全国の競艇ファンが集う「児島競艇場」は、瀬戸大橋を渡る手前にある。
ボートレースは面白いが、ギャンブルには変わらない。全国の競艇場を駆け巡るギャンブラーは多いのだ。
祐二さんも例外ではなかった。仕事を辞めた後、一度レースで大金を稼いだら歯止めが効かなくなった、と語る。当時はプロの競艇ギャンブラーと自負していたそうだ。児島がダメなら四国の競艇場に行こう、と気楽に全国を廻っていたのだ。当時フリーターだった祐二さんは、ギャンブルでお金が無くなれば次に行く競艇場の近くで住み込みのアルバイトをすればいいと考えていた。当時は住み込みの仕事も多く、ホテルに宿泊するなど勿体ないので、競艇場近くの駐車場に寝袋持参で野宿していたという。
それは、一九九四年の暮れの頃だった。
彼は、その日のレースで、軍資金として用意した三十万円をすっかり使い込んでしまった。もちろん野宿が決定だ。儲かれば倉敷市から電車で高松市まで行ってホテルに宿泊なんて考えていたが、交通費すら底を尽いていた。
(この駐車場で寝るか)
そう考えていた時、声を掛けられた。辺りはすっかり暗くなっていた。
「兄ちゃん、負けたんか? すっからかんか?」
色がやけに黒く、しわが深く刻み込まれた顔の、七、八十代に見えるじいさんだった。
「ああ。今日はついてねえよ」
「今日はどこで寝るんか?」
「駐車場だよ。野宿」
祐二さんは競艇の横にある、海に隣接した駐車場を指さした。
「そりゃあ大変だな。少し飲むか」
じいさんは自分の持っていたボロボロの黒い布袋を取り出して、そこからカップ酒を出した。正直あまり清潔とは言えない身なりに、持ち物。ホームレスと思われてもおかしくない恰好。じいさんがニタリと笑うと、前歯がない。
「俺、飲めないんだ。いらねえ」
とぶっきらぼうに答えた。祐二さんにとって、正直あまり関わりたくない人種だった。小汚い場所で野宿はするが、潔癖症の一面もあったのだ。
「じゃ、イカ食うか」
とスルメの入ったビニール袋を突き出す。
「これ、魚の餌用のスルメじゃねえの?」と嫌味を言った。
「何でわかんだ?」
と、じいさんはあっさり肯定したので、絶対このじいさんから物をもらわないようにしようと思った。それに得体の知れない人から食べ物をもらうこと自体、気味が悪いというのもあった。
何となく身の上話などを話していると、猛烈に眠気が襲ってきた。このじいさんはやっぱりホームレスで、空き缶やビニールのごみ拾いをしては小銭を貯め、この児島競艇場に来てギャンブルをするのが趣味だという。普段から住む家を持たないので、そこら中で野宿している本格派だった。
「俺も若い時は家に住んでたけど、頭がわりいもんだから、すぐ騙されてな、今は一文無しだ。だけども時々ここで勝てば気分もええし、負けてもここにいればなんかいい事あるんちゃうかと思う。なんかいい事あるってだけで俺はいいんだ。人生はそれでいい」
じいさんの言葉が身に染みた。祐二さんは(もうすぐ二十五歳になるし、やっぱりギャンブラー生活はよくない。決まった仕事を探さなきゃいけないな)、と思って聞いていた。このじいさん、人は悪くないんだが、やはり一緒に話しているとホームレス独特の風呂に入っていない臭気が漂う。潔癖症の祐二さんには、そういう風になることが自分には耐えられないと思ったのだ。
そうしてじいさんと話していると眠気がさしてきた。
時間を見ると、夜の九時。酒も飲んでいないのに、めまいがするほど眠い。外の寒さが身に応える。年の暮れの十二月の寒さの中で野宿は辛い。
じいさんを見ると、駐車場に布を引いただけの所で横になろうとしている。
「寒くねえか?」
「慣れてっから」
と答えるだけで、毛布にくるまった。
(俺もギャンブルばっかやってたら、将来はこんなホームレスになるんだろうな、考えねえとな)
そう思い、寒い夜を寝袋で過ごした。その際に妙な体験をした。寝袋をひきずる音がする。自分の寝袋だ。
「ズズ、ズズ」
明らかに引っ張られている。下のアスファルトの感触が体に響くからわかる。だけど、体が金縛りになっているようで、全身の力が全身のどこにも入らないのだ。
(どうなるんだ? このまま海に落とされたら俺は……)
祐二さんは必死で体のどこか力が入る場所を探した。
