当時、私が通っていた小学校は、築百年を越える木造の校舎で、かなり老朽化が進んでいた。歩けば「ギシギシ」と音を立て、生徒が板を踏み抜いて穴が空いている場所すらあった。私はそんな古い校舎に通うのがある日から怖くなった。その理由とは一九九〇年代に「学校の怪談」というホラー映画シリーズが大ヒットし、その舞台となった古い校舎が私の通う校舎にそっくりだったためだ。作中のテーマとなった「学校の七不思議」は社会現象にもなり、全国の学校に似た様な噂が立てられるほど流行った。うちの古校舎にも例に漏れず学校の七不思議が生まれ、動き出す二宮金次郎像や目が動くヴェートーヴェンの絵といったベタなものから、「人型に見える壁の木目が生徒を壁に引っ張り込む」という木造の古校舎ならではの噂が流れ、いつの間にか学び舎は心霊スポットと化していた。
ある日の夜、学校の広い校庭を利用したPTA主催の親睦会が催された。
在学生やその親、近隣住民などが参加して、とても盛り上がったのを覚えている。そんな賑やかな風景から隠れる様に数人の不良が校庭の角にたむろしていた。私は親睦会に不相応な彼らが気になりチラチラとそちらを見ていた。
すると私の目線に気が付いたのか、不良たちが私の方に真っ直ぐ向かって来た。
悪い予感しかしない。
「おい、肝試しやろうや。お前どうせ暇だろ?」
予感は的中。彼らは校舎内に忍び込み、肝試しをやろうと算段していたのだ。
私は親睦会に参加していた毋親に助けてもらおうと目線を送ったのだが、
「遊ぶんじゃろ? 行って来んちゃい!」
母親はまさかの不良の味方。母親はその不良たちを私の友達と勘違いしてしまったのだ。不良たちは私が逃げない様に肩をしっかりと掴み、校舎奥へと連れて行った。そして早速肝試しのルール説明へと移った。
「今から三チーム作る! 昼にドアの鍵を開けて入り口を三箇所作ったけん、チームごとに別々の入り口から入れ! 中央にある二階の図書室で合流な!」
ルール説明が終わると揃いの和柄の服を着た、見た目リーダー格の二人がチーム分けを始めた。
「お前はワシのチーム」
「じゃあ、お前はワシんところ来い」
六人居た不良は三人ずつ二チームを作ると、
「ワシら三人はAチーム、こいつら三人はBチーム。で、お前は一人Cチームじゃ!」
私を外した六人でチーム分けをしてしまった。
「僕一人だと怖いんじゃけど?」
「逃げたら罰ゲームな!」
「せめて二人とかは無理?」
「はい、懐中電灯! 早瀬以外な!」
「先生に怒られたりせん?」
「入り口の説明するぞ!」
不良の一人は私を無視してケラケラ笑いながら入り口の説明に入った。
「ワシらAチームは一階奥の非常口で、Bチームは一年生のクラスの窓! 鍵開けとるけん、そこから入れ! Cチームのお前は……」
(一人なのに何がCチームだよ)
「図工室横の扉開けとるけん、そこから入れ! 二階の図書室でみんな合流な!」
不良たちはそれぞれの入口へと向かって行くと、私も泣く泣く指示された図工室横の扉へと向かった。
もしかしたら先生が放課後の見回りで施錠しているかも。などと淡い期待を持ちながら両開きの扉に手をかけると、不良の一人が言っていた様に扉の施錠が外されており、簡単に扉は開いた。
中を覗くと何も見えないほど真っ暗で、今から私を飲み込もうとしている生き物の口の様に見えた。扉を閉めると光と音が全て遮断され、一気に暗闇が私を飲み込んだ。
私は自分を鼓舞するために「早く行って戻ろう」と口にして、等間隔に設置された避難口の誘導灯を頼りに進んで行った。
廊下左手には図工室、ここには「笑うミロのヴィーナスの胸像」がある。(まさか、自分が学校の怪談の登場人物になってしまうとは) などと考えながら一歩一歩進み図工室の前を通り過ぎた。後は職員室を通り、二階図書室へとつながる階段を駆け上がるだけだ。
七不思議の一つをクリアした私は気が大きくなっていた。
職員室も階段も七不思議の中には含まれてはいないし、走って図書室まで向かえば不良たちよりも先に着くのでは? 私が一番速く着いていれば不良たちも私を見直すかも知れない。そう考えた。
強気になった私は職員室を抜け、二階につながる大きな階段の前まで一気に走り抜けた。だが話はそう上手く行かなかった。
二階に繋がる階段の至る所に貼られた、下級生が描いた下手くそな似顔絵。
目や口が極端に大きな似顔絵は、人間ではなく異形の何かにしか見えなかった。
(怖ぇー)
私はソレらと目が合わない様に足下を見ながら階段をゆっくりと上がって行った。すると、二階から急に勢いよくこちらに駆け下りてくる足音が聞こえた。
(不良の誰かかな?)と足音がする上段へと目線を向けると、
そこには真っ黒い顔をした背の低い男の子が立っていた。
非常口への誘導灯が男の子の顔を照らしていたのだが、目や鼻、口といったものがどこにも付いておらず黒一色。
「うわぁぁぁぁ!!」
私は大声をあげた。
すると、その叫び声に反応する様にその少年が、
「きゃはははは!」
と、口のない真っ黒な顔のどこかから高い声でケタケタ笑いながら駆け足で降りて来た。私は怖さのあまり腰が抜けてしまい、地べたに突っ伏してしまった。その少年は私の怯えている様子を見て、より一層高い声で笑い始めた。
「きゃははははははははは!!」
少年は私の目の前まで走ってきたかと思うと、急に立ち止まり耳元でボソッと一言呟き、そのまま通り過ぎて一階を駆け抜けて行ってしまった。
私は恐怖に頭が支配されており、少年が言った言葉を理解するのに時間がかかってしまった。だが、その言葉を理解した瞬間、私は無意識に走り出し外に飛び出していた。外に出ると賑やかな喋り声が聞こえたので、一気に力が抜けた。しばらく時間が経って震えが落ち着いたので校庭の方へと向かうと、一緒に入った不良たちが私を見つけ駆け寄って来た。
「お前、どこに行っとったんなら!」
「言われた通り学校の中じゃけど」
「嘘つけ! お前の後追って行ったけど、図工室横の扉は鍵かかっとったぞ! 入ったって言うなら、どこから入ったか言ってみぃ!」
「え、鍵開いとったよ?」
言い返すと不良たちは再び私の肩を掴み、私を図工室横の扉前へと連れて行った。
「ほれ見てみぃ」
不良が扉を押すと、鍵がかかっており扉はビクともしなかった。
「嘘……」
「嘘つきはお前だろ! そもそも俺らは解散した後、すぐに合流してお前を脅かそうとしとったんじゃ! そしたら、お前が急にどこか行ってしもうたんじゃろうが!」
「いや、僕は確かに校舎に入ったで! 鍵開いとったもん!」
「もうええって、冷めたわ」
そう言うと私に飽きた不良たちは不機嫌そうな様子で賑やかな輪の中に姿を消した。私は彼らの言葉を信じる事が出来ず、何度か扉を押したのだが再び扉が開く事はなかった。
それではなぜ校舎に入る事が出来たのか。あの時間は何だったのか。そしてあの黒い少年が呟いた、
「また来るね」
という言葉の意味は何だったのか?
あれから約二十年、古い校舎は取り壊され新しい鉄筋コンクリート製の校舎が建ちました。私はその思い入れのない新校舎を見るたびに思う事があります。あの少年はまだ校舎の中に居るのだろうか。そしていつの日か「また」少年は私の元に現れるのだろうかと……。