峠道に捨てた犬(長野県北佐久郡軽井沢) | コワイハナシ47

峠道に捨てた犬(長野県北佐久郡軽井沢)

長野と群馬の県境に位置する「碓氷峠」。

旧信越本線、横川─軽井沢間の峠越えは有名だが、現在は群馬県の横川駅までとなっている。

そのすぐ近くに「碓氷峠鉄道文化村」があり、当時のあさま号や機関車EF63などが展示されているという鉄道ファンを楽しませてくれる場所だ。

碓氷峠の鉄道建設は苦労が多かった。

峠は難所中の難所。標高差五五三メートル、勾配六六・七パーミル(傾斜を表す単位)という途方もない峠越えをしなければならなかった。

太平洋と日本海の間の道を繋ぐ重要な鉄道。

最後の難関を通すことには大きな意味があった。

建設当時は技術が未熟であったため、脱線事故などかなりの死者やけが人も出たそうだ。現在は北陸新幹線が完成して、この路線は廃線となったが、明治時代にこれだけの鉄道を作り上げた偉業は忘れてはならない。眼鏡橋やトンネル群などの文化遺産が当時の苦労を偲ばせる。

また、中山道の関所があり、山越えの難所といわれた峠。

海抜九五六メートル。つづら折りの山道カーブは日光いろは坂のそれをはるかに超えるカーブ数だ。もちろん、危険な運転による事故車、故障車も多かった。冬の碓井越えは道路も凍結するので難関であることは江戸時代も今も変わらないだろう。

また、碓井バイパスと国道一八号の峠道ではカーブ数が異なる。

一九八〇年代、ドリフト族にとって、碓氷峠は格別な場所でもあった。

漫画「イニシャルD」に影響されて、国産車を改造して、走り屋の仲間と週末に峠に走りに行っていた佐藤さんの話だ。

佐藤さんは会社員で、二十二歳のころは長野市に住んでいた。

家の一階に車を置くスペースがあり、広かったので飼い犬のための犬小屋や小さな納屋を置いていた。住居は二階だった。

ある日、整備工をしている友人の吉田さんに電話をした。天気が良いので、昼から車で集合して、峠に出かけようという話になった。

「じゃあ、後でな」

電話を切り、路駐していた車を切り返して駐車場に入れた。エンジンを改造しているので、爆音が近所中に響く。そのとき一瞬何かを踏んだような違和感があった。爆音でよく聞き取れないが、

「ぎゃうん!」

何かうめくような声がした。

犬の鳴き声か。飼い犬のケンをまさか踏んだのか?

「ケンか?」

佐藤さんを奇妙な寒気が襲い、エンジンを止めた。慌てて車から降りると、

「うううううう」

苦しそうな声がする。車の周りに犬の姿はない。となると、この下か?

見ると車高を下げていた車の下にケンが挟まっているのが見えた。

ケンが自ら挟まったのか、それとも……、鎖を引っ張っても出てこない。

(今、俺が轢いたんじゃないよな?)

嫌な思いで、ケンの首輪がついているはずの鎖を引っ張った。

まさか、まさか……。

「うがああああ! うがっ!!」

断末魔のような犬の叫びが聞こえた。血が車の下から溢れている。

どうやら、首が車の隙間に挟まって出てこられないようだ。

「ケン、ごめん!」

佐藤さんは涙が出る思いで、思い切り引っ張った。

ずりずりずり……。

急に声が途切れ、悲しくも肉の塊のようになったケンの動かない体をひきずり出すことができた。

その塊は、首が半分切れていた。引っ張ったせいで首が切れているのか、轢いたせいなのか、全くわからない。

佐藤さんは焦ってパニック状態になってしまった。

(どうしたらいいんだ……?)

犬を殺した。となると、どこに通報していいのかもわからない。

しかも、ケンは佐藤さんの父親が飼っていた犬だった。

もう十六歳の老犬で、散歩に行くのがやっとだった。だから犬小屋から出ることはないと思って、後方も確認せず駐車場に入庫してしまった。

いずれにしても、父親にケンがこんな死に方をしたことは言えない。その日は出張で父親が不在だったが、キレたら狂犬より怖い親父に何て言うか、そればかり考えて焦っていた。

(とりあえず、死体を隠そう)

