広島県でデザイン事務所を経営するSさんの話である。
彼は高校一年生の夏休みに、学校が主催するキャンプにいった。
場所は島根県のS山で、二泊三日の行程である。
初日はなにごともなくすぎて、二日目の夜になった。食事のあとキャンプファイアーで、それが終わると就寝時間になった。
あすは早朝から山歩きとあって、ほとんどの生徒はテントのなかで寝る準備に入っていた。しかしSさんは、なんとなく眠る気になれず、同級生のKさんを誘って散歩にでかけた。
風が強い夜だったが、空は晴れ渡って、星が鮮やかだった。
ふたりで他愛のない会話をしながら歩いていくと、いつのまにかキャンプ場を離れて、見覚えのない林道の前にきていた。
薄気味悪い雰囲気だったが、ふたりは興味を惹かれて、その道に入っていった。
歩きはじめてしばらくは、星明かりであたりの様子が見えたが、なおも先へ進むと、森が深くてなにも見えなくなった。
Sさんは持っていた懐中電灯をつけて、道を照らした。
そのうち丁字路にさしかかって、ふたりは足を止めた。左右にわかれた道の先は、どちらも深い闇である。
ときおり突風が吹いて、暗い森がざわざわと揺れる。
「そろそろ帰ろうや」
Kさんが幽かにおびえた声でいった。
Sさんも帰ろうかと思ったが、ふと茶目っ気をだした。
「──なあ、Kよ」
わざと低い声でいうと、Kさんは、ごくりと喉を鳴らして、
「どうしたん」
「あそこを照らして、女でもおったら怖かろうの」
「気持悪いこというなよ。あそこってどこや」
「ほら、あそこよッ」
Sさんは大声でいって、前方の木の上を懐中電灯で照らした。
とたんに心臓が縮みあがった。
ぼやけた光の輪のなかに、淡いピンク色の眼鏡めがねをかけた若い女が浮かんでいた。
髪はばさばさに乱れて、白いちょうちん袖のブラウスを着ている。女は、Sさんたちに気づかないのか、無表情にうつむいたまま、微動だにしない。
信じられない光景に呆然としていると、
「ぐえッ」
Kさんが奇声をあげて、もときたほうへ駆けだした。
Sさんも、あわててあとを追った。
ふたりはテントへもどると、同級生たちを叩き起こして、いま見たものについて語った。はじめは、みんな寝ぼけた顔で聞いていたが、そのうち興奮してきた。
幽霊だ、いや首吊りだ、と騒いだあげく、真相を確かめようということになった。相手がなんであろうと、みんなでいけば怖くない。
Sさんと同級生たちは、ぞろぞろとさっきの場所へむかった。
しかし、そこに女の姿はなく、誰かがいた痕跡もなかった。
「ただ、あとで考えたら、あの晩は風が強かったのに、女の髪は全然なびいてなかったんです」
二年前、高校の同窓会で、三十年ぶりにKさんと再会した。
Sさんは自分の記憶を確かめるような気持で、
「あの夜、たしかに見たよのう」
遠慮がちに切りだすと、Kさんは即座にうなずいた。
彼も女の姿を、はっきりとおぼえていた。淡いピンク色の眼鏡やちょうちん袖のブラウスといった細部までが、Sさんの記憶と一致していた。
「それで妙に安心しましたけど、あれはなんだったのか、いまもわかりません」