人形峠(岡山県苫田郡鏡野町) | コワイハナシ47

人形峠(岡山県苫田郡鏡野町)

国道一七九号線、鳥取県と岡山県の県境にある「人形峠」。ウランの発掘が行われてからは「人形峠鉱山」とも呼ばれるようになり、人形峠という通称が定着した。

元々は「打札越」という名前であり、博徒がいささか博打の花札でもやりながら峠を越していたかのような名称である。

この峠には二〇一二年三月末まで「人形峠科学の森」という名前の施設があった。現在ウランの発掘は行われていない。現在、日本で使用されるウランは外国からの輸入に頼っているが、有事の際には再度このウラン鉱を使うため安置している、との説もある。ウラン八万五千トンを供給した後、閉山となったこの峠には、様々な霊の噂がある。

かつて、この峠を越えるためには三つの道があった。津山からの道、津山往来が現在の国道一七九号線の原型であり、宿場が鳥取県の穴鴨村に置かれた。その穴鴨へと向かう峠の道が三つあるわけである。

西から順に、「田代越」、「人形仙越」「打札越」のルートがあった。

現代の「人形峠」に相当するのは一番東の「打札越」のルートになる。特にこの中でも、「人形仙越」のルートが最も距離が短く、江戸時代ではこのルートの往来が多かったが、かなり険しく、鳥取側に行くと坂が急であり「胸突道」とも呼ばれていた。心臓に良くない険しい道という意味だったのかもしれない。

この峠にまつわる話を語ろう。遠く江戸時代の昔のことである。

この峠を越さねばならない親子がいた。

母親はまだよちよち歩きの娘を背中におぶって、険しい峠道を歩いた。

何か、急いで峠を越さねばならない理由があったのだろう。

夜道は暗く、何度も足を滑らせた。草に捕まり、這うようにして、やっとのことで峠を越えた。背中でぐずって泣いていた娘も、静かに眠ってしまったようだ。何となく背中が軽くなった気もした。

岩場に腰掛けて、抱っこ紐を降ろして眠っているはずの娘を見た。

娘の首が無かった。

「ひいいい!!」

母親は慌てて紐を落としてしまった。

その首のない娘は、よく見ると人形だった。

「あの子、あの子はどこへ行ってしまったんじゃ?」

山奥では深い霧が立ちこめていた。すぐ近くの光景でさえ見えない。

娘の名前を呼びながら、元来た道へ戻っていた。もう一度岡山の地へと戻る。

遠くに小さな子供の足が見えた。着物の柄姿から見て、娘に違いない。

岩に座っているようだった。

「そのまま座っててなあ、今行くけんねえ」

声を張り上げて、その足が見える場所へ行った。

近くまで行くと、やっと姿かたちが見えた。その子供が座っている場所に行くと、にっこり笑ったような顔で母親を見ていた。

「良かった、ずっとそこで待っとったんか」

近づいて手を握った後、母親はまた茫然とした。

この子も人形だった。人形はぐらりと体が傾き、岩から落ちた。

「いやあああ!!」

山の中に母親の叫び声が空しく響いた。

そして、二度とこの母親は娘に会えずに一生を終えた。

人形峠では、昔から別の怪談も言い伝えられている。

化け物の蜂が村人を襲うので、囮の人形を置いた。それには毒を仕込んであった。それを食べた蜂は苦しみながら死んだ。という、村人達の知恵が化け物を退治したという伝説が残っている。

母親の娘は、化け物に襲われ、囮の人形を代わりに置いていったのかもしれない。現在も、この人形峠トンネルには、足だけの子供が歩く音がする、ずぶ濡れの顔の女が立っている。などの目撃情報がある。

この国道のガードレールはぐにゃりと曲がっているなど、明らかに事故の跡がある場所が多い。

「何か」を見て事故が起きた跡ではないだろうか。

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