すぐにケンの遺体を黒いビニール袋に包んだ。柴犬の雑種だったケンは、普通の柴犬よりも大きく秋田犬くらいの大きさがあった。

「ぐう」

死んだと思っていたが、少し息があるようだった。いや、単なる死後けいれんかもしれない。

だがもう病院に連れていっても金がかかるだけだ、これからせっかく遊びに行くのに、そんな時間もない。

非情にも、そんな気持ちでケンの変わり果てた姿に目を背けつつ、袋につめこんだ。

床にまき散った血をホースの水で流し、ケンの入った袋をトランクに入れて、車を走らせた。

仲間と待ち合わせの前に峠に行き、ケンを捨てようと考えていた。

あのつづら折りの山道に捨てれば、誰も探すような人はいないだろう、と。

どこをどう走ったか覚えてないが、いつものように峠道を走行し、捨てやすそうな脇道を探した。だが、その日は後ろからどんどん車が登ってくるので、車を停める余裕がなかった。

何度目かのカーブの頃、佐藤さんの体に異変が起き始めた。

スピードを出すためにアクセルを踏み込むと、背中が異様に痛むのだ。

(落ち着け……、俺)

震えが走り、これ以上の運転は危険と思い、路肩に停めた。走り屋の一団が思いっきり爆音を立てて通りすぎた。

「おっせーんだよ!」

「邪魔だ!」

窓から放たれた怒鳴り声に一瞬苛立ちを覚えたが、今は背中が痛むので休むしかなかった。

走り屋たちは通りすぎた。トランクから黒いビニール袋を取り出し、路肩の奧の林に入って埋めようと思った。だが足元は藪や枯れ葉で覆われていて、土を掘っていたら道から見えて目立ちそうだ。

袋の中で、まだビクリと動く感触があった。

(まだ生きてるのか……)

首が半分切れているにも関わらず、ケンには息があった。死んでいないようだった。だが、もう後戻りできない。どうせすぐ死ぬ運命だ……。

「エイッ」

なるべく遠くに飛ばせるようにビニール袋を投げた。背中が痛んでいたが、その瞬間、またぎっくり腰のように、ズキンと痛んだ。

「ギャン!」

犬の最後の声が聞こえたような、鳴り続けている車のエンジン音かわからないが、何か悲鳴に近い音がして、ビニール袋はすぐにその背景に同化してしまい、林に隠れてしまったように見えた。

友人の吉田さんと待ち合わせしていたファミレスの駐車場に向かった。

「よお、佐藤。お前、何か変だな。疲れてないか?」

吉田さんは佐藤さんの表情に違和感を生じていた。

佐藤さんの顔が赤黒く、むくんだように腫れていたからだ。

そして首に異様な湿疹のようなものがある。

「いやあ、別に。最近仕事がハードでさ、ちょっと体調も良くなくて……」

しばらくケンを捨てたことは黙っていようと思ったが、やはり耐えられなくなり、吉田さんには言ってしまった。

「ああ、まあな……。ちょっと犬を轢いてしまって、捨ててきたんだ、峠にさ」

「犬? ちょっと……、捨てるのはまずくないか? せめて土に埋めるとかしないと……。犬って、野良犬でも轢いたのか?」

「いや、うちの犬なんだよ。それが。オヤジの飼ってた犬だから、バレたらマズイと思ってさ……」

「まあ……、よその家のことはわかんねえけどさ、供養したほうがいいんじゃねえ? 取りあえず、今日のお前の顔、変だよ」

「どう変なんだよ?」

「なんか、顔も首も腫れてるみたいだしさ。俺、全然霊感とかないからわっかんねえけど、なんかあるって感じだよ。憑りついてる、とは言い切れねえけど。普通の顔色じゃねえよ、お前。今日は峠もう行ってきたんなら、行くのやめるか?」

「うん……、そうだな。実はずっと背中が痛いんだよ」

「背中か……。俺の友達が、背中が痛いって言ってたら、胃潰瘍だったけど、もしかしたらそうかも知れないぜ。病院行けよ。顔色も胃が悪いとそうなるのかも知れないしな」

佐藤さんは山で遺棄した時のことを細かく話した。。

吉田さんはその話を聞いている間、ずっと膝に鳥肌が立ち、貧血の様にめまいがひどかったそうだ。

(このまま峠なんか行ったら、自分までが事故に遭ってしまう)

