隠れ念仏(鹿児島県) | コワイハナシ47

隠れ念仏(鹿児島県)

薩摩の『隠れ念仏』をご存じだろうか。

ご存じでない方のためにかいつまんで説明すると、江戸時代、九州南部を治めていた薩摩藩が、一向宗(現・浄土真宗)を信仰することを禁じたのだ。

禁制理由は諸説あるが、加賀の一向一揆や石山本願寺の戦いで、一向宗門徒の動きを大名が恐れた、という説が有力だと言われている。

禁制されてからの信者への弾圧は厳しく、見つかれば石抱きの拷問や水攻め、それでも他宗に転ばぬ者は、問答無用で死罪になったという。

しかし、彼らはそんな酷い迫害にも負けず『隠れ念仏』として、三百年もの間、ただひたすら信仰を守ってきた。

その薩摩で、ようやく禁制が解かれたのが明治九年九月五日のことである。

現在ではもう『隠れる』必要はなくなったが、自分の命をかけてまで信心を貫き通すことはどれ程のものかと、私は胸が痛くなった。

そして長い間、密かに自分たちで法座を開いて信仰を守ってきたこともあり、一部の地域では土着の信仰と一体化している部分もあるらしい。

なぜ、この話を長々とするのかというと、東京の某出版社に勤める朝隈孝一さんは鹿児島県のとある村の出身だからだ。

そう、朝隈さんの実家は『隠れ念仏』を代々信仰してきた家である。

「あの頃は特に忙しかったからねえ。ま、今でも忙しいのは変わらないけど。何やかんやで五年ぐらいかな、実家に帰ってなかったんですよ」

朝隈さんはばつがわるそうに頭を掻きながら、七年前の不可思議な体験を語ってくれた。

八月のお盆休みのこと。

朝隈さんは二人の子供たちにせまがれ、関東にある遊園地に遊びに行った。

この遊園地内には数多くのアトラクションの他に、大きいプールがいくつもある。そのため夏休みに入ると、ウォータースライダーや流れるプールを堪能しようと、連日、多くの行楽客でにぎわうようだ。

朝隈さん家族も、その日は午前中からプールを堪能した。そして三時過ぎくらいに疲れたからもう帰ろうか、と話していたとき、下の子のワタル君が急にグズリだしたそうだ。

「ジェットコースターに乗りたい」そうワタル君がわがままを言いだすと、今度はお姉ちゃんのモモコちゃんも、私もまだ遊びたいとせがんできた。

朝隈さんは疲れていたが、仕方なくアトラクション三つまでならいいと条件をつけた。その中にくだんのお化け屋敷が入っていたのだ。

ここのお化け屋敷では、乗り物にのって館内の世界観を体験する、一般的にはライド型とよばれるものだ。

そして二人ずつ座る乗り物の前方には朝隈さんとワタル君、後ろにはモモコちゃんと奥さんが座っていた。

三つの侍のさらし首、腕を切られ苦しんでいる老婆、そして農民と思われる男の首つり遺体は、虚ろな瞳で空を見ている。

それらを見たワタル君は、怖がって目をつぶっていたという。

大人ぶるときもあるけど、まだまだ子供だな。朝隈さんはワタル君の様子を見てそう微笑んだときに、異変は起こった。

「それはもう終盤でした。そこのお化け屋敷は、最後のほうに男か女か分からないような老人の声で、念仏が流れるんですけど……」

なんまいだーなんまいだーと、流れてくる念仏が朝隈さんにはハッキリと、こう聞こえたそうだ。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 にょらい様

ただいま聞いた お念仏

森羅万象 全ての加護を祈り

心おだやかに 一日をおくる

つつしんで 恩恵をたまわり

今度の浄土で いま一度

導きたまえや ありがたや

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

これは爺ちゃんの声だ。

小さい頃、お爺さんと一緒に暮らしていた朝隈さんはすぐに分かった。お爺さんは熱心な真宗門徒で、朝夕のお勤めは欠かさなかったそうだ。

そして先に書いたお念仏は、お爺さんが夕方のお勤めのとき正信偈(しょうしんげ)を唱える前に、必ずあげていた祈祷念仏だという。

地域によって祈祷念仏の言葉は変わるが、朝隈さんの実家の集落ではみんな同じだと思うと話してくれた。

驚いた朝隈さんはお化け屋敷を出てすぐ、奥さんに最後の念仏について聞いてみた。

「えっ?……お婆さんの声だったと思うけど……」

奥さんには弱々しいが恐ろしげな老婆の声に聞こえたそうだ。

しかも、日頃念仏になれ親しんでいない奥様には、内容すら頭に入ってこなかったようだ。

もしかしたら爺ちゃんの身に何かあったのかも。いや、その前にもう一度乗って、確かめた方がいいのか、自分の勘違いだったかもしれないし。そう朝隈さんが迷っていると、彼の携帯電話に連絡が入った。

お爺さんが、ついさっき亡くなったという知らせだった。

お爺さんは何の病気にもかかっていなかったが、その日、昼寝をすると言って横になると、そのまま眠るように他界したそうだ。

朝隈さんはそれからすぐに実家に帰ったという。そしてお婆さんに例の念仏のことを話してみた。

「ああ、そう言えばね、昼寝する前に妙なことを言ったのよ。もうすぐ孫たちがくるから、布団をいっぱい用意しておけって。それに、孝一の好物のえっがね(いせえび)ときびなごも用意しろって」

孝一たちは、仕事が忙しいから今年も来ませんよと、お婆さんはお爺さんに声をかけたそうだが、お爺さんは「てげてげ(適当)でよかよ」と和室に入っていったという。

「元気だったけど、九十七歳だから。とうとう、ボケてきたのかと思ったんだけど……よっぽど、孝一に会いたかったのかもしれないねえ」

そう話すとお婆さんは涙ぐんだ。

それから朝隈さんは、毎年、お盆の日には必ず実家に帰って墓参りをちゃんとしているそうだ。

「くだんのお化け屋敷には、あれから行ってないんですか?」

私は気になるところを聞いてみた。

「行きませんよッ……行ける訳ないじゃないですか。今度は婆ちゃんの声がするかもしれないと思うと……」

朝隈さんはそう話すと、考え込むように黙ってしまった。

隠れ念仏の歴史を調べているうちに、大変興味深い文献を読むことができた。M県に存在する、とある保存会が製作した小冊子である。

その冊子には、薩摩藩真宗禁止の歴史の他に『かくれ念仏音頭』というものが記されていた。

その一節を紹介する。

薩摩島津のこの村は

血吹き涙の三百年

死罪・拷問繰り返す

嵐のなかのお念仏

多くの言葉はいらない。

これを読んでもらえば、三百年もの間、真宗門徒たちの地獄のような苦しみが、手に取るようにご理解いただけると思う。(了)

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