無人駅舎に立つ女(長野県安曇野市) | コワイハナシ47

無人駅舎に立つ女(長野県安曇野市)

板金工のHさんが中学三年生のときだというから、今から二十年ほど前のことだ。

当時のHさんは、いわゆる不良グループに属していた。といっても、髪の色を染めたり隠れて煙草を吸ったりする程度で、それほど大それたことをしていたわけではない。

「田舎っていうのもありますが、ああいう年頃は少しヤンチャなほうがモテるんですよ」

ある日、Hさんは友人のG君の家で、いつものように漫画を読んだりテレビゲームに興じていたりしていたが、ふと壁の時計を見ると、深夜の十二時をまわっている。

G君の両親は彼が幼い頃に離婚をしており、G君は母親とのふたり暮らしだった。

母親は駅前のスナックで働いているので、毎日帰ってくる時間が遅かった。そのうえ放任主義とあって、家中に煙草の煙が充満していても、うるさくいわれることはなかったそうだ。

G君の部屋は不良グループたちにとって、まさにうってつけのたまり場だった。

「眠たくなったので、オレそろそろ行くわ、といって、原付で帰ったんです。……ええ、あのころは無免許ですけどね。喉が渇いていたので、途中で自販機に立ち寄ったんですけど─」

Hさんがポケットに手を突っ込んで小銭を探していると、自動販売機の背後から黒いもやもやとした塊が地を這うように出てきた。思わず後ずさったが、すぐに一匹の黒い子猫だとわかった。

しゃがみこんで喉をさすると、子猫は眼を細めて、されるがままになっている。

昼に買った菓子パンの残りがあることを思い出し、シートの下から取り出すと、小さくちぎって子猫に与えた。パンをくわえると、子猫は再び自販機の背後の暗がりに戻っていく。

Hさんはホットコーヒーを買って、その場で一気に飲み干すと、また原付を走らせた。

田舎道とあって、深夜になると車は殆ど走っていない。

自宅まであと三キロほどの場所に差し掛かったとき─。

道路に面して木造の無人駅舎があり、その前に桜の巨木が一本だけ生えている。

その木の下に、和服を着た女が一人で立っていた。

なぜか道路とは逆側の木のほうを向いているので、顔は見えない。後ろ姿の感じからすると、三、四十代というところか。

最終電車はとっくに終わっているはずだ。それに道路とは逆のほうを向いているのだから、タクシーを待っている様子でもない。

──なんなんだ? この女。

深夜ということもあって、少し薄気味悪く感じながら、前を通り過ぎようとした直前、突然女が振り向いた。

青い。その顔が、青い。まるで顔だけ青色のライトを浴びせたかのようである。

果たして人間はあんな顔色になれるものか。

それに振り向いたのではなく、首だけが百八十度回転したのではないのか。─瞬間、そうH君は思った。

力いっぱいアクセルを吹かした。ミラーで背後を見る余裕もない。必死の思いでなんとか自宅までたどり着いたが、激しい胸の高鳴りはなかなか収まらなかった。

翌日、HさんはG君に昨晩の出来事を話した。なにごとにも強がりたい年頃ではあったが、どうしても誰かに話したくて仕方がない。自分の心のなかだけで処理することができなかった。

帰り道に子猫にパンをあげたこと、駅舎の前で青い顔の女を見たことを話すと、G君は黙って話を聞いていたが、「なんだそれキモいな」と、ぼそりと、そう言っただけだった。

それから三日ほど経った日の学校の休み時間。

Y美という学年のマドンナ的存在の女子生徒がHさんのところにやってきて、

「H君って頭おかしいんじゃない? 子猫をひき殺したことを笑いながらひとに言いふらすなんて絶対どうかしてる。あたし猫が大好きだから、そういう神経本当に疑うよ。っていうか、最低─」

突然そんなことを言われたので、Hさんは面食らいながら、

「誰がそんなこといったんだよ、まさかGか?」

そう尋ねたが、Y美はなにも答えず、ぷいと横を向くと廊下の向こうに走り去っていった。

子猫をひき殺したとはなんのことだろう?─とそのとき、昨晩、自販機の前でパンを与えた黒い子猫のことを思い出した。

すぐにG君のところへ行き、Y美に昨晩の出来事をあることないこと脚色して話したかと問いただした。

「知らねえよ、なんのことだ? つうか、誰にも話してねえし」

という。嘘をついている感じでもないので、なぜY美があんなことを言ったのか、不思議でならなかった。

その夜もHさんはG君の家で無為な時間をすごしていた。漫画を読み終わり、ふと時計を見ると夜の十時をまわっている。その途端、昨晩のことを思い出した。

今日は早めに帰ろうと腰を上げた。原付で家路に向かう。

あの場所を避けて帰ろうとも考えたが、そうするとかなり時間がかかってしまう。それに迂回などしたら、なんだかひどい臆病者のようではないか。

余計なものを見ないよう、道路だけを見つめて走った。が、例の場所が近づいてくると、自然と意識が桜の木のほうに向いてしまう。気にするな、気にするな、と思うほどに、視界の端に入り込んでくる。これはいったいどうしたものか。すると─。

女はいない。

最終電車の前とあって、駅舎にはまだ電気が灯っている。といっても、ぼんやりとした裸電球がひとつあるだけなので、かえって寒々しい印象だった。見るかぎりではひとの姿は見受けられない。ほっと胸をなでおろした瞬間。

ライトの照らす先、道路の真ん中に小さな黒い塊があるのが見えた。

なんだろう? あれは─。

塊を避けようとして、視界にとらえたとき、Hさんはにわかに総毛立った。

動物が轢かれている。

子犬か子猫だろうか。何度も踏まれたのだろう、半ばアスファルトにへばりついたようになっている。その周囲には臓物のようなものが飛び出していて路面を濡らしていた。通り過ぎる瞬間に生臭い匂いを感じたので、死んでからそれほど時間は経っていないと思われた。

「その道は、昔からやたらと猫ばかりが轢かれるんです。犬と違って、猫は一旦飛び出したら道路を突っ切ろうとしますからね。だから、あれもたぶん猫、それも黒い子猫だったと思うんです。僕がパンをあげた猫かどうかわかりませんけど─」

その日の夜。

自宅で寝ていたHさんは夢を見た。

辺りは薄暗いが、山の稜線にはわずかに残照が見られる。黄昏から夜の帳が下りようとする、そんな夕暮れどき─。

Hさんは原付にまたがり道路を走っている。ちょうどあの駅舎に差し掛かるところだったので、なにか厭いやな予感にとらわれながら、桜の木の下を見ると─いる。

女が立っている。

あの晩と同じ和服姿。唯一違うのは、木のほうではなく、道路を向いて立っていることだ。その顔は、やはりそこだけ切り取られたように真っ青だった。

女は腕になにかを抱えている。あれは、黒い子猫ではないのか?

女はHさんのほうに向かって、なにかを叫んでいるようだった。が、高く細い声で、なんと言っているのかわからない。どうしたことか、女の顔色が青から赤、そして緑色へと虹のように変わっていく。

──と、そのときだった。

猫が女の腕から飛び出してすっと地面に降り立ったかと思うと、Hさんの原付目掛けて一目散に飛び込んできた。ガンッ!、と猫を撥ねたところで、Hさんはがばりと飛び起きた。

ぜえぜえと息が荒くなっている。夢であったことに胸をなでおろしたが、全身にじっとりと厭な汗をかいていた。

その翌朝。

休日だったので、友人の家に遊びに行こうと原付にまたがると、なにか違和感が生じた。なんだろうと降りてみると、フロントカバーの下部が大きく割れている。

どうしてこんなふうになっているのか。

もしかしたら、誰かに蹴られたのだろうか? そう思って、よく見てみると、黒い毛のようなものが付いている。

その瞬間、夢で猫を撥ねたことを思い出した。しかし、夢の話である。

なんだか気味が悪くなり、友人の家に行くのはやめて、その日は家にこもっていたという。

「あれだけの破損だったら、僕も転倒しているはずですよ。でも、そんなことはありませんし、いったいなんだったんだろうと不思議で仕方がないんです。それに変なんです。あの夢を見た日から、Y美がいったように、僕が猫を轢き殺したというのは本当だったんじゃないかって、そんなふうに思えてしまって─」

後日、学校でY美に会ったときに例の話を誰から聞いたのか尋ねてみたが、軽蔑しきったような顔をされて、口も利いてくれなかったそうだ。

その後、なんだか原付には乗る気が起きず、長いこと放置していたが、家族の誰かがいつのまにか処分したようだった。

Hさんは今も安曇野にある奇妙な体験をしたその街に住み、近くの板金工場に勤務している。

件の道路は車で日常的に通るが、女の姿はあれ以来、一度も見ていないとのこと。

ただ、轢かれた猫の死体は時折見かけるそうだ。

シェアする

フォローする