かっていた。
自宅と職場のちょうど中間の辺りにセレモニーホールはあった。
「建物の入り口に喪服のひとたちがたくさんいたので、今日もお葬式かな、って。そのとき、建物から少し離れた横断歩道の手前に男のひとが立っていたんです。ひとりでぽつんと」
男は喪服姿で大事そうになにかの箱を抱えている。よく見ると、それは骨箱だった。
お葬式を済ませた遺族の方かな、とM子さんは思った。
骨箱を持っているということは、すでに骨上げを済ませたのだろう。男は憔悴している様子で、頭が箱につくほど項垂れている。それはあまりにも痛々しい姿だった。
「あんまり見ているのも悪いですから、眼を反らして職場に向かいました。でも──」
その日だけではなかった。
その次の日も同じところに佇んでいた。骨箱を大事そうに抱え、昨日と同じように項垂れている。そして次の日も、その次の日も──。
連日のように見掛けるので、さすがにおかしいと思った。顔は見ていないが、間違いなく同じ人物である。
最初に見掛けたとき、セレモニーホールでは男性の葬儀が執り行われていた。看板を見ると、その日は女性の葬儀のようである。この四日間、毎日違うひとの葬儀が行われているはずなのだ。
男は一体、ここでなにをしているのか。本当に遺族のひとなのだろうか。
葬儀場の前で四日も続けて骨箱を抱え、項うな垂だれている男。その素性を考えるとM子さんは俄かに気味が悪くなった。
「事情は知りませんが、なんか気持ち悪いなと、そのときは思っただけでした。でも、仕事中にふと思い出しちゃったんです。最後に振り返って見たときに──」
骨箱のなかに頭がすっぽり入っていた気がするんです。
そうM子さんはいった。