直感でそう思った。

いわば、霊気のようなものを感じていたのだろう。

「そうか……。そうだな。俺も気になるから、もう一度戻って供養してくるよ」

「その方がいい。いくらなんでも、飼い犬の死体を峠に捨てるなんて良くねえな」

荒っぽい吉田さんだったが、そうしたことに関してはしっかりしていた。自身が車の整備工で、事故車をよく扱うため、工場にもお祓い用の祠があり、いつも手を合わせているくらい信心深かった。

佐藤さんと吉田さんはそれきり互いに別れて帰った。

その後、佐藤さんは峠に行ったが、さっきケンを投げ捨てた路肩の場所がどうしてもわからず、日も落ちていたので見つけることができなかった。

さらに背中の痛みがひどくなり、次の日病院に行くと「脊椎ヘルニア」と診断されて、即入院手術と診断されてしまったのだ。

会社に連絡して、しばらく休むことになった。だが、ついていないもので、その会社が不渡りを出し、倒産したという連絡が来た。

付き合っていた彼女とも別れることになり、一気に状況が変わってしまった。

ヘルニアの手術もかなり難易度が高く、内側からの手術のため、内臓を取り出す大手術となった。

手術の時に麻酔を受けている最中に、常に首を絞められているような苦しさに陥った。全身麻酔なので痛みなど感じないはずなのに、首をぎゅーっと締め上げられている。完全に誰かの指がしっかりと喉を押さえている感覚になった。

いや、指じゃない。小さな手だ。子供のような小さな手の平が自分の首に手をかけている。

ケンの顔が見えた。半分溶けかかり、どす黒い肉の塊が垂れ下がって骨が出ている。その顔の下の手が、自分の首を押している。

うう、もう息ができない、苦しい、ごめん、ケンほんとにごめん……。

自分が呼吸をできていないことがわかった。

「クーン」

ケンの弱々しい声が響いた。

(ほんとにごめん、ケン、必ず連れて帰るから)

呼吸ができないままだ。ケンの足は佐藤さんの喉元を捕えたままで、外そうとしてくれない。

(ケンに連れていかれるんだな、俺は)

だが、手術中に麻酔がかかっている患者の呼吸なんてわかるのだろうか?

息ができないと不思議なもので、すううっと心地よくなってくるのだ。とにかく眠りたい、そんな風に意識が薄らいでいく。

「佐藤さん? 佐藤さん大丈夫ですか? ちょっと、呼吸低下! 血圧、脈拍低下!」

看護師と医師の声が随分遠くから響く。佐藤さんの意識はそこで終わった。

目を覚ました。

看護師や両親、吉田さんまでが佐藤さんをのぞき込んでいた。

「ヘルニア、どうなりました?」

蘇生して、最初に言った言葉がそれになった。

覗き込んだ人たちが一斉に変な顔をした。

「ヘルニア?」

「手術したでしょ? 今」

「手術はしましたけど……、ヘルニアではないですよ」

実は、佐藤さんはケンの遺体を探しに峠に行った時に追突事故に遭い、事故から三日後に目を覚ましたのだ。だが、彼はその事を全く覚えていなかった。

峠で走り屋の車に追突され、内臓が破裂するほどの瀕死の重傷を負った。肺には骨が突き刺さり、搬送されて大手術となっていたのだ。

佐藤さんは、手術と一か月位の入院生活と辛い人生を経験した気でいたが、それは昏睡状態の中で見た長い夢だったのだ。

「変な夢を見た。俺、もしかして、いい人生は過ごせないのかもしれない」

「なんでだよ」

「俺が見た夢、不幸ばっかだった」

吉田さんは同情しながら、佐藤さんの手を握った。

凍ったように冷たい手だった。

「お前が犬を捨てたりするからだよ」

「そうだよな」

か細い声で佐藤さんが答えた。

吉田さんが佐藤さんと話したのはそれが最後だった。

結局、佐藤さんはケンの死体のことを父親に謝り、碓氷峠まで探しに行ってもらった。

カーブがいくつもある中で、更に雑木林の中の特定の場所を探すのは困難であり、父親も飼い犬の遺体を見つけることはできなかった。

そして、佐藤さんは目を覚ました一か月後に、臓器不全で亡くなってしまった。

「やっぱり、ケンは最後まで恨んでいたんだと思いますよ。犬の恨みってのは相当かも知れません。飼い主に捨てられた犬も化けて出るというし」

吉田さんはそう語ってくれた。

佐藤さんは怨念の犬の首輪に引っ張られて、あの峠に向かったのかもしれない。

佐藤さんの家の駐車場には、まだケンの血のシミがこびりついているそうだ。

シェアする

フォローする