奈川渡ダム(長野県松本市) | コワイハナシ47

奈川渡ダム(長野県松本市)

昭和三十九(一九六四)年に工事が着工された奈川渡ダムは、約五年の歳月を経て完成したが、その高さは一五五メートルで、同じアーチ式のコンクリートダムとしては黒部渓谷の黒部ダムに次ぐ日本第二位だった。その後、一メートルだけ高い広島県の温井ダムが造られて、現在では三位となったが、それでも訪れてみると、その高さは圧巻のひと言である。

ダム建設といえば、古くから多くの犠牲者を生むことで知られている。

先述の黒部ダムでは一七一人もの殉職者が出たそうだ。この奈川渡ダム建設時の同時期には、すぐ近くに水殿ダムと稲核ダムも造られ、これらはまとめて「梓川三ダム」と呼ばれたが、この三つのダム工事での死者は九十九人にも上り、特に奈川渡ダムの工事で亡くなった作業員は七十五人と突出していたという。現在では、このような大規模工事が行われても、ここまで多くの死者が出ることはないが、こういった過去の悲惨な経験が事故防止に役立っているのに違いない。

この場所で写真を撮ると、複数の苦しそうな顔が写ることがあるといわれているが、成仏できない殉職者がまだこの地に留まっているのだろうか。

私(丸山)の知人が、奈川渡ダムの建設に従事したひとを知っているというので、紹介してもらうことになった。ご老人ということもあり、個人宅にお邪魔したのだが、その際にダム工事でどういう事故が多かったのかと尋ねてみると、

「どんな事故かって、コンクリの打設中に誤ってなかに落ちるモンが多かったわ。それで『大変だー!!』と騒いで工事を一旦やめちまうと、コンクリの強度が落ちてしまうもんだから、みんな見て見ぬふりよ。今じゃ考えられんかもしれんがね」

亡くなった方の人数を私がふと口に出すと、

「いんや、そんな数じゃきかねえんじゃねえかなあ。だって、あの当時は血の気の荒い連中が多かったから、揉めごとや喧嘩なんかしょっちゅうよ。それで足蹴にしたり押したりして落とす奴もいたらしいよ。コンクリのなかに沈んじまったら誰もわからねえもの。行方不明みたいな扱いだったんじゃねえのかな。まあ、突き落とす現場を直接見たわけじゃないがね」

お茶をうまそうにすすりながら、老人は眼を細めてそう語った。

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