右手の小指だけが反応した。顔を出して寝ているが、真っ暗で目を開けていても何も見えない。目を閉じているのと同じ感覚だ。
右手の小指を何とか動かして、寝袋の内側から突き立てた。それが何の効果になるのかわからないが、どこか動かせば体の他の部位も動くと思ったのだ。
「やめろ!」
と、やっと声が出せた。それが精いっぱいだった。誰かが引っ張っている。だけど、そこまでの腕力はない。もし腕力が強い人間なら寝袋を転がしてでも海に突き落とすだろう。弱い力で引っ張っている。それだけが感じ取れた。
いや、引っ張っているのは人間なのか? と思ったところで、また意識が途絶えた。
ただ、引っ張られている間、あのじいさんの独特の嫌な臭いがしていた。それが気になった。
(じいさん、まさか俺を海に落とそうとしたんじゃないよな?)と思いながら。
朝の陽ざしで目が覚めた。
隣で寝ているはずのじいさんの姿が無い。
「じいさん?」
思わず声をあげた。広い駐車場のどこにもいない。
競艇場にも行ったがいない。布団や敷物ごといなくなった。昨日話したときは元気そうだったから、まさか自殺なんかするわけないと思うが……。
そうなのだ。この競艇場の駐車場では隣の海に入水自殺をしてしまう連中もいたのだ。負けたから飛び込む、というギャンブラーは少なくなかった。
うっすら祐二さんも自殺を考えるときもあった。ひどく負けると、もう死んでしまおうかと思うときが何度もあった。
「じいさん」
競艇場の隣に隣の公民館のような場所があり、そこで水を飲みに行っていたとじいさんが話していたのを思い出し、何となくそこへ行った。そこで、こんな様子のホームレスのじいさんを見なかったかと尋ねた。すると意外な答えが返ってきた。
「その人なら、一週間前に警察が来て事情を聴きに来ましたけど、海に落ちたって話でしたよ。その……水死体が上がったそうで……こっちにもここ一ヶ月くらいは来てなかったと思います」
「僕は昨日話したばかりなんですが……」
「でも、その人とは限りませんし、色んな人が来るんで、写真でもあればわかるんですけどもね」
昨日のじいさんは、もしかしたら生きている人間じゃないのかもしれない、とふと思った。自殺者の容姿を聞くと、どう考えてもあのじいさんなのだ。
当時の祐二さんは、現代人のようにスマホやガラケーを持ち合わせていないし、昨日あったばかりの人の写真など持っているはずはない。
気を取り直して、また競艇場に戻った。
その日のレースはそこそこ勝てたので、三十万円は取り戻せた。
昨夜のことがあるので、野宿するのも気味が悪いし、交通費や宿泊代金もできたから、神戸市の六甲山に移る事にした。知り合いのツテで、そこの旅館の日雇い仕事の空きが出たからだ。
ギャンブルの拠点を岡山から神戸市の競艇場に移すことにした。
一九九五年の一月から六甲山に行き住み込みの仕事をはじめた。
半月ほど経ったころだった。深夜になると、ふわっと生臭い匂いがする。日雇いの住み込み労働者がたくさんいるから、そういう臭気が漂うのかなと思っていたが、それが毎晩続くので気持ち悪くなっていた。
また、その臭気が漂うたびに体が金縛りに遭うのだ。
「じいさん」
あの児島競艇場で消えたじいさんのことを思い出した。言葉を発すると、気のせいか臭気と金縛りが消えた。じいさんが近寄ってきているんだな、と少し慣れてきていたころだった。
ある夜だけ、その臭気が漂わなかったので、ぐっすり休むことができた。
だが、猛烈な揺れにより起きた。
「地震だ!」
二段ベッドの上段で寝ていたので、すぐに起きあがって宿泊先の階段を降りたが、体が宙に浮くような感覚で踏み違えながらも降りきった。
阪神淡路大震災。一月十七日の早朝に起きた未曽有の大災害だった。
かろうじて、ベッドから飛び降りた祐二さんにけがはなかったが、何人も二段ベッドの下敷きになったり、大けがをした従業員もいたという。
それから祐二さんは地元に戻り、普通の会社員になった。
「あのじいさん、俺を助けたかったのか、殺したかったのかはわかんねえけど、ターニングポイントに近寄ってくるってのはわかったよ」
今もギャンブルは趣味程度に続けているが、負けがひどくなると、あのじいさんの臭気が漂うそうだ。
「そろそろこっち来るか? って言ってる気がすんだよな。海に引きずられたときみたいに」
と笑いながらも、真剣に語ってくれた。