人命救助で見たもの(長野県松本市) | コワイハナシ47

人命救助で見たもの(長野県松本市)

二十年ほど前の初夏のある日、私(丸山)は友人たちと梓川の河川敷でバーベキューを行っていた。

梓川は槍ヶ岳に源がある犀川の支流となる一級河川である。

その日は朝から好天で川の流れも穏やかだった。当初はキャンプ場で行う予定だったが、人数も多いので開放的な場所のほうがいいだろうと、急遽バーベキューを河川敷でやることが決まったのだ。

食事しながら歓談していると、友人のひとりが川のほうを指さしながら言った。

「おい、見てみろよ。あれちょっとひどくねえか?」

見ると、対岸から一組の親子が川の流れのなかから、こちらに向かってこようとしている。

小学生ほどの男の子は怖がって腰が引けているが、父親と思われる男は怒鳴りつけながら、その腕を引っ張って、ぐんぐんと川のなかに進もうとしている。

「なんだ、あれ。スパルタ教育かよ? いくらなんでも時代錯誤ってもんだろ」

友人たちは口々にそう言いながら缶ビールを呑んだりしていたが、私は親子のことが気になって仕方がなかった。

川幅は十五メートルほどで、川底もそれほど深くはないはずである。しかし、来たときには穏やかだった川の流れは、水量を増して勢いも強くなっていた。

この流れのなかを向こう岸から歩いてくるのは無謀なことのように思えた。それも単独ではなく、小さな子どもを連れているので、川を渡るなど無理に決まっている。

すると、そのときだった。

「おおい、助けてくれッ!」

一斉にそちらを見ると、川の真ん中で父子は動けなくなっていた。必死の形相でこちらに向かって手を振っている。父親の足元の水勢がひと際速くなっており、少しでも足を滑らせれば、ふたりとも流されてしまうだろう。一刻の猶予もない。

すぐに駆けつけると、話し合うのもまどろっこしく、私たちは眼で合図を送り合った。

数珠のように手を繋いで、一列になる。十数人がそろっていたので、列は結構な長さになった。河川敷側の端にいる者が大きな岩に手を掛け、私たちは川のなかに、ざぶりざぶりと入っていった。

先頭の者が精いっぱいに腕を伸ばし、父親の手を握る。そして、一、二の三で一気に河川敷側に手繰り寄せた。

子どもが必死な顔で父親の手を掴んでいる。急流を無事に渡り切ると、ふたりはよろめきながら岩場に座り込んだ。父親は顔面蒼白、子どもはぶるぶると震えている。

「あんた、危ねえだろうが! 子どもがこんな川を渡れるわけねえだろ!? 誰もいなかったら、どうするつもりだったんだよ!? おい、聞いてんのかッ!」

友人のひとりが大きな声を出すと、まあまあ、と他の者が宥める。父親は力なく項垂れたまま、すみません、と小さく呟いた。

すると、私の横にいた友人が頻りに首を捻っている。なんだよ、と訊くと、耳元に顔を寄せて、こう囁いた。

「おかしいな、もうひとりいた気がするんだけど。全身ずぶ濡れになった女の子が、その子と手を繋いでいたような─」

父子のことは私も見ていたが、女の子などいなかった。父と男の子のふたりだけだったはずだ。

見間違いだろう、と言うと、そうだったのかな、と友人は訝しげに首を捻った。

それから三ヶ月ほど経ったある日のこと。

女の子を見たという友人が近所の河川敷で犬の散歩をしていると、堤防の路肩にレスキュー車が停まっている。なんだろうと河川に眼をやると、川の流れの真ん中に先日の父子と思われる人物が立ち竦んでいた。岸にはレスキュー車が集まり、隊員たちが真剣な顔で協議している。

(またあの親子かよ。ったく凝りねえな……)

そのとき、友人は見たのだという。

先日は見間違いかと思っていたが、この時も三人いたというのだ。しかし男の子の手に繋がれていたのは女の子ではなく、年齢も性別もよくわからない、いや、ひとなのかどうかも判別のつかない、ぶよぶよとした白い肉塊のようなものだった。

「肉焼くときに使う牛脂あるだろう、まさにあんな感じだったんだよ」

ちなみにその場所は、私たちが父子を助けた梓川ではなく、下流で梓川と合流して犀川となる奈良井川の河川敷だったという。

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