壁を叩く音(東京都大田区大森) | コワイハナシ47

壁を叩く音(東京都大田区大森)

数年前、Tさんという雑誌の編集者が東京の大森に引っ越した。

木造モルタルの二階建てアパート。Tさんの部屋は一階の一番奥にある。

越してきた夜のことだった。

九時きっかり。ドンドン、ドンドンと速いテンポでTさんの部屋の壁を、それも畳から四、五十センチという低い場所を、誰かが叩いているのだ。

(誰だろう?)とTさんは窓を開け、音のしたあたりを見る。が、そこに人がいる気配はない。気のせいかな、とその時は思ったが、今度は夜中の二時きっかりにドンドン、ドンドンと同じ音がする。また窓を開けてあたりを見るが、やっぱり誰もいない。こんなことが一週間くらい続いた。

ある日、友だちが泊まりにきた。その夜もやっぱり九時きっかり、ドンドン、ドンドンと壁を叩く音がした。

「誰か来たの?」という友人に、「いや、実は毎晩、この時間になったらこの音がするんだ。

で、外を見るだろ、誰もいないんだよ」とTさんは説明する。「えっ、誰かいるよ」と友人は怪訝そうに窓を開けて身を乗り出して外の状況を見るが、やはり誰もいない。

「夜中の二時にね、これとまったくおんなじ音がするんだ」とTさんは首をかしげる。

「じゃあ、ふたりで原因を確かめてみよう」と、ふたりは夜中の二時を待つことにした。

ドンドン、ドンドン。

夜中の二時きっかりに、その音が来た。

友人は即座に窓を開けて壁の外側にあたる部分を見るが、やっぱり誰もいない。

この時Tさんは、壁に手をあててその音を確かめたという。

ドンドン、ドンドンという音と同時にその振動がしっかり手に伝わる。

確かに物理的現象だ。

そのことがTさんの知り合いの間に広まり、その不思議な現象を確かめようと、いつしか知人たちが泊まりに来るようになった。そして皆がてぐすね引いて待ち受けるなか、やっぱり夜の九時きっかりと、夜中の二時きっかりに同じことが起きる。しかし、その音がする原因はさっぱりわからない。

「幽霊の仕業じゃないか?」と、まわりの友人たちは騒ぎだした。しかし、それ以上のことが起こるというのでもないので、一カ月、二カ月と過ぎるうちに、Tさんも友人たちも、その音に慣れっこになってしまった。

ある日のこと。

Tさんの部屋に数人の仲間が集まり麻雀をした。夜が明けて、皆が帰るというのでTさんは、いったん駅まで皆を送りに部屋を出た。そして戻った時のことである。

部屋のドアをガチャリと開けると、コタツの上に女の人が立っている。

「あっ、部屋間違えました、スミマセン」と慌ててドアを閉めたが、やはりここはTさんの部屋のドアだ。すると、部屋にいた女はいったい誰なんだろう?

その女は白いワンピースを着た、なぜか外国人の女のようであった。もう一度確かめようと、恐る恐るドアを開けた。

やっぱり女がコタツの上に立っている。

右手を前に出し、窓の外を指さしている。そして女の首から上は見えなかった……。

Tさんはその後気絶したらしく、気がついたらもう女はいなかった。

恐ろしくなったTさんは、親しくなっていた向かいの電気屋のおやじさんに「あのアパート、なにかあるんじゃないですか?」と聞いてみた。

するとおやじさんは「あんたが聞くから言うんだけど、よくあんなところに何カ月も住んでいられるねぇ」なんてことを言う。

「えっ、どういうことですか?」

「あんたの住んでいる一階の奥の部屋と、その上の二階の部屋っていうのは、昔から人が居つかないんだよ。一週間ともたずに引っ越しちゃうんだ」

そういえば、Tさんが引っ越してきた当初は、二階に外国人労働者が住んでいたような記憶がある。ところがその外国人はすぐ部屋を引き払って、次に女子大生が引っ越してきていた。この時は、彼氏とともに楽しそうに荷物をアパートに運び入れているのを見たので覚えている。それが二日後、同じ彼氏と黙って荷物を部屋から運び出すところも見た。そしていつのまにやらまた外国人が住み着いていた。それが音楽家なのか、ただの道楽なのか、ともかく昼夜をとわずバイオリンをギーギー弾く。その音が二階から響くので「うるさい奴が来たな」と思ったが、それも四、五日もたたないうちにバイオリンの音はしなくなった。どうも引っ越したようだ。そして今は空き部屋となっている。

確かに言われれば二階の住人は一週間と居ついていない。

「原因はなんですか?」と聞くと、

「実はあんたのアパートで、二、三年前に外国人の女性が首吊り自殺をしたんだよ」と言う。「その首吊りのあった部屋が、あんたの住んでる一階の奥の部屋なんだ」

「本当ですか!」と思わず声を上げた。

電気屋のおやじさんはその時、首吊りだというんで、その死体を降ろすのを手伝ったからその時の状況はよく知っているという。

「どのあたりですか」とTさんは、電気屋のおやじさんに部屋に来てもらった。

「首吊りがあったのは、あそこだよ」とおやじさんが指さしたのが、ちょうどコタツを置いている真上のあたりだった。

その時、ハッと思い当たった!

Tさんの見た白いワンピースの女性は、コタツの上に乗っていたのではない。その上の宙に浮いていたのだ。

同時にあの原因がわかったような気がした。

女性が首を吊った時に宙でばたついた足が壁にあたる。ちょうどその壁のあたりだ。音の場所が低いわけだ。

首を吊った死の瞬間が、毎夜、音となって繰り返されていたのか……。

Tさんは、その日は友人宅に泊まり、翌日引っ越したのである。

ただ、なぜその音が夜の九時と夜中の二時の二回もあるのか、現れた女性がなぜ窓の外を指さしていたのか、そして二階の部屋ではなにが起こっていたのかは、なにもわからないままだそうである。

今もそのアパートでは、夜の九時と夜中の二時に、壁がドン、ドンと鳴っているはずである。

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