橋の下の処刑場(岡山県津山市) | コワイハナシ47

橋の下の処刑場(岡山県津山市)

これは私が中学三年生の時の話だ。

すでに我々三年生は部活動も引退し、進路も決まっており毎日暇を持て余していた。意味もなく登校しては終礼まで空を眺めている者や、中には学校に通う意味なんてあるのか? と、休みがちになる者も。

私は前者で、意味もなく登校している者の中の一人だった。

だが、あるブームがそんな私たちの退屈を吹き飛ばした。

そのブームとは「心霊スポット探索」。

私たちは、まさに取り憑かれた様に心霊スポットを毎日探索する様になった。

放課後、または休日を利用して心霊スポットに行き、次の日そこで起きた怪奇話を披露する。そんなシンプルな遊びが、進学までポッカリ空いた私たちのスケジュール帳を埋めていった。そのブームは、教室で中学生らしからぬ「◯◯池」、「◯◯沼」といった言葉が日常的に飛び交うまでに加熱したのだが、中学生が自転車で回れる場所なんてたかが知れており、数ヶ月ほど経つと探索するスポットがなくなってしまった。

徐々に教室から心霊スポットの話題が消えてゆく中、クラスの番長・Aがみんなを集めた。

「俺、橋の下の処刑場行ってくるわ!」

クラスのみんなを集めた理由はその宣言をするためだ。

その言葉を聞いた瞬間、クラスの雰囲気が一気に冷たくなり、先程までケラケラ話していた女生徒も急に口を閉ざした。

というのも、「橋の下の処刑場」と呼ばれるその場所は、地元民なら誰もが知っている、かなり危険と言われる場所だったのだ。

町が発展して行く中、その処刑場の一画だけが、まるで昔から取り残された様に何も手を加えられていないままだったのだ。噂では工事中に何人もの死者が出たとか。我々はAを止めた。

「止めたほうがええって! 大人だって怖がって寄り付かんのんで!」

だが、そんな私たちの制止は逆効果になってしまった。

「お前ら怖がりじゃのう! それならワシが行っちゃるわい!」

私たちの怯える様子は、強気なAの背中を知らず知らずのうちに押してしまっていたのだ。

結果、Aは他校の同級生と橋の下の処刑場の探索に行ってしまった。

次の日、僕らの心配を他所にAくんはいつもと変わらない様子で登校してきた。そして英雄譚を語る様にふんぞり返って僕らに昨日の出来事を話しはじめた。

「昨日、他校のやつと二人で橋の下の処刑場行って来たけど、何もなかったわ! お前ら怖がり過ぎなんじゃって!」

やっぱりAは凄い。クラス全体がAの話に夢中になっていた。

「何の現象も起きんかったけん、慰霊碑にスプレー缶で落書きもしちゃったわ! 祟れるもんなら祟ってみろや!」

「やっぱりAはすげぇなぁ!」

数時間後、Aの身体に異変が起きる事をクラスのみんなは知る由もなかった。

Aは処刑場の禁忌に触れてしまっていたのだ。

その日の三時間目の授業中、Aに異変が起きた。

Aは急にすっと立ち上がり、

「うあぁぁぁあぁぁぁあぁああぁ!」

と、Aの声とは思えないほど低い声で唸りはじめると、真っ青な顔で頭をかきむしりながら教室を走って出て行ってしまったのだ。

「A? どうした! 教室に戻れ!」

先生は急に出て行ったAを訝いぶかしがりながら追いかけて行った。

私を含めたクラスのみんなにはその原因が分かっていた。

「橋の下の処刑場……。Aくん、慰霊碑にいたずらしたから祟られたんだ」

その日からAは卒業まで一度も登校する事はなかった。

それから一年後、私は志望校に受かり進学していた。

新しい記憶が古い記憶を塗り替えて行ったのだろう。Aの事などすっかり忘れて、高校生活を楽しんでいた。

ある日、高校で同じサッカー部だった友達Bくんの家で遊ぶ事になり、ゲームで遊び飽きたBくんは時期が夏だったという事からか怪談を話し始めた。

「俺さぁ、去年橋の下の処刑場に行ったんじゃけど……」

橋の処刑場という言葉が耳に入った瞬間、私はAの事を一年ぶりに思い出した。思い出すのは当然、Aが急に立ち上がり叫びだしたあの光景。

「もしかしてAと一緒に行った?」

「うん、そうだよ」

一年前、Aと橋の下の処刑場に行った他校の友達とは、偶然にも目の前にいるBだったのだ。

「Aくんは急に不登校になったけど、Bくんは大丈夫なん?」

「俺は全然大丈夫! 霊感の違いなのかな?」

Bはおどけて見せた。その様子に安心した私は話を無理やり変えて、先ほど飽きたゲームに再び手を伸ばして再開した。

そして別れ際に「また明日学校でな!」と笑顔で別れた。

次の日、早朝学校から電話がかかって来た。

「Bくんはお亡くなりになりました。○時からBくんの家でお葬式がありますので参列して下さい」

あの時のことはあまり覚えてはいないが、母親曰く、私は制服に着替えるや否や自転車にまたがりBくんの家に向かったそうだ。

Bくんの家に着くとすでに多くの同級生が参列しており、私のクラスは出席番号順の綺麗な列になっていた。先頭にいる学級委員長が大きな声で

「一年○組はこの列です!」

と、列を整えていた。

私はなぜかその列が大きな生き物のように見えて、吐き気を催した。

そして、この生き物の一部になるのが嫌で仕方がなくなり列に並ばず、しばらく少し遠くの場所で惚ほうけてると、参列者の会話が聞こえてきた。

「ここの子、首吊って自殺したらしいよ」

私は信じられなかった。

「また明日学校でな!」と笑いながら別れたBが事故ならまだしも自分で命を絶つなんて。

私は悔やんだ。なぜBくんが出していた「助けてくれ」というサインに気が付けなかったのだろう……と。

命を絶った理由はなんだ? 考えると、一つの答えに行き着いた。

「もしかして橋の下の処刑場の祟り? そういえばあの二人が慰霊碑にいたずらしたのも夏の暑い日だったな」

私は急に悪い予感がしたので、自転車を飛ばしてAの家に向かった。

汗だくになりながらAの家に着くと、なんとAくんの家でも葬儀が執り行われていたのだ。

「男の子が首吊って亡くなったらしいんよ。可哀想にねぇ。去年の今頃急に不登校になったらしいわ」

去年、橋の下の処刑場にいたずらした二人が照らし合わしたように同じ日に命を絶った……。しかも首を吊って。この事実に自分しか気が付いていないという事が怖くなり、一気に血の気が引いた。

後日、私は橋の下の処刑場の歴史を調べた。

すると橋の下の処刑場という名は現代人が付けた通称で、江戸時代この地では罪人の首を数百はねたという歴史から、正式には「首刈りの処刑場」と呼び、慰霊碑を建ててご供養しているという歴史があったのだ。

もしかすると、首を切り落とされた罪人が二人を祟って首を持っていったのかも……。そう思うと今でもゾッとする。

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