これは私が小学生の時の話だ。
ある年、岡山市から若い先生が赴任してきた。
その先生は私たちの周囲にはいなかったタイプのオシャレで男前な人で、外見だけではなく性格も太陽の様に明るく、すぐに生徒達と馴染んでいった。
私もその中の一人で、かなり先生に懐いていた記憶がある。
「早瀬、ご飯食べて来たんか?」
学生時代は身体が弱く、度々早退していた私を気使ってくれた先生には未だに感謝している。
私が通学していた学校では、三者面談と言えばこちらが親と学校に伺うのではなく、担任の先生が自ら全ての学生の家に訪ねてくるというものだった。
私はこの三者面談が大の苦手で、親の前で見せる顔と学校で見せる顔が全く違う私は、どちらの顔を出せば良いのか? と毎年悩んでいた。家では明るく学校では何の問題もありませんという顔をしていたが、学校では真逆で友達もあまりいない暗い生徒だった。そして考え抜いた結果、今回は学校の顔で行く事にした。先生が家に来て緊張したとか言えば切り抜けられるだろうと考えたからだ。男前の若い先生が来ると言う事でソワソワとしている母親に若干の苛立ちを覚えていると、ピンポンと来訪者を報せるチャイムが鳴った。
「すみません。早瀬くんを担任しているSと申します」
「はーい。ちょっと待って下さいね」
いつもより気持ち高い声で返事をしながら、お茶を用意する母親。
私は先に玄関へ行って扉を開けた。扉を開けると蝉の鳴き声が家中に入って来た。
「おう早瀬! 今日も暑いな!」
暑い夏の日だったので、先生は顔から滝のように汗を流していた。
「おはようございます。今、母親がお茶を用意しょうるけん。待っとって下さい」
「ありがたい! 待たせてもらうわ!」
そこへ母親が盆にお茶を乗せて玄関まで来た。
「先生、外は暑かったでしょう? ここは山あいの土地じゃし、日光が強いけんな!」
と言いながら、お茶を先生に勧めた。
「ありがとうございます。僕の出身地は岡山市の中心地でいつも騒がしいので、こんな静かな場所で仕事が出来て嬉しいですよ。確かに暑いですが!」
そんな世間話をした後、早速学校での私の評価へと話が移った。
「まぁ早瀬くんは大人しい子なので接しやすいですよ。勉強も一生懸命してくれますし、掃除だってサボらずやりますしね」
私は思いもよらぬ先生の言葉に顔を赤らめた。
「それではこの辺りで失礼させて頂きます」
「遠いところまでありがとうございました」
「あっ、そう言えばお母さん。Yくんの家へ行きたいのですが、どの辺りですかね?」
先生は私の家の周辺地域の地図を広げた。
「Yくんの家はここですね。ここの池をぐるっと回るのが一番早いと思います」
「えっ? ここの道を通れば一番早くないですか? この神社の前」
「………」
母親が一瞬固まった。と言うのも、地元ではこの神社を通り抜ける道はあまり使ってはいけないと言われており、神社の先に行きたい時は池を一周して遠回りするという暗黙のルールが生まれていた。要は神様がお通りする「神道」とされていたのだ。
「先生、そこ通っちゃいけんで」
「何で?」
「神様が通る道じゃけん」
「はっはっは! 早瀬は面白い事言うな! そこを通り抜けて行ってみます! お母さん有難うございました!」
発進した車のタイヤが庭の砂利をジャラジャラと踏み鳴らす音が遠ざかって行き、しばらくすると聞こえなくなった。我が家の敷地から先生の車が出たのだろう。
「先生、通るかな?」
「さぁ……」
母親が急に冷たくなったように感じた。
一週間後、登校すると教室が騒がしかった。どうやら数日前に遠足へ行った時の写真が現像されたらしい。
「これ、私写っとる!」
「お前、なんて顔しとんなら!」
など思い思いの写真を手にしながら、遠足の思い出話に花を咲かせていた。
そんな中、一人の女の子が悲鳴を上げた。
「これ……」
女の子が手にしていた写真は遠足へ向かう前に撮影されたクラスの全体写真だった。これから遠足へ行くぞ、と言う期待と喜びで笑顔が溢れている写真で、一見すると、どこに異常があるか分からなかった。
「ほら、先生の首……」
指差す箇所を見ると、女の子が言うように、確かに先生の首の周りには黒い輪の様な物が見えた。
「何だこれ?」
一斉にクラスがざわつきパニックとなった。
「ただの光の加減だろ。ほら早く席について」
写真をひょいと奪い取った先生は、それをポケットの中に入れてしまった。
一応、みんな席には着いたがクラスは静まらない。
「何かに呪われとんじゃないん?」
「絶対そうじゃわ。あんな黒い輪が首に写っとるのおかしいもん」
その時、私は三者面談のある場面を思い出していた。
「えっ? ここの道を通れば一番早くないですか? この神社の前」
「………」
「先生、そこ通っちゃいけんで」
「何で?」
「神様が通る道じゃけん」
「早瀬は面白い事言うな! そこ通り抜けて行ってみます!」
……、通ったな。
数週間後、先生の首には白いコルセットが巻かれていた。聞くと車の接触事故で首を痛めてしまったらしい。
「やっぱり写真の黒い輪のせいじゃない?」
「そうかもなぁ」
先生は「痛てて」とおどけながら授業を進めた。
先生が三者面談の日に通り抜けたと思われる神社には、境内に勾玉を首から下げた石像が何体か建っていた。だがある日、市外から来た何者かがその石像の首を叩き壊してしまうという事件があり、祟りを怖れた住民は石像の首が修復されるまでの期間は極力神社を通り抜ける事を止めようというルールを施いたのだ。現にそこを通り抜けた者が首に怪我をしたり、首がない人間の霊を見たという話もあるくらいだった。他県の神社でもいたずらを働いた青年の写真を撮ったら、この話の先生と同じように首に黒い輪がかけられており、数日後バイク事故でその青年は首の骨を折ってしまったという話もある。
もしかすると、先生も通り抜けてはいけない神社で「呪いの黒い輪」をかけられたのかもしれない。