下見はした。やっぱりここにしか入り口がない。
これは私の弟である真行まさゆきと二人の友達が体験した話だ。
「おーい真行! やっぱりここしか入れそうにないわ!」
手を振りながら近づいて来たのは弟の友達のA。
「そうか……」
真行たちは津山駅からほど近くに位置する「Pホテル」という廃墟の前に立っていた。
目的はもちろん肝試しで、当時は少々グレていた弟たちは、この廃ホテルをチキンレースを行う場所として利用しようとしていた。要は霊に怯える臆病者を炙り出そうとしていたのだ。
「周囲をこんなに有刺鉄線が張っとるとは思わんかったなぁ。唯一入れそうな場所が、灯台下暗しの正門ってなぁ」
「でも正門も有刺鉄線こそ張られてないけど、チェーンが繋がれとるしなぁ」
二人が腕を組んで考え込んでいると、
「秘密兵器出しちゃう?」
そう言ったのは肝試しに参加していた弟のもう一人の友達・B。
余裕ぶったBの手には大型の断ちバサミが握られていた。
Bの家は建築業に携わっているので、こういった工具を用意するのは容易だった。
バチッ! バチッ! バチッ!
夜の街々に異音が響いた。
「ほれ! 開いたぞ!」
Bは断ち切ったチェーンの残骸を得意げに見せて来た。
「それが目的じゃねぇだろ。はよ入ろう」
チェーンを断ち切っただけで優越感が生じているBにイラついた真行は、彼を無視して廃ホテルの敷地内へと足を進めた。
少し傾斜のついた坂を駆け上がると廃ホテルが見えた。
「でっけぇ……」
ホテルPは、館内にある結婚式場や最上階にあるスカイレストラン等で市を賑わせた大型の人気ホテルだったが、ある年、経営難を理由に閉店。逃げるようにスタッフたちが去ったのか、建物が営業時の面影を残したまま廃墟となってしまった。
上って来た場所はどうやら裏口だったらしく、三人は建物を回って正面玄関側に向かった。入り口がチェーンで施錠される前であろうか、壁はスプレー缶でむちゃくちゃに落書きされており、庭の至る所にゴミが捨てられていた。
数分後、正面玄関前に着いた三人は息を呑んだ。
玄関のガラスドアに懐中電灯を向けた時、庭以上に荒れた様子の館内の一階ロビーが見えてしまったのだ。
「ここに入るんだよな?」
「おう……」
三人とも廃ホテルに来た事を後悔し始めたのか、意気消沈していた。
「……ジャンケンする?」
数秒の沈黙の後、誰かが言った。
三人は握りこぶしを作っていた。ジャンケン案が可決されたようだ。
「負けた奴が一人で廃ホテルに入る。ここから見えとる二階の窓から俺らに向かって手を振ったら戻って来る。それでええか?」
(確率三分の一だろ。負ける事ないよなぁ)
「じゃあ行くぞ……、ジャンケンポイ!」
「……よっしゃー!」
勝者の二人は安堵して飛び上がっていた。
「マジ……?」
ジャンケンの敗者は真行だった。
「じゃあ行って来るわ……」
「おう! 頑張ってな!」
残った二人は気楽なものだ。
真行は重たい足を引きずって廃ホテルのドアを開けた。
「うわぁ……」
外からガラス越しに見ていた光景よりも一層薄汚れて気味が悪い館内の様子に、思わず声を上げてしまった。
「わっはっはっは!」
入り口を見ると怯えている真行を見た二人が大笑いしていた。
(何を笑っとるんなら! 外におる時点でチキンレースでも何でもねぇだろ!)
「さっさと終わらせる!」
外で笑っている二人に宣言すると、真行は早速二階へ上がるための階段を探した。
「どこだ?」
ロビーを抜けて廊下に出ると、落書きだらけの壁に隠れるように「この先階段」という表記があった。
真行は表記を頼りに二階へと続く階段下まで辿り着くと、懐中電灯の光を下段から上段まで当てて階段が荒廃して崩れていないかを確認した。
「大丈夫……か」
段差を一段上るとカーペットが湿気を吸っているのか膨張しており、足の裏に妙な感触が伝わった。気持ち悪い感触を我慢して一気に階段を駆け上ると、二階は開けた場所だった。壁には木彫りで「宴会場」と記されており、床には畳が敷き詰められて等間隔に部屋を区切る屏風が立ち並んでいた。
「宴会場を抜けた先の窓を覗けば、あいつらの姿が見えるじゃろう」
畳を踏むと、「ギシッ」と床板が軋む音がした。
もしかすると踏み抜いてしまうかもと感じてはいたが、一刻も早く帰りたいという気持ちが強かったのか、真行は窓へと一直線に向かった。
窓を覗くと、斜め下に二人の姿が見えた。
「おーい!」
外に向かって手を降ったのだが、二人は声が聞こえていないのか、こちらを向く気配がない。それでも真行は諦められず二人に手を振り続けると、願いが通じたのかBと目が合った。
「おーい! ここじゃ!」
確実に目が合ったと思ったのだが、Bはまた違う方向に顔を背けてしまった。
「あいつワザとじゃろ!」
Bにからかわれたと腹を立てた真行は、廃ホテルから出ようと階段の方へ振り返った。
「えっ?」
振り返ると、真行と同じように、窓際に白い服を着た黒髪の女が立っていた。
(俺らの他にも人が来とったんじゃなぁ)
(えっ? ちょっと待てよ……)真行は気が付いた。
(ホテルの周りは有刺鉄線が張られとって、唯一の入り口だった正門も俺らがチェーン切って開けたよなぁ。ほんなら、この女はどうやってこのホテルに入って来たんじゃろうか……)
女の足元を見た時、奇妙な点に気が付いた。
女は裸足だったのだ。瓦礫がれきだらけの廃ホテルの中を裸足で歩ける訳がない。
仮に畳を踏み込んでここまで来たのなら、真行が板の軋む音に気が付かないはずがない。
真行は不思議に思いながら女の様子を確認しようと顔を上げた。
「うわぁあぁあぁぁぁー!!」
女は一瞬で真行の目の前に移動していた。
(おかしいだろ! 何で急に目の前に?)
真行は女から逃げるために数歩後ろへ下がると、出口の方へ振り返り一気に一階へと駆け下りた。(早く二人と合流したい!)ロビーを抜けて入り口の扉を力一杯開けたのだが、何故かそこに二人の姿はなかった。
「おーい!」
二人の声がする方に目をやると、二人は今になって二階に向けて手を降っているではないか。
「お前ら馬鹿にしとるんか! さっき目合うたろうが! 誰に手を振っとんなら!」
「真行……何でここにおるん? 今誰かが二階からこっちに向けて手を振っとるのが見えたんじゃけど……」
「何を言うとんなら! 俺二階でえらいもん見てしもう……」
(もしかして……)
真行は手に持っていた懐中電灯で二階の窓を照らした。
照らされた窓から、先ほどの奇妙な女が薄い唇でニヤリと笑顔を作り、こちらに向かって手を降っているのが見えた。
「うわぁぁああぁぁぁあ!! 何じゃあれ!?」
他の二人にも女の姿が見えたのか、三人は駆け足で車まで戻り、人通りの多い街中まで車を走らせたそうだ。
「あの時は俺もヤンチャだったけんなぁ。若気の至りじゃわ!」と、この話を懐かしむ様に教えてくれた。そんな真行も今では家庭を持ち、しっかりした奥さんと可愛い娘に恵まれて幸せに暮らしている。