労働力にならない老人を山に捨てる「棄老伝説」の里として有名なのは、更科(現在の千曲市)に位置する冠着山だ。別称を「姨捨山」といい、地名としてはこちらのほうが広く知られているかもしれない。
更科は古くから月見の名所として知られ、松尾芭蕉は月を見るために、わざわざこの地を訪れて『更科紀行』という俳諧紀行文を残した。
棄老伝説は全国各地に存在するが、姨捨山に伝わる話が最古のものだという。ちなみに映画『楢山節考』は、棄老伝説が元になった作品だが、姨捨山からほど近い北安曇郡小谷村の廃村でオールロケが行われている。
もっとも、この地方に老人を捨てる風習があったという記録は一切残っていないそうだ。
周辺には善光寺など寺院が多いため、仏教の経典にもある棄老を戒める逸話が、この地の伝承の起源になっているのではないかと現在では考えられているようだ。
姨捨山にある長楽寺の境内には、高さ十五メートル、幅二十五メートルほどの巨岩があるが、捨てられた老人がこの岩から身を投げたとか、悲しみのあまり岩になったという言い伝えが残っている。この巨岩の名前は、「姨石」というそうだ。
また史実として、こんな話があるという。
明治の中頃のこと。
南佐久郡川上村にある大深山古宮神社の後方、宮坂近くの道路の改修工事中に、立った姿勢で埋められた人骨が複数見つかったそうだ。
いつの時代のことか、はっきりとわかっていないが、この辺りでは六十歳になると、口減らしのために、人を生きたまま首だけ出して土のなかに埋める風習があったという。
人に息がある間は、家族がわずかな食料を与えたそうだ。