これは私と同じ岡山出身という事もあって仲良くなった、現在は心霊系番組を担当している坂本というテレビマンに聞いた話だ。
「ここ、出るんよ……」
そう言って脅かすのは実家がお寺のA先輩。他の中学校から転校してきて同級生と馴染めなかった坂本を気にかけてくれたのか、当時よく遊んでくれていたそうだ。
「出るって何が出るん?」
「幽霊」
そう言って両手首を折り曲げて幽霊のポーズを見せる先輩の背後には、いかにも「出そう」な団地が立ち並んでいた。
「誰に聞いたん?」
「団地に住んどる同級生。そいつ三階に住んどるんじゃけど、深夜にそこの先にある自動販売機でジュース買うて家に戻ろうと引き返したら、階段を誰かが上がりょうたらしいんよ」
「うん」
「団地の人らは顔見知りじゃけん、誰じゃろう? と思うて駆け寄って行ったら」
「もしかして……」
「そう。二階で追いついて見上げたら、そこに真っ黒い幽霊がおったんじゃって!」
「え!」
「団地に何かおるけん助けて! って大汗かきながら、そいつウチに助け求めに来たんよ!」
「先輩の家、お寺じゃもんな」
「近隣の人からここ『幽霊団地』って呼ばれとるらしいわ。他にもその影を見たって言う人結構おるで。お前も気を付けぇよ」
先輩はそれだけ話し終えると満足したのか「ほんならな!」と、坂本をその場に残して家に帰ってしまった。
ある日、坂本にBくんという友達ができた。Bくんも転入組で数年前まで県外に住んでいたらしい。Bくんは引っ込み思案だった坂本とは違いとても活発で、転校して来て間もないというのに、すでにクラスの人気者になっていた。話を聞くと父親が警察官で、同じように転校してきた同級生がクラスに馴染めていない、という話をしたところ「友達になってあげなさい」と言われたのだという。理由はどうあれ、転校先で初めて友達が出来た事を坂本は素直に喜んだ。
「家に遊びに来ん? お兄ぃがゲーム沢山持っとんよ!」
「うん!」
Bくんとは同じ転校生同士という共通点もあったからか、二人はすぐに意気投合し、放課後はBくんの家に遊びに呼ばれるほど仲良くなった。
「こっちこっち!」
坂本は同級生の家に遊びに行くということには、あまり慣れておらず「Bくんの家族と仲良くなれるのだろうか?」という事ばかり考えて少々緊張していた。
「そこ曲がった所!」
「本当? うちと結構近いね!」
「あそこに住んどる!」
「えっ……」
Bくんが指差していたのは、何とあの「幽霊団地」だったのだ。
「ここの二階だよ!」
どうしても黒い影の事が気になった坂本は、団地の住民であるBくんに直接聞く事にした。
「先輩からこの団地で黒い幽霊見たって聞いたんじゃけど、本当?」
Bくんの顔が分かりやすく曇って行く。
「誰から聞いたん?」
「A先輩。あと、ここ幽霊団地って……」
「おらんよ、そんなの。それより早く上がって来て」
何故Bくんは「幽霊なんか居ない」という否定より、先に情報元が誰かを問いただしたのだろうか? でもこれ以上踏み込むと友達じゃいられなくなる。そう感じた坂本は気になった事を全て飲み込み、Bくんの後を付いて階段を上がった。
部屋にお邪魔すると家族が誰も帰宅していないのか、やけに静かだった。
「何にする?」
Bくんが持って来た箱の中にはテレビゲームのソフトが溢れるほど入っていた。
先ほどまで曇っていたBくんの顔はすでになく、いつもの晴れやかな表情に戻っていた。
「うーん……」
「まぁ、これだけあると決められんよな! じゃあこれやろう!」
Bくんが選んだのは格闘ゲーム。相当やり込んでいるのだろう。手加減を知らないBくんに初心者の坂本は歯が立たなかった。
ゲームを始めて数時間経ったころ、坂本はトイレに行きたくなりBくんに案内してもらった。
「ここだよ。あとこっちの部屋には絶対入らんといてな。お兄ぃの部屋じゃけん。勝手に入ったら怒るんよ」
「うん、分かった」
以前相当に怒られたのだろう。何度も念押しされた。
トイレを済ませて部屋に戻ると、Bくんは格闘ゲームに飽きてしまったのか別のソフトをプレイしていた。
「ただいまー」
そこへ家族の誰かが帰って来た。
「あれっ、Bの友達?」
帰って来たのはゲームの持ち主であるBくんのお兄さんだった。
「坂本です! ゲームやらせてもらってます!」
「部屋に入るな」とかなり念押しされた事もあってか、坂本はお兄さんに対してかなり緊張していた。
「あぁ、かしこまらんでもええよ。Bと仲良くしちゃってな!」
しかし、それは杞憂に終わった。お兄さんはBくんに似て、とても優しい性格だった。
「B、俺は部屋におるけん、お母さん帰って来たら教えて。腹減ってしもうてな」
「分かった。教えるわ」
「ごゆっくり」
お兄さんは部屋から出ていくと、壁が薄いのか自室のドアを開ける音やベッドに腰を掛ける音が聞こえて来た。ただ、その生活音はBが言う「お兄ぃの部屋」とは真逆の位置から聞こえて来たのだ。もしかするとBは三人兄弟で、もう一人お兄さんが居るのかも知れない。そう考えた坂本はBに質問した。
「お兄さんって他におるん?」
「いや、二人兄弟じゃで」
「そっか……」
Bくんは先ほど坂本に言った事をすっかり忘れているのか?
(あそこは何の部屋なんだろう?)
どうしても気になった坂本は、もう一度トイレに行くフリをしてあの部屋を覗いて見る事にした。出来るだけ足音を立てぬ様に爪先立ちをして、まるで漫画の泥棒の様にコソコソと部屋に近づきドアノブに手を掛けて、ゆっくりとドアを開けた。
(何もない)
その部屋には引っ越して来て誰も入っていないのではないかと思えるほど何もなく、窓にカーテンも付けておらず、西日が燦々さんさんと部屋を照らしていた。
「気持ち悪っ」
坂本は何もないこの部屋に言い知れぬ不気味さを感じて退室する事にした。
だが、部屋に背を向けた時、なぜか後ろから人の気配を感じたのである。
(部屋の中誰もおらんかったよな。じゃあ後ろにおるのは一体?)
坂本はその気配の正体を確認する為、ゆっくりと振り返った。
「んぐっ……!」
坂本は口から出てしまいそうな声に、蓋をする様に両手で口を塞いだ。
(さっきまで確かに誰も居なかったのに!)
坂本の眼前には、こちらに背を向けあぐらをかいている全身黒い服装の男性が居た。坂本には、それがこの世のものではないと何故か一瞬で理解出来た。
その男の首はねじれて千切れかけており、何周もねじれたその首の目が男の真後ろにいる坂本を見つめていたのだ。
(声をあげたら殺される!)
そう思った坂本は、手を口に当てたまま、ゆっくりとゆっくりと後ずさりして部屋から逃げようとした。
見たくもないのに、なぜか坂本は男から目を離す事が出来なかった。
そしてよく見ると、不気味な点はねじれた顔だけではない事に気が付いた。
右手が無い。体中血だらけ。黒い服は警察官の服だった。
恐怖で意識が飛びそうになりながら後ずさりする坂本の後ろ手にやっとドアノブが触れた。徐々にドアを開けて男が見えなくなる位置まで坂本が移動すると、バタンとひとりでに扉が閉まった。
坂本は「そろそろ帰るね」と一言だけ言ってBくん宅を出た。
二階から階段を駆け下りたせいで足がもつれて何度か転んだ。身体があちこち痛んだが、今はそんな事どうだっていい。坂本は早く団地から逃げたかった。
部屋に入ったのがバレたのだろうか。Bくんは次の日から坂本を無視する様になった。ただ坂本の方も幽霊が出る団地、いや幽霊が出る部屋に住んでいるBくんと話すのが怖くなっていたので、ちょうど良かった。またクラスで坂本は一人になった。
後日、A先輩に坂本宅で起きた話を全て話した。
親も兄弟も信じてくれない中、A先輩だけは信じてくれた。
「お前、Bの親が何やっとるか知っとる?」
「お父さんが警察官なんだろ?」
「母親も警察官なんよ。父親は元警察官」
「今はやってないん?」
「Bの父親なぁ……死んだんよ。一年前車の事故で」
「えっ?」
「うちのお寺で葬式あげた時にBと会うて少し話したけん。確かじゃで」
「じゃぁ僕が見たのは……」
「もしかしたらBの父親かもな」
坂本の頭の中で点と点が結びついた。
何もない部屋はすでにお父さんが亡くなっていたから片付けられていた。
首や身体がねじれていたのは車の事故に遭って身体が損傷したから。
警察官の服を着ていたのは、生前お父さんが警察官だったから。
だが一つだけ結びつかない点があった。
「友達になってあげなさい」とお父さんに言われた。
すでに亡くなったお父さんとどうやって会話したのか。それともこれはBくんが咄嗟についた嘘だったのか。数ヶ月後Bくんは再び引っ越してしまったため、確かめようがなかった。「まぁ引っ越してなくても確かめなかったけどね」と坂本は苦笑いした。
調べるとその団地は公務員専用の宿舎で、夜中黒い影を目撃した場所、そしてBくんが住んでいた場所というのは警察関係者が住んでいる棟だった。もしかすると夜中に見た黒い幽霊というのも、警察官の服を着ていたので「黒い」という表現をしてしまったのかも知れない。