十何年も前の秋のこと、Oさんたち専門学校生二十人が奈良へ遊びに行った。
Oさんたちの先生が、奈良県出身の人で、いろいろと奈良の名所を案内してもらったのである。
そうこうしているうちに、山の中腹で日が暮れはじめた。時間を見れば夕方の五時。女生徒たちはもう帰る、というのでバス停まで皆で行った。そして女の子たちをバス停に置いて男ばかり十数人は歩いて駅まで行こう、ということになった。
バス停で女の子たちと別れる時、先生が「君たち、いいか。山をあなどってはいけない。帰りは寄り道せずに、まっすぐに帰りなさいよ」と注意した。
しかし、ここから駅までは一本道。別に寄り道するつもりもない。先生の注意などあまり気にも留めず、Oさんたち男子十数人がぞろぞろと下山をはじめた。
しばらくすると、ブッブーとバスのクラクションが背後にした。見るとバスがOさんたちを追い抜いていく。車窓から、先生や女の子たちが手を振っている。
「おーい」とOさんたちも手を振って見送った。バスはそのまま山沿いの一本道を行くと、やがて見えなくなった。
と、その瞬間、あたりの雰囲気が急に変化した。さっきまでの空気とは明らかに違うのだ。
ついさっきまで鳴いていた鳥や虫の鳴き声が、ピタッとしなくなった。なにか急に別の場所へ移動したような感覚……。あたりは不自然なほどの深い静寂の中にある。
「この雰囲気、なに?」と誰かが言った。やはり皆がこの異様さを感じているのだ。
「おい、うしろ!」とまた誰かが叫ぶ。
Oさんたちは、はっとうしろを振り返った。
山の頂上に、真っ黒な雲のようなものが発生している。それが見る見る巨大化しながら、こちらへと押し寄せてきた。そしてあっというまにOさんたちは、その雲のような闇に包み込まれたのである。
あたりは暗闇に一変した。
同時に、温度が急激に下がって真冬のような寒さがOさんたちを襲った。
「これ、おかしいぞ、どうなってるんだ?」と友人たちが口々に気味悪がる。
この時、はじめてOさんたちは『山をあなどってはいけない』と注意した先生の言葉がわかった思いがした。
とりあえず歩くしかない。駅までは普通で行けば十五分くらいの道のりだ。皆は真っ暗な凍りつくような寒さのなか、ただ山道をとぼとぼと歩く。どのくらい歩いただろう……。
ぽっと、はるか行く手に小さな灯が見えた。
「駅だ!」
ひとりが叫ぶと、一斉に皆が走り出した。五分も走ればその灯のある場所につくだろう。誰もがそう思ったが、走れど走れど、その灯は一向に大きくならない。いや、かえって後退しているようにさえ思える。
「なんでこうなるんや!」と皆が口々に叫んだとたん、一転して雰囲気がもとに戻ったのだ。
あたりからはカエルの声、遠くからは車の音や、町のざわめきがしてきた。と同時に、あたり一面の暗黒の世界から、家々の明かりや、うっすらとある黄昏たそがれの太陽を浴びた山のシルエットなどが浮かび上がる。加えて、凍りつくような身体に、あたたかみが戻ってくる。そして、めざしていた駅舎が目の前に現れたのである。
Oさんはある時、たまたま民俗学の本を読んでいた時、これと同じような現象が出ていて、それが〝大入道〟とか〝のびあがり〟という妖よう怪かいの仕業だと書いてあったそうである。