剃刀(千葉県) | コワイハナシ47

剃刀(千葉県)

千葉県に住む会社員Wさんの話である。

Wさんが中学三年生の頃のことだという。

それまで住んでいた社宅を引き払い、家族で隣接した市に引っ越すことになった。父親がつてを頼って、大きめの中古住宅を見つけてきたのだった。

築七年ほどの、いわゆる築浅の物件で、特に破格だったわけではないそうだ。

Wさんは三人兄弟の真ん中だった。子どもたちの成長にともない、住んでいた社宅は手狭になっていた。そのせいだろうか、幼い頃から兄弟喧嘩が絶えなかった。障子や襖ふすまは穴だらけ、ガラスを割ってしまったこともある。それを見かねた父が、家の購入を決意したのだった。

「家が狭いって、子どもには凄くストレスなんですよね。引っ越して、ひとり一部屋与えられた途端、喧嘩なんてしなくなりましたから」

引っ越しを終え、一週間ほど経ったある日の朝。

歯を磨こうとWさんは洗面台の前に立った。歯ブラシを咥くわえた自分の顔を見つめる。寝癖を抜きにしても、冴えない顔である。これでは女子にモテるわけがない。

神妙な面持ちで眺めていると、顎から首にかけて髭がうっすら生えている。見ているうちに、それがひどく不潔に思えてきた。思春期真っ盛りとあって、彼もご多分に漏れず、同じクラスの女子生徒に恋をしていたのである。

シェービングフォームが見当たらず、仕方なく石鹸を泡立てて顎あごに塗る。

洗面台の引き出しのなかに折りたたみ式の剃刀かみそりがあった。柄が木目でできており、見た目に高級そうである。それを手にすると、刃を引き出して顎に当てた。慣れていないので手が少し震える。思い切って、じょりっ、と顎ひげを剃った──つもりだった。

あっ、と思ったときには遅かった。鏡に映った顔を見るなり、彼は愕然とした。

顎ではなかった。剃ったのはあろうことか、左の眉毛だった。

しかし、なぜだ。顎に刃を当てたつもりなのに、どうして眉毛を剃ってしまったのか。

鏡を見ると顎はまったく剃れていない。石鹸の泡が付いたままである。左眉が半分だけ薄くなった間抜けな顔を、彼は不思議な気持ちで眺めていた。

「三ヶ月ぐらい、母親の眉まゆ墨ずみを拝借してなんとか凌しのぎました。あれって上手く描くの難しいんですよね。近くに寄られると、バレてしまうんじゃないかとひやひやで──」

それ以来、なんだか髭を剃るのが億劫になってしまった。違う剃刀でも再び同じことをしてしまう気がしたからである。──が、話はそれでは終わらない。

Wさんが眉を剃ってしまった日から二週間ほど経ったある日の朝のこと。

家族で朝食を食べていると、高校生の兄がダイニングルームにふらりと入ってきた。朝からシャワーを浴びたのか、首にタオルを掛けている。家族はその顔を見て一驚した。

眉毛がない。

しかも両眉である。深く剃ってしまったのか、皮膚が薄くこそげ落とされたようになっている。そういう柄だと思っていたが、よく見ればタオルは鮮血に染まっているのだった。

兄はぼうっとしてひとことも喋らず、朝食も口にしないまま自室のある二階に上っていった。母親は心配して階段の下から兄の名を何度も呼んだが、部屋に入ったきり出てこなかった。

きっと同じ剃刀を使ったのだろうと、Wさんは洗面台から件の剃刀を持ってきて両親に見せた。誰のものかと尋ねると、ふたりとも心当たりがないという。

見せてみろ、というので手渡すと、しばらく眺めてから、

「こいつはいい剃刀だな。だが、かなり古い。ほら、刃なんてこんなにこぼれちまってる。おそらく前の住人が置いていったんだろう」

そう父はいった。

「兄貴は中堅の進学校に通っていて、成績もそれほど悪くはなかったんです。卒業したら大学へ行くものとばかり思っていましたが──」

突然、高校を中退した。高校三年の秋に、である。母親は泣き、父親はひどく怒ったそうだが、兄は腑抜けたように嗤っているだけだった。

「それ以来、家族とは滅多に口を利かなくなりました。まさか眉毛が失くなったせいではないと思いますけど、地元の悪い連中と遊ぶようになってしまって。それまでなんの関わり合いもなかったようなひとたちですよ。兄貴は今頃一体なにしてんのか──」

この十五年、音信不通だそうである。

剃刀は今でも実家の洗面台のどこかにあるはずだと、Wさんはいう。

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