カマキリ(宮城県) | コワイハナシ47

カマキリ(宮城県)

現在、都内で大学に通う長谷川君の出身は宮城県である。

彼がまだ小学五年生のときの話だという。

放課後に仲の良い友人達と、近所の資材置き場に自転車で乗り付けて、夕暮れまで遊ぶのが常だった。

そこはトラックが行き交う街道に面していたが、土地を持っている会社が何かの事情で使わなくなったのか、何年も放ったらかしになっていた。

近くには民家もないので、多少騒いでも周囲の耳目を気にすることもない。男子小学生にとっては都合の良い秘密基地だった。

敷地には錆びた鋼管や建築資材が無造作に置かれており、敷かれた砂利も赤錆色に染まっていた。

資材置き場の隣は草ぼうぼうの空き地だ。その先には街道が川を横切る古い石造りの橋がある。夏場はその橋の脇から土手を降りていけば、水面に糸を垂らして釣りを楽しむこともできる。しかし、今の季節は晩秋を迎えている。まだ雪は降っていなかったが、冬の気配は日増しに濃くなっている。

「ここ何日か、急に寒くなったよなぁ」

「あ、学校で話してた奴、これだよこれ」

その言葉を聞いて、宮沢の差し出した携帯ゲーム機の画面を覗き込んだ。対戦ゲームの隠し技を発見したというのだ。

しばらく二人で対戦ゲームを遊んでいると、遅れてやってきた八木山が、慌てた様子で走ってきた。

「川のほうに男の人が倒れてんだけど」

皆で資材置き場の入り口から顔を覗かせると、確かに隣の空き地の前に人が倒れていた。

三人で恐る恐る近づいていくと、それは初老の男性だった。

小柄だががっしりとした体躯。日に焼けて皺の刻まれた肌。汚れた灰色のジャンパーにカーキ色のズボン。足にはひざ下まである灰色の長靴。詳しい業種までは分からないが、漁港で働く人の格好に思えた。ここから港までは歩いても一時間と掛からない。たぶんそちらから来て、体調を悪くして倒れたのだろう。

「──息してないし、たぶん死んじゃってるよな」

八木山が二人に確認するように問いかけた。だが二人は返答しなかった。どう返事をして良いか分からなかったからだ。

確かに男性はピクリともしない。目をかっと開いてはいるが、瞬き一つしない。よく見ると黄色がかった白目にも砂が付いていた。

「たぶん」

「そうだ。救急車呼ばないと」

そう口に出してはみたものの、三人は携帯電話も持っていない。近隣に人家がある訳でもない。家まで自転車を飛ばして帰れば良いのだろうか。三人のうちで最寄りの家となると宮沢の家だ。

初めて人間の死体を見てしまったことで、頭が混乱していた。とにかく誰でもいいから大人に知らせないと。

「次に車が来たら止めようぜ」

八木山が提案した。名案だ。きっとそうすれば何とかしてもらえるだろう。

しかし、普段なら大きなトラックが連なるようにして走っている道のはずが、そのときは何故か車が一台も通らなかった。

こうなると、小学生三人にはどうすれば良いのか分からない。早く車が来ないだろうかと、祈るようにしてただ待ち続けた。

早く来い。

そう念じながら震えていると、不意に八木山が声を上げた。

「カマキリだ!」

えっと思って男性の顔を見ると、やけに腹が膨らんだカマキリが、うつ伏せになって横を向いた男性の唇に脚を掛けていた。そこから頬に上っていく。

こいつ、どうするつもりなんだろう。

目を奪われていると、カマキリは男性の耳の穴にするりと入っていった。

入った!

確かに入った!

今、カマキリ入ったよな!耳の中に!

騒いでいると、男性が突然バネ仕掛けの人形のようにすっくと立ち上がった。

三人は叫び声を上げて後ずさった。

今まで死体だとばかり思っていたのが、いきなり立ち上がったのだ。肝を潰さんばかりに驚いた。

「大丈夫ですか!」

宮沢がふらふらしている男性の背中に声を掛けても、全く反応がない。

それどころか彼は三人に背を向けたまま路側帯を歩き始めた。一足ごとに、長靴から湿っぽい空気が漏れる音が耳に届いた。

ずっこずっこ。ずっこずっこ。

男性は橋に向かってふらつきながらもまっすぐ歩いていく。距離が離れていくと、長靴の音が聞こえなくなった。三人はその後ろ姿をじっと見守った。

男性は橋を渡り始めた。そして、その半ばまで来たあたりで、急に欄干に手を掛けたと思うと川面に向かって飛び込んだ。

三人は走った。

この気温だ。川なんかに飛び込んだら、心臓発作を起こして間違いなく死んでしまう。

助けないと!

しかし、幾ら橋の上から確認しても、橋の脇から堤防を降りてみても、沈んでしまったのか流されてしまったのか、飛び込んだはずの男性は、もう姿が見えなくなっていた。

探しているうちに日も暮れてしまった。

もう帰らなくてはならない。

残された三人の少年は、今日のことを警察に届けるべきかどうかを話し合った。

もしそのまま男性が川から移動していて無事だったら、自分達が警察に届ける意味はないのではないか。

もし本当に行方不明なら、もう通報されているはずだろう。

そもそも何故こんなところに倒れていたのか。

考えたところで計り知れない話になってしまう。

その三人の横を、先ほどまで一台も通らなかったトラックが、風を巻きながら何台も走り去っていく。そのフロントライトが眩しく輝いていた。

「いいよ、もう帰ろう」

そう言い出したのが誰かは覚えていない。

今見たことは三人で秘密にしよう。

ニュースになったら見かけたって言えばいいんじゃないかな。あの道をふらふら歩いていくのを見ましたって。

だが結局、男性のことは新聞にも載らず、ニュースにもならなかった。

二学期が終わり、クリスマスと正月が去り、新学期が始まる頃には、長谷川君は先日の男性のことを思い出すことは殆どなくなっていた。

自分達の後ろめたい選択を早く忘れたいということもあった。

時には夜中にあのときの男性の顔を思い出して、はっと飛び起きることもある。

だが、もう自分には関係のないことだ。

三人ともそれから一度もあの日のことを話題にしなかった。

三人は地元の中学校に通うようになった。

彼らが中学二年生の冬に、八木山がぽつりと漏らした。

「俺、ずっとカマキリに取り憑かれてんだよ」

三人の間でカマキリといえば、あの日のあのカマキリに決まっている。

聞けば、あの男性のことがあったときから、八木山の周りには、時折カマキリが現れるようになったのだという。

寝ていると顔や首回りに何か硬くて細いものが触れる。その感触に飛び起きると、それは腹を大きく膨らませた緑色のカマキリだ。

耳の穴を狙われている。

そう直感した。それが正しいかどうかは分からない。だが、カマキリを見ると、あの日、男性の耳に飛び込んでいった記憶がまざまざと蘇る。

「最近は毎晩のようになっててさ」

宮沢が大丈夫かよと声を掛けたが、八木山は首を振った。長谷川君は何と声を掛けたかを覚えていない。

思い出したくないので、あまり深く考えないようにしているのだ。

その夜、八木山はあの橋から川に飛び込んで自ら命を絶ってしまったからだ。

八木山の死から五年経った。

長谷川君は親元を離れ、都内の大学に通い始めた。宮沢は高校を卒業して、地元の会社に就職して頑張っているらしい。

次の正月には久しぶりに会おうという話になっていた。夏休みは帰らなかったが、冬休みは実家でのんびりする予定だった。

クリスマスの夜に、携帯に宮沢からメッセージが届いた。

年末に会ったときの予定でも書かれているのかと、何の気なしに開いたそのメッセージを読み、長谷川君は血の気を失った。

「カマキリ」

メッセージにはただ一言そう書かれていた。

その年末の帰省は、宮沢を弔うためのものになった。

死因は飛び降り自殺。深い谷に掛かる橋の上から飛び降りたという。しかし、宮澤の周囲の人々によれば全く自殺する心当たりがないという話だった。

長谷川君は、八木山の両親にも宮沢の両親にも、あの日のことは伝えていない。

伝えていいものかどうかも分からないという。

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