梅屋敷(神奈川県) | コワイハナシ47

梅屋敷(神奈川県)

神奈川県に住む友人の叔父Kさんの話である。

今から三十年ほど前の初春のことだという。写真撮影が趣味だったKさんは、首からカメラをぶら下げながら、なにかいい被写体はないかと街なかを散歩していた。前日、雪が降ったので、道路はぬかるみ、空気も冷え冷えとしている。それでもあちらこちらに春の萌芽が感じられ、眼を惹く構図があると、すかさず一眼レフを構えた。

歩くうちに、緩やかな勾配の細い坂道を見つけ、なんとなく気になり上っていった。すると武家屋敷を思わせる、古色蒼然とした大きな家屋が右手に建っている。

こんな近くにこれほど立派な屋敷があったとは。

意外に思っていると、雪が積もった塀のうえに高さ五メートルはありそうな梅の大木が見え、その枝に淡く花が咲いている。他人の敷地だが、正面から撮るわけではないのだからと、許可を取らずに数枚シャッターを切った。

しばらくぶらついた後、自宅に戻り、フィルムを現像するため暗室にこもった。

どれもよく撮れていたが、なかでもあの坂の家で撮影した梅の花の写真が、構図や色合いもさることながら、なにか強く訴えかけてくるものがあり、新たな気に入りの一枚になった。大きく引き伸ばすと、額に入れて、玄関の壁に飾った。

それから一週間ほど経った、ある日の黄昏時。

自宅で横になりながらテレビを観ていると、玄関の呼び鈴が鳴った。出ると、三十代半ばほどの知らない婦人が立っている。保険か化粧品のセールスレディかと一瞬思ったが、髪は短いパーマヘアで、着ているものも毛玉が目立つねずみ色のセーターにベージュのロングスカートという格好で、どう見ても主婦の普段着という感じだった。近所のひとかとも考えたが、やはり見たことのない顔である。すると、女は無遠慮に三和土まで入り込んできて、

「先日、○○坂で、写真をお撮りになりませんでしたか、あなた」

挨拶もなしに、突然そんなことをいわれたので、Kさんは返答に困ってしまった。すると、

「あそこは私の自宅なのです。十八のときに伊豆の稲取からこちらに出てまいりましてね。その翌年に主人と出会いまして、一緒になったんです。無駄に広くて、なにもかもが古い、不便なだけのあの家に、それ以降住んでおりました。主人の両親はとうに亡くなっておりましたから、そういった意味での煩わずらわしさはありませんでしたが、独身の、口くち煩うるさい小姑がひとり同居しておりまして、これが毎日毎日、私に辛く、厳しくあたってきましてね──」

聞いてもいない身の上話を、独り言のように女は話し始めた。どれだけ酷い仕打ちを小姑から受けてきたかを、女は滔とう々とうと語る。

一体、なんなんだ。たしかに写真は撮ったが、わざわざ自宅まで来られて、そんな話をされるいわれはない。

最初のうちは女を見据えながら聞いていたが、勝手に撮影したことで少し負い目に感じるところもあり、俯うつむきがちになっていると、一瞬、沈黙が訪れた。ひと頻しきり話し終えたのかと思ったら、

「先日、○○坂で写真をお撮りになりませんでしたか、あなた」

そういい、同じ身の上話が最初から始まった。

──これは弱っちまったな……。

どうやって追い返そうか、女の足元を見つめながら考えていると、

「壁に掛かっている、この梅の写真、これは拙宅でお撮りになったものでしょう?まあ、こんなに綺麗に写してもらって、幸せな木だこと」

そう女がいうので、黙っていられず、

「いえね、けっしてお宅さまの屋敷を撮ったんじゃないんです。坂を上っておったら、塀に積もった雪と梅が相まって綺麗だったもんで、つい──」

すると、それを遮るように、

「忘れもしませんわ」

女が呟いた。意味がわからず、なにをです、と問うと、急に掠かすれた男のような声で、

「ああ忘れるものか、大晦日の夕ばん方げ、首を吊ったんだ、その木の枝で──」

はッ、として顔を上げると、女の姿が忽然と消えている。

今のはなんだったのか。白昼夢でも見ていたのだろうか。いや、断じて幻覚などではない。その証拠に、昼間、玄関を掃き掃除したばかりなのに、水気を含んだ土つち塊くれが、ちょうど女が立っていた三和土のうえに落ちていた。

玄関前で膝を突いたまま、Kさんはしばらく立つことができなかったという。

それから半年ほど経った頃、自治会の寄り合いがあった。

町会長の知人に映画製作をしている者がおり、この地域で大きめの古民家を探しているが誰か知らないか、とのことだった。莫大な予算が掛けられた映画で、出演者も豪華とあって、封切りになった際にはひとつ町興しになるのではないか、と町会長。

と、そのとき誰かが、あの梅屋敷はどうかね、といった。話によれば、例の坂にあるKさんが写真を撮った、あの家のことのようである。

「あそこは空き家のはずだ。たしか今の持ち主は隣町に住んでいるということやが」

すると、他の者が、いやあダメだあそこは、と呟いた。

「……そうさな、あれから十年は経つかね、あの家の若奥さんが大晦日の晩に首括りよってから。ほどなく旦那も急な病気で亡くなってしまってな。ただひとり残った旦那の姉さんも、気が触れたようになってしもうて、どこか他に移っちまったんだわ」

──だからよ、あんな縁起の悪い家を映画になど使っちゃいけねえ。

女がそういった形で亡くなったことは、隣近所の者しか知らされていなかったようで、殆どの者は初めて聞いた様子だった。

第一発見者は出入りの酒屋だったそうだが、女は梅の木の一番低い枝に紐を掛けて縊くびれていたという。まったく風などないのに、蓑みの虫むしのようにゆらゆらと揺れていたそうである。

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