諏訪湖と女工哀史(長野県岡谷市) | コワイハナシ47

諏訪湖と女工哀史(長野県岡谷市)

長野県内には湖が多いが、最も面積が広いのは諏訪湖である。

諏訪湖は古くから訪れる者たちの心を捉え、地域のひとたちに愛されてきた、南信地方のシンボル、あるいはメルクマール(目印)といっていいだろう。

葛飾北斎の富岳三十六景にも諏訪湖から望む富士山が描かれた浮世絵があるが、これには高島城が大きく描かれており、現在の景観と比較してみるのもまた面白い。

諏訪湖にまつわる伝承は多いが、なかでも武田信玄の水中墓伝説は有名だ。

信玄は信濃国伊那郡駒場(現在の下伊那郡阿智村駒場)で死去したとされているが、死を目前にして、「自分の死を三年間秘密にせよ。その後、遺骸に甲冑を着せて諏訪湖に沈めよ」という遺言を残したという。

その後、昭和の終わり頃から国土地理院の調査が始まったが、その際に一辺が約二十五メートルほどの、菱形のなにかが湖底にあることがわかったという。それを受けて、信州大学をはじめ複数のマスコミが湖底調査に乗り出したが、それは信玄の墓標ではなく、湖底の窪みであることが判明したそうだ。もっとも、湖底には厚く泥が堆積しているので明確な事実ははわかっていないが、とても自然にできたとは思えないほど、はっきりとした菱形の造形だったとのことである。水中墓の謎は解明されていないが、今でも信じている者が多いという。

また冬季の諏訪湖では「御神渡り」が見られることで有名だ。

御神渡りとは、凍った湖面に盛り上がった氷堤ができる現象のことである。日中、気温が上がって氷が膨張すると、両側から圧力がかかり薄氷が割れて、亀裂のように氷堤ができるのだそうだ。

諏訪大社の上社と下社は、御神渡りが起こりやすい湖の両端の近くに、相対するように祀られているのだという。御神渡りは上社の男神が下社の女神のもとに歩いていった跡という、ロマンチックな伝承も残っている。

このような神秘的な言い伝えの多い諏訪湖であるが、哀しい歴史もある。

明治期から昭和初期にかけて、諏訪湖の周囲一帯では製糸業が盛んであった。群馬県の富岡製糸場の開設を機に、製糸業は日本の一大輸出産業となっていった。最盛期は日本の生糸生産は世界の八十パーセントを占めていたという。

この諏訪地域は福島や群馬に比べると新興だったが、早くから洋式機械が導入され、生糸の生産量は急速に他府県を凌駕したそうである。が、そこまでに至るには、やはり多くの代償があったのだ。

紡績工場は多くの女工たちが働いていたが、そのなかには十代前半の、まだ少女のような者までいたそうである。女工たちは飛騨地方(今の岐阜県北部)から来ているものが多かったが、当時の飛騨地方は産業がなく食べていくことができず、そのため女性たちは、はるばる野麦峠を越えて諏訪湖沿岸までやってきたのだ。

当時の女工たちの証言によると、製糸場では寝る間もなく働かされ、なにか失敗をすると平手打ちをされるなど、かなり過酷な労働環境だったようだ。その話を聞くと、今でいう「ブラック企業」を思わせる。

もっとも、労働環境はさほど悪くなかったという話もあり、「百円工女」という言葉もあったようだ。当時の百円は家が建つような大金で、熟練の女工の中にはそれだけ稼いで故郷に帰った者もいたのかもしれない。また実家の農家の仕事のほうがよほどキツかったと発言する者もいたという。だが、圧倒的に聞くことが多いのは、やはり悲惨な話である。

故郷に帰るにしても、厳冬期の野麦峠を越えることは至難の業で、凍死する者、足を滑らせて谷底に落ちて死んでしまう者もいたという。また製糸場内では結核を患って死ぬ者が多く、精神的に不安定になる者も後を絶たなかったようだ。そういった者たちは、次々と諏訪湖に身を投げたという。湖面から浮き上がってこないように、着物の袂に石をたくさん入れて入水したのだ。

連日のように女工たちの死体が上がるので、

「カラスの鳴かない日はあっても、女工が諏訪湖に飛び込まない日はない」

と、いわれるほどだったそうだ。

そのような暗い過去があったせいか、現在でもこの湖では女工と思しき幽霊の目撃談が多い。

今から十年ほど前、諏訪市に住む会社員の男性Dさんが、湖の周りをジョギングしていると、どこかからハミングのような歌声が聞こえたそうだ。周囲を見やるが誰もいない。

さほど気にせず、そのまましばらく走っていたが、歌声があまりにも長く聞こえるので、おかしいと思った瞬間、湖のなかから腕だけが四、五本、音もなくぬうっと出てきたので、驚きのあまり足がもつれ、その場に激しく転倒してしまった。

湖面から出ている腕の色は、たとえようもないほど青白く、今でもたまに夢に見てしまうそうだ。また不思議なのは、たった一度耳にしただけの歌─しかもハミングだというのに、そのメロディが頭にこびりついてしまったことだった。

現代風の曲ではないため、なんというタイトルか長らくわからなかったが、数年前にテレビの懐メロ番組を観ているときに流れた『からたちの花』(作詞・北原白秋 作曲・山田耕作)という唱歌によく似ていたという。

諏訪湖では、現在でも時折溺死体が上がるが、多くは釜口水門の近くに浮いているそうだ。平成十八(二○○六)年には行方不明になった男子小学生が、やはりこの釜口水門で水死体となって発見されるという痛ましい事故があった。

水門付近には時代にとり残されたような古びた公衆電話ボックスがあるが、そこで幽霊を目撃したという者がしばしば現れるらしい。ただ、こちらは白い洋装の女性の霊とのことで女工とは関係なさそうだが、やはり女工たちと同じように、この湖で亡くなったひとなのだろうか。

湖は、周辺に住むひとたちの心を和ませ癒しをもたらすが、水辺というのは常に危険がつきまとうもの。諏訪湖には、「死」に捉われた者を引きずり込んでしまう、なにかがあるのかもしれない。

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