幽霊の絵馬(長野市) | コワイハナシ47

幽霊の絵馬(長野市)

天明七(一七八七)年の春のこと。

長崎の商人である中村吉蔵が、念願の赤子をようやく授かり、赤子を抱いた妻とお供の者を連れて、一家四人、信濃国の善光寺に向かったそうだ。

長崎からはどうやっても二百里(約八百キロメートル)はあるので、到着するまでに三ヶ月は掛かると思われた。

途中までは調子よく進んだが、元々体が弱かった妻が流行り病に罹かかり、大阪まで来たところで力尽き果て、ついに亡くなってしまった。

一度は引き返すことも考えたが、乳飲み児を連れた女性を見かける度に声をかけて、赤子に乳を分け与えてもらいながら、吉蔵たち一行は善光寺をめざして北国街道を歩き続けた。

丹波島の渡し(現在の長野市丹波島橋の袂)まで来たところ、突然、死んだはずの妻がどこからともなく現れたので、吉蔵とお供の者は腰を抜かさんばかりに驚いた。

妻はわが子をいとおしそうに抱きしめ、ほろほろと泣いた。

それを見た吉蔵たちも涙が止まらず、大阪で妻を弔ったことも忘れて、四人で渡し舟に乗り込み犀川を渡った。

その後、無事に善光寺に到着し、四人でお参りを済ませた。

帰途につこうと本堂を出た途端、妻の姿がうすらぼんやりとなり始め、ついには跡形もなく消えてしまった。

やはり妻はこの世の者ではなかったのだと、ふたりの男たちは少し肝が冷えるような心持ちになったが、逃げ出したくなるほど恐ろしくはならなかった。

一時いっときでも死んだ妻が自分のたちの前に姿を現すことができたのは、すべて善光寺如来様のご利益であろうと考えた吉蔵は、御礼に大きな絵馬を寺に奉納した。

それが本堂に掲げられると「幽霊の絵馬」として大変な評判になったそうだ。

現在、絵馬は本堂に隣接した日本忠霊殿(善光寺資料館)に展示されている。

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