H神社(岡山県津山市) | コワイハナシ47

H神社(岡山県津山市)

岡山県が生んだスターと言えば? という話になると、必ず名前が上がるのが世界に認められたロックバンド「B’z」の稲葉浩志さんだ。稲葉さんの実家である「イナバ化粧品店」は、全国のB’zファンのメッカとなっており、実家近隣には稲葉さんの写真が飾られているので、ファンの間ではその「隠れミッキー」ならぬ「隠れ稲葉」を探す遊びも流行っているそうだ。そんな稲葉さんの痕跡を探す上で外せないのが、イナバ化粧品店の目の前に鎮座している「H神社」である。

稲葉さんはH神社を深く信仰しており、津山に帰省した際は必ずお参りをするそうだ。お参りした写真をB’zのフェイスブック公式ページにアップしたり、「B’z稲葉浩志」と名前が掘られた寄付記念の石柱まで存在する。信仰している理由は、シンプルに実家から近い位置に所在するという事もあると思うが、H神社は祭神として武運の神様をお祀りしているので「B’zが音楽界のトップに君臨できますように」という願いを込めているのかも知れない。

徳の力が強いとされる神社では、悪さを働くと罰を与える力もまた強い。という話がある。徳の力が強いとされるH神社には、このような言い伝えがある。

この地区でお祭りをする際は、H神社に保管している神輿を担いで街中を練り歩くのだが、片付ける時に必ずやらかしてはいけないタブーが存在している。

「落とすな、ぶつけるな」この二点である。

神にまつわる大事な物を扱う上では当たり前のことだろう。と思われるかも知れないが、京都・清水寺の三年坂(この坂で転ぶと三年以内に死ぬ)の話に似た都市伝説と化しているようで、神輿を雑に扱うとそれなりの罰が当たると噂されている。

この話はH神社の近隣に住む方から聞いた話だ。

ある年のお祭りの時。

例年通り神輿を担いで街中を練り歩いた後、神輿の片付けは神社が所在する地区に住む若い四人の男たちに託された。大事な神輿の片付けを任せられた四人は、神輿の四隅をそれぞれが肩に担いで神社の方とへ向かった。だがその内の三人は神事にはあまり興味が無かった。

「絶対に雑に扱うなよ! 万が一落としたら罰が当たるぞ! だってさ!」

「はっはっはっは!」

「罰なんか当たる訳ねぇわ!」

「いや、ちゃんと運ぼうや。何があるか分からんし……」

「何じゃ? お前ビビッとんか?」

「いやぁ……」

四人の中で一番の年少だったAは「いい子ぶりやがって」と何度も三人にからかわれたが(放っとけば静かになるだろう)と、からかわれる度に黙り込んでいた。

大きな石鳥居を潜ると、段数が二百段近い急な階段が待ち構えている。

「うわぁ、マジかよ?」

最初は愚痴を吐いていた三人だったが、途中から疲れたのか「はぁ、はぁ……」という吐息しか口から出さなくなった。

数分後頂上に到着し、神輿を返却するために倉庫へと向かった。

「マジで重いわ」

「返すの面倒じゃけん、おじさんは俺らに任したんじゃろ?」

「腹立つし、投げ返す?」

「えぇなぁ! 罰当ててみろや!」

Aを除いた三人は神輿を投げるという話で盛り上がっていた。

「止めようって! ホンマに罰当たったらどうするん?」

「うるさいんじゃ!」

「せーので投げよう!」

「せーのっ!」

Aの制止を無視した三人は、力一杯神輿を倉庫に投げ込んだ。

ガシャアァン!

けたたましい音が倉庫内に響いた。

「はっはっは! 帰ろう帰ろう!」

「祟りなんか怖くねぇわ!」

「お前、この事言うたら、ぶち回すけんな!」

三人は笑いながら階段を降りて行った。

「これマズイだろ……」

Aは神輿に頭を下げて「守る事が出来ず、すみません」と謝ると、続いて同じ様に本殿にも頭を下げた。

「大丈夫かな……」

頂上から一望出来る津山市を眺めながらAは息を吐いた。

それから一年後、再び祭りに参加したAは一人の町民からある話を聞いた。

それは、あの三人がそれぞれ不幸な目に遭ったという内容だった。

一人は事故に遭い下半身不随。一人は精神的に病んでしまい自宅療養。一人はなんと行方不明。Aには三人に起きた出来事がH神社の祟りだと、すぐに気が付いた。

あの時三人に合わせて同じように神輿を放り投げていたら……と思うと背筋がゾッとしたという。

「H神社の話を書かせて頂きます」と報告するために、私は夫婦でH神社を訪れた。石鳥居の前で頭を軽く下げ、二百段近い石段を登って本殿を参らせて頂いたのだが、そこで発生した奇妙な現象に我々夫婦は悩まされた。本殿へのご報告を済ませたので取材として写真を撮影しようとしたところ、充電しておいたはずの携帯電話が二人共々急に使えなくなったのだ。怖くなった我々は再度頭を下げた後、石階段を勢いよく降りて、階段の下に停めていた母親の車に乗り込んだ。

上で起きた話を母親に話すと、

「それは怖かったなぁ。まぁそれだけ強い力があるって事なんじゃろう」

と車を発進させた。

二〇一七年七月、B’zは二十八年ぶりの岡山凱旋コンサートを開催した。

会場である津山文化センターの収容人数は約一千席。何万席もの会場を満席にする集客力を持つB’zにしては考えられないほど小さな会場だ。だが、岡山県民全てが、いや、全国のB’zファンがこの凱旋コンサートに熱狂した。

開催当日、津山文化センターの周囲では少しでも「音」を聴こうと収容人数の何倍ものファンが会場を取り囲んだ。

コンサートは残すところラスト三曲、その時B’zが動いた。

何と会場を取り囲むファンのために、扉を解放したのだ。

当時会場を取り囲むファン集団の中にいた私の弟は仕事の都合もあり、一曲だけ聴いた後に仕事先へ向かった。仕事先への道中、不思議な事に街中には何故かその場に立ち止まっている人がちらほら見えた。(何だこれ?)不思議に思った弟は車を停めてドアを開けた。するとB’zの曲が文化センター内から街中に響いていたのだ。

その話を聞いた時に私は思った。ファンサービスはもちろんの事、最後の三曲は自分を育ててくれた津山市に送った歌なのだと。

H神社は会場から車で約十分。「音」は届いていたはずだ